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2018年07月06日23:12

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「世界の終わり」の終わり?

地下鉄サリン事件が起きたのは、ちょうど僕が社会人一年生だった頃。元々、宗教やテロには人並み以上の関心を寄せるタイプの子供だったので、この事件には何だかんだいって大きな衝撃を受け、その後の物の考え方に大きな影響を与えられたように思う。

20代の僕がドストエフスキーをのめり込むように読んだ直接的な切っ掛けも、いまから思えば明らかにオウム事件の影響だったように思う。宗教とは何か、人はなぜ宗教を必要とするのか、そして宗教はなぜ時に黙示録を夢想するのか――その答えを求めて、ドストエフスキーの頁を繰り続けていたように思う。

オウム幹部の死刑執行の報に接した時の呆然とした感じは、「宗教とは何か、人はなぜ宗教を必要とするのか、そして宗教はなぜ時に黙示録を夢想するのか」という問いにまだ一応の答えも見いだせていないのに、「権力による死」によって問答無用に現実的解決を突きつけられたことに由来するのかもしれない。

「はい、答えの出ない問いにいつまでも耽るのはこれまで!」という感じで。

たしかに、何かしら長い夢――あるいは長い悪夢――から覚めたような気分がしている。

権力による強引な「終止符」が打たれたいま、改めて思うのは、オウム事件の、その後の平成の世相・文化へ与えた広汎な影響である。

平成文化は、ほとんどオウム事件の衝撃をいかに受け止めるかをメインモチーフにして展開してきたかのような観すらある。少なくとも、平成以降の日本人の宗教観・テロリズム観を決定的に規定していたのはオウム事件に他ならないだろう。

平成7年(1995年)以降、日本人が宗教やテロを語るとき、明言されなくとも、そこには必ずオウム事件の反響があった。

村上春樹が90年代以降、別格的な作家としての地位を確立したのも、『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』や『神の子供たちはみな踊る』といった作品で、オウム事件の衝撃を彼なりの仕方で文学的に対象化し続けることに一定の成功を得たことが大きいだろう。

90年代以降の社会学の流行とそれを象徴する宮台眞司のブレイクも、オウム事件なくしてありえなかった。オウム事件はその後の論壇のスタイルを規定した、とも言えるだろう。

『エヴァンゲリオン』や『TRICK』なども、元々戦後のサブカルの世界に氾濫していたハルマゲドン幻想から養分を得ていたオウム事件の衝撃が、サブカルの世界へ逆輸入的に反映した作品である。

死刑というのは、精神分析的には「父の言葉(裁き)」の究極的表現だろうか。今回の死刑は、「母性(赦し)」が氾濫していた平成の御世――さらには戦後――に、恐ろしく厳格な仕方でついに父が姿を現した事件と考えることもできるのではないか。「夢から覚めなさい」、「もう二度とあなたたちは夢見ることはできない」という、厳かで情け容赦ない言葉とともに。

戦後に下地が作られ、そして平成に大々的に繁茂した「中二病的社会否定(それは究極的には自我の絶対化という「甘え」である)」に決定的な「終止符」が打たれたように感じてしまうのは、地下鉄サリン事件発生当時に社会人一年生――この社会への激しい否定衝動に捉われていた社会人一年生――だった僕のノスタルジーにすぎないのかもしれないけれど。

精神的に未解決な問題を、現実的な解決で無理強いにも否定しないことには、おそらく「社会」は成り立たないのである。

いずれにせよ、ライバルの刑死にあたり、大川隆法には渾身の霊言パフォーマンスを期待したい。

■オウム松本死刑囚の刑執行=教団事件で初、7人一斉−地下鉄サリンから23年
(時事通信社 - 07月06日 09:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5187685
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