ワールドカップ・ロシア大会が始まる5日前にVWのup!という中古車を買うことになり、日本対コロンビア戦の翌日、手に入れた。たぶん生涯で最後の高額な買い物であると思う。
性能やバリューは分相応だと考えていたのだが、乗って分かったのは思ってた以上に性能が良かったことだ。クルマ誌の試乗記や専門家によるYouTube動画は多かれ少なかれスポンサーに依拠している部分が多いため、気を遣って過剰な称賛になりがちなのだが、up!に関しては違った。嬉しい誤算だった。
かれこれ3週間前から幻のプロレタリア作家による昭和15年刊の長編時代小説を読み始めた。二段組の上下巻で、原稿用紙換算1500枚くらいの長編だ。これがいまの段階で5分の1くらいしか読めていない。ワールドカップのせいではなくて、単にこらえ性がない性格だからだ。書かれてある内容が、明治維新前から維新直後の時代性、民俗学、地理学、地政学、歴史学などなど深い知識と読解力がないとつかめない。字面を追うのでさえ、ところどころに難解な言葉が出てつっかえるし、ここまでで既に2百人くらいの登場人物が出てきて、最後までには千人になりそうな気配さえある。学生時代のように一気飲み、もとい一気読みができれば3〜4日で読了することも可能だが、そんな気力・体力に任せた勢いのある読書ができなくなってしまった。
が、この間に於いても普通の本は読み通せるのだ。芥川作家のエッセイ集、読書の歴史という新ジャンルの岩波新書、日本でもっとも優れた山岳家が書いた山と川の論考etc. 昨日からはブックオフの新書棚でたまたま手に取った『被差別部落のわが半生』を読んでいて、たぶん今日中には読み終えることができるところまで来た。このような「逃げ」の本ではなく『山の民』をとっとと読めばいいのに、それができない。
毎日、新聞を読んでもテレビニュースを見ても、怒ってばかりいる。いっそうのこと、新聞の購読をやめ、テレビもワールドカップが終わって以降はいっさい観ない、という極論さえ思い浮かぶ。が、そうなるとスマホやパソコンでニュースを読むだろうから、さらに興味本位で狭窄的な情報収集になってしまう。そしてむしろ、ネットのニュースにばかり触れていると、腹立たしさ度が倍加する。今日でも、北鎌倉にある時宗・光照寺の副住職がヘイトスピーチをTwitterとブログでまき散らしているのが発覚し、良識のある人から批判された途端にTwitterを閉じてしまった、というニュースを読んで、非常に不快な気分になった。幸い、この光照寺というのは訪ねたこともなければ、名前を聞いたのも今日が初めてで、鎌倉繋がり以外に何の関係もない。時宗から破門されたらいいのに。
安倍やトランプの非人道主義と、基礎が腐り切っている無教養さが日本やアメリカにチフス菌のごとく蔓延し、くそ田舎の寺の坊主まで、脳の病気に罹患してしまった。なお、「くそ」は田舎(鎌倉)に掛かるのではなく、坊主の形容だ。書いちゃったのでもう遅いか。
いまの時代、俺に出来る抵抗って何があるだろう?
最近、そんなことをある程度真面目に考えている。寿命が何歳かはわからないが、意欲が一定の水準を保ち続けられるのはせいぜいあと7年くらいだ。自分より数歳から10歳くらい年上の方々を傍目で見ていて、老化の現実というのを何年も前から知らされている。
ようやく時間は有限であることがわかった。まだ遅くはない!?
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