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2018年06月24日21:34

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キャラメルボックス・無伴奏ソナタ

2012年初演、その後の再演は見逃したので6年ぶりの観劇。
開演前から SIBERIANNEWSPAPER の曲がかかっていてくらくらしました。
《世界の果てへ連れ去られ》《Recovering》 《Good weather makes me happy》・・・
加藤さんの前説は《WORDS ROBBIN TALKS ARE》だし。

細かい演出の変更はあっても基本的にすべてわかっているはずなのに
やはりぐしゃぐしゃに泣けました。


演劇集団キャラメルボックス 無伴奏ソナタ
@サンケイホールブリーゼ

フォト


【ストーリー】

すべての人間の職業が幼児期のテストで決定される時代、
クリスチャン・ハロルドセンは生後6ヶ月のテストでリズムと音感に 優れた才能を示し、
2歳のテストで音楽の神童と認定された。
そして、両親と別れて、森の中の一軒家に移り住む。
そこで 自分の音楽を作り、演奏すること、それが彼に与えられた仕事だった。
彼は「メイカー」となったのだ。メイカーは既成の音楽を聞くことも 他人と接することも、禁じられていた。
ところが、彼が30歳に なったある日、見知らぬ男が森の中から現れた。
男はクリスチャンに レコーダーを差し出して、言った。
「これを聴いてくれ。バッハの音楽だ…」
(公演フライヤーより)


【出演】

クリスチャン・・・・・・・・・・・・・多田直人
リチャード/ウォッチャー・・・・・・・・石橋徹郎(文学座)
ギルバート/リスナー3/ミック/ギレルモ/若者3・オレノグラフィティ(劇団鹿殺し)
カレン/リスナー4/女性客3/デニス・・・・岡田さつき
リスナー5/ジョー/アル/補佐官2・・・・・岡田達也
ビリー/リスナー1/女性客1/ブライアン・・筒井俊作
オリビア/女性客2/カール/若者1・・・・・森めぐみ
ポール/キース/補佐官1/ブルース/若者4・山崎雄也 リスナー2/リンダ/マイク/若者2・・・・・・大滝真実

2012年はたしか岡内美喜子さんとか畑中智行さんとか小多田直樹さんが 出ていました。

主演の多田直人さんと石橋徹郎さんがかわっていなくてよかった。


【使用曲目リスト】

http://www.caramelbox.com/stage/mubansou-sonata2014/music.html

シベリアンの曲、天平さんの曲、懐かしさいっぱい。
真鍋さんの書き下ろし新曲はCDつきプログラム売り切れで持ち帰れず。




【原作と脚本】

オースン・スコット・カードのSFが原作です。
金子司さんの新訳でハヤカワ文庫に収録されています。
脚本は成井豊さん。早大の学生演劇出身で加藤昌史さんと二人三脚で キャラメルボックスを率いてきたかた。
演出は成井さんと有坂美紀さんの連名。

成井さんの特徴なのでしょうか。キャラメルボックスの芝居は とにかく泣かせる。
そんなに多く観ているわけではないのですが、そんな印象。

なので、初演をみたあと旧訳の原作をよんでかなり驚いた記憶があります。
原作は三十数ページととにかく短く、さらによい意味でSFらしいのです。
からりとしていてハードボイルドで。
でも成井版はかぎりなく感情をゆさぶります。


【ネタバレあらすじ】

以下、原作と比較しながら筋をたどります。
(今日が大千秋楽でしたからいいですよね)


たとえば両親がクリスチャンを手放すエピソード。
原作では天才と認定した政府の役人が連れて行ったというだけなのですが
ステージでは両親の葛藤と悲しみが表現されます。
2歳の子を両親から引き離すなんて、と処罰も怖れず反対する母に対して
それを決めるのはクリスチャンだよ、と諭す父親。
もしも彼が大人になってから、自分には「メイカー」になる才能が あったのに君が反対したと知ったらどうだろうか。説明する?
もちろん彼は許してくれるだろう。でもそのことを忘れはしない。
自分はもっと幸せになったのではないか?・・・

その幕の最後にひとりスポットがあたった母は語ります。
翌日連れて行かれるときクリスチャンは眠っていました。 眼をさましたとき彼は私を捜して泣いたことでしょう・・・
5年後、私たちの楽団に(両親は楽器を奏でる「プレイヤー」に 属していました)
新しい譜面が届きました。作曲者はクリスチャン・ハロルドセン・・・


次の幕ではクリスチャンは30歳になっています。
森の中の家でひとりで暮らして28年。
世話をする女性と監視する者以外の人間と接触することもなく
既存の音楽や楽器についても全く触れることなく
自然の音や何にも似ていない楽器のような道具だけで音楽をつくる毎日。
彼の作った音楽はスピーカーで森の外に送られ、 聴くことが専門の「リスナー」がそれを聴きに来ます。
クリスチャンは自分の音楽が人々にどのように受け容れられているかを 知りません。
原作では彼の日常生活には全く記述がありませんが
ステージでは新しくやってきたお手伝いさんのオリビアが何を食べたいか
尋ねると、クリスチャンはかぼちゃのスープ、と答えます。
かすかに母が作ってくれた記憶があるのです。


そんなある日、ひとりのリスナーが禁をおかしてクリスチャンと 接触し、
小さなレコーダーを渡します。
きみの音楽は素晴らしいが 欠けたものがある。これを聴いてみなさい。
禁忌をおかすこと(既存の音楽に触れること)
をためらうクリスチャンの 迷いと不安は作る音楽に影響を与えます。
そして聴いてしまったあとの音楽は劇的に変化し、バッハの影響を
隠そうとした工作はたやすく見破られてしまうのです。
このあたりの効果音楽の変化はなんどきいても見事。
ここで登場するのが「ウォッチャー」。黒ずくめで杖をつく不吉な男です。彼は
法の番人としてクリスチャンに音楽の禁止と追放を申し渡します。
この幕の最後でひとりスポットがあたるのはオリビア。
クリスチャンと過ごしたのはわずか2ヶ月でした。あれほど 純粋なひとをみたことはありません。・・・
もう一度彼に会ったらかぼちゃのスープを作ってあげたい。・・・


音楽を奪われたクリスチャンは再教育を受けて、
ドーナツを配達する「ドライバー」になりました。クリスと名前もかわっています。
ある日たちよったバー&グリルで彼は店の隅においてあるピアノに気づきます。 (どうでもいいけどドライバーさんたちがビールを飲んでいるの、その日の  
仕事帰りだからいいのでしょうか)
初めてみる楽器。でも元々天才ですからそれが音をだすものだと知るとすぐに 弾きこなせるようになります。
それと同時に天才の弾くピアノはすぐに評判になりました。
原作では“店の雰囲気が変わった”ことになっています。 賑やかに会話するレストランから、静まりかえって ピアノ演奏を聴く店になったということでしょうが
舞台ではみんな飲み物しか注文せず店がつぶれそうになる、という設定です。
店の主人・ジョーは店を守ろうと、ピアノを弾く男を来ないようにさせてほしいと訴え出ます。
そこで再び登場する「ウォッチャー」。
音楽を禁じられていたのに楽器を演奏し、法律を犯したクリスチャンは その場で10本の手指を切り落とされ、再教育センターへ送られます。
事情を知り、通報するなんてあんた、自分が何をしたかわかってるの!?と責められても
ジョーにはどうする事も出来ません。自分も店を失なうわけにはいかなかった。
この場の最後にひとりスポットにあたって語るのはウエイトレスのリンダ。
リンダは物静かなクリスチャンに惹かれ、デートをほのめかすも断られていました。
クリスにはピアノっていう好きな人がいたんだから仕方ないわね。
でも もう一度彼に会ったら?きまってるじゃない、一緒に映画にいくのよ。


再教育を受けたクリスチャンはシュガーと呼ばれ、工事現場の旗振りになります。
いちめんのさとうきび畑の中にのびる道路の工事。
メキシコから来たギレルモは休憩時間にギターを弾いて歌います。
『マイオールドケンタッキーホーム』
『ジャンバラヤ』
『ビューティフルドリーマー』
次第にみんなが声を合わせて歌うようになり、クリスチャンは それを聴くだけで幸せでした。
自分が歌うことは拒否していましたが、「メイカー」であったことを見抜かれ 仲間に心を許すようになると編曲や作曲をはじめます。
現場責任者のビリーは禁を犯す彼を案じて別の現場へ立ち去るように促しますが
歌のあるこの場所に留まりたい、とシュガーは拒否します。
彼が最初につくった『シュガーの歌』は皆の愛唱歌となりました。
作業員が入れ替わることによって人々に伝わり、気がつくと『シュガーの歌』は 国じゅうにひろがり
やがて「ウォッチャー」の耳にも入ります。

ウォッチャーはなぜそれがクリスチャンの作品だとわかったのでしょう。
歌の奥底に悲しみや怒りが込められているからだといいます。
ギレルモ、きみはこの歌を歌って泣いたことはないか?
そして彼はクリスチャンの喉をつぶしていきました。
原作ではこのときクリスチャンは「やめろ」といいます。
旧訳では「やめてくれ」。
(訳によっては周囲の仲間の科白のようにおもわれてしまわないでしょうか。 クリスチャンの科白なのですが)
しかしステージではウォッチャーは「みんなに別れを」
そしてクリスチャンは「みんな、僕の歌を歌ってくれてありがとう」。
ウォッチャーの人間性の印象がまったく変わっています。
原作のままでは情け容赦ないロボットみたい。
それはその後のクリスチャンの職業についてウォッチャーが説明する 場面へとつながっていくのです。


クリスチャン、きみはこれから「ウォッチャー」となるのだ。
君ならできる。 私の在職中に三度法律を破った人間は数えるほどしかいない。たいていの人間は(罰として)身体の一部を失ったときに欲も失う。 音楽を産み出したいという欲だ。
人は法律を守っている限り幸せだ。
でもたまに自分が不幸になるとわかっているのに法律を破るものが現れる。 彼の行動は世の中を乱し、沢山の人を傷つける。それを食い止め処罰するのが「ウォッチャー」だ。
しかし手足を切り落とされても、目や耳や喉を潰されても自分を止められない者がいる。そうした者に最後に下される罰が「ウォッチャー」になることだ。
わたしはきみの気持ちがよくわかっていた。
だからきみの喉を潰すのは私でなければならなかった。


「ウォッチャー」はかつて「メイカー」だったのです。
しかし禁をおかして片腕を切り落とされ
さらに再び禁をおかして両眼をつぶされたのでした。


クリスチャンは優秀な「ウォッチャー」となりました。
法をやぶるものを罰し、人々の幸せを守り、自らの罪を償うために。
そして38年後、彼はようやく自由の身となります。
何をしてもどこへ行ってもいい、といわれて彼は思い出の地を辿ります。


はるか昔に完成した道路工事現場
アパートに建て替えられたレストラン
住む者を失って朽ち果てた森の家
表札もかわった両親の住んでいた家


雨が降ってきて、雨宿りのために彼はカフェに入ります。
するとそこで4人の若者がギターに合わせて歌を歌っていました。
『シュガーの歌』でした。


それは何という歌だ?誰の歌だ?なぜそんな悲しい歌を歌う?
やつぎばやに筆談できいてくる見知らぬ男に不審そうに、でも 彼らは答えます。

『シュガーの歌』っていうんだよ。
シュガーっていう人が作ったんだ。もう死んだけど。
彼はなんでもわかってたんだ。解ってたんだよ。

彼はお辞儀をしてその場を去ります。
流れる歌声。
それがいまの彼にいちばん必要な喝采でした。
客席からわきおこる拍手。
ビリー、ポール、リンダ、ギレルモ、オリビア、ジョー、カレンが 背景からその喝采に加わっていました。
このラストの演出も今回かわったところですね。


【創るということ】

初演をみたあと、衝撃で私は何ヶ月も立ち直れませんでした。
思い出すと泣けてしまう。
それは、影響をうけたものは真の創作ではない、というこの 物語の設定でした。 そもそもクリスチャンが音楽を禁じられたのはバッハの 『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ』を聴いたからです。
そんなことをいうのなら今の世の中にオリジナルな創造など なくなってしまうではないか。

再びこの演目をみることをためらったのは 再びあのような精神状態になるのを怖れたからでした。
でも、今回はきっと大丈夫。
作品もかつての自分も客観的にみられるようになったようです。


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多田直人さん1000ステージおめでとう。

フォト



http://www.caramelbox.com/

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