mixiユーザー(id:21651068)

2017年11月05日00:50

507 view

福岡道雄

白い壁に2m×3mの黒いFRP。
波のような地紋
近づいてそれがいちめんにドリルで彫られた無数の
《何もすることがない》
という白い文字であることを知ったときの驚き。

福岡道雄
〜つくらない彫刻家〜
@国立国際美術館

詩のような彫刻
とでもいえばいいのでしょうか。

展覧会構成もまあこんな具合です。
キュレーターさんも饒舌にして簡潔な。

第1章 彫刻らしきそれを創ろうと思えば思う程、
   真実らしい仮面をかぶった偽作が出来る
第2章 空中で、もうだめになって、地上へ舞いもどる
こともできないし、だからといって、
もっともっと高く舞い上がる
   こともできないでいる毎日の僕達なのだ
第3章 僕の眼に反射する光像はブラックだ
第4章 魚の水槽の水を変えるべきか、それとも
彫刻を創るべきか
第5章 中心の無い彫刻、あるいは無数に中心のある彫刻
第6章 なに一つ作らないで作家でいられること、
   何も表現しないで作家として存在できること

第2章の展示室は写真撮影ができます。

その前の展示室では砂を掘ってセメントを流し込んだ《SAND》
地表に拡がる《奇跡の庭》
といった初期作品が展示されていたのですが

ここへきて廃材に巻き付けて焼き焦がした《何もすることがない》
でようやく福岡の彫刻はよろめきながら立ちあがります。
フォト



そしてポスターのメインビジュアルである《ピンクバルーン》となって
宙を舞うのです。
フォト



この作品をつくったとき、福岡は30歳そこそこ、超スピードで
駆け上がっていったといえるでしょう。

しかし展覧会のキャプションにもあるとおり、「50〜60年代が
出来すぎであればこそ、福岡はその後の〈つくる〉に苦悩する」
ことになります。

ダース・ベイダーのような巨大な《蛾》

第4章の「風景彫刻」、黒いFRPの直方体の上面に
ある作品ではさざ波がたち
ある作品ではぽつりと小さな人物が草むしりしている
それがホワイトキューブでどれほど美しいか

そして冒頭に紹介した「中心の無い彫刻」

いくつものスタイルを確立し、極め、捨ててきた
作家に貫かれているものは何でしょうか。

*****

アーティストトークを聴きました。

制作の継続 あるいは継続の制作
福岡道雄(彫刻家)
松井智惠(美術家)

はじめに国立国際の福本研究員から
今回の展覧会が福岡道雄の制作の軌跡をふりかえるものである
という説明がありました。
福岡道雄(1936〜)は堺出身の80歳、60余年創り続けることはどうしたら
可能なのか(実は2005年「つくらない彫刻家」と宣言)。
また、続けることだけが目的になると自己模倣などに陥る危険もあり
続けることの良い面悪い面が浮かび上がればという主旨のトークであるとか。
一方、対談相手の松井氏は京都市芸大卒、多様な制作を行いながら
2012年からは一日1作品をつくってSNSに挙げるという活動もしているそう。

松井(以下Mと表記)
ここ国立国際美術館は89年に今村源さんと大規模インスタレーションをさせていただいたりとご縁が深くて。
今回は福岡先生が作家同士で話したいをおっしゃっていただいたので参りました。先生と私は2まわり干支がちがっておりまして、私は1060年生まれです。
私が生まれた1960年、24歳の頃にはどのようなものを作っていらっしゃったのでしょうか。

福岡(以下Fと表記)
僕は京都の美術学校(京都市芸大)を受けたけど落ちました。
自分は子供のときから絵が上手いと思っていたんだけど、
試験にデッサンがあってね、2時間で仕上げたら周囲がびっくりした。

M
デッサンの試験って何時間だったんですか

F
2日間。(会場笑い)
彫刻科は7人受けてたけど陶磁器屋の息子がほとんどだったね。
京都だから。
翌年もう一度受けるつもりだったけれど、先生をみたら
戦前の教育を受けている人達なんだよね。
裸婦とかやってたひとが抽象をつくりだしていたけど
はたしてわかってるのかな?習ってもいないのじゃないかな?
そんな先生たちに教わっても仕方ないかと思って受けるのをやめて
天王寺の研究所にいった。
そこでデッサンを勉強するつもりだったのが彫刻室に入れられて。

M
大阪市立美術研究所ですね。

F
そう。大阪市立美術館の地下にあって。
ここくらいの広さの部屋で、真ん中にモデルがいて。
部屋の周囲に石膏袋がたくさんあった。
かぜをひいてかたまらない石膏。
それをもらって、海岸へ行って、海水で溶いて砂に
穴を掘って流し込んだりした。

M
《SAND》シリーズのはじまりですね。
実際の作品を今回初めて見ました。海岸で作られたんですね。

F
ちゃんと作り出したのは室内です。

M
大学へ行くのを止めて、研究所で作り出したもので個展、ってすごく早いと思います。

F
週に1つずつ作ったら1年で何十点とできた。
そこに画廊にキャンセルが出たから個展しないか、と。
画廊なんてそれまで行った事もなかったよ。
大阪で20歳の若造が個展をするなんて初めてじゃないか、それが当たって一躍有名になって。
トントン拍子だった。

M
若い作家は勝手にたくさん作れる時期がありますよね。
材料はセメントで?

F
石膏にセメントくらい。ブロンズなんて手がでない。
ちょっとお金のある人は白色セメントだったけど僕にはお金がないから。

M
東京でも個展をされましたね。

F
キャンセルが出たからしないか、とアキヤマ?画廊で。

M
いつでも個展ができるくらい作品があるというのは作家として
あるべき状態ですね。どうしても個展に合わせて作ろうとするから。
その後樹脂で作り始めましたね。手間の掛かる素材に変えられたのは何故?

F
東京の有名な人たちが樹脂を使って(作品を)発表しはじめたから。
ところがベタベタで服も汚れるし、すごく臭くて。
でも石膏でバルーンを作ったら重くて限界だった。
国立近代美術館が今の場所に移転する前、京橋にあったときに
この展覧会で終わりだからつぶれてもいい、と言われて
天井の強度をはかりながら石膏の《ピンクバルーン》を20個つるした。
ぶらさがった彫刻はその後あまりないですね。

M
(京都市芸大)在学当時の80年代は、天井から吊るのは邪道だと
言われていました。床に置いて重力と闘うというか。

F
彫刻は床に置くという習慣もなかった。
普通は5角形の彫刻台の上に置いていました。
高松次郎とか赤瀬川とか絵画の人たちが絵画からはなれて
立体を作り出したときに床に置くというのがはじまった。
観るひとがとまどうのね。上をみたり下をみたりするのに。

M
それから現代美術にはいる?

F
いまだに現代美術という言葉はわからない。
美術より日常生活や生きることが大事で、美術を生きることと
結びつけようとしていた。
4〜5年何も作らないこともあったけれど
不思議と両親からも妻からも「働け」とは言われなかった。
40歳すぎまで好きなように生きてきたのね。
作れないときはブラブラして10時前にパチンコ屋に並んで(会場笑い)
ここだけの話、2年間くらいパチンコで食べてたのよ。
1日100円でそれを800円にして、研究所へ行く。
それで毎日作ると1年で100点くらい作品ができる。
そしてキャンセル待ちをしては画廊で個展をしてた。

M
いまの若い人の展覧会のやりかたと違いますね。

F
レンタル画廊とか企画画廊とかいろいろあるからね。
有名な画廊で個展をしないとスターになれないね。

M
海外でもどこそこでしないととかありますね。

F
3大画廊のどれかで4〜5回すると作家としてラッキー。
1回だけでいくら頼んでもさせてくれなくて自殺した人も2人ほど知ってます。

M
作り続けても作品が認められない場合は苦しいですが
先生は何もしない作らないという時期もあった。

F
作らないんじゃなくて作れない。
僕は作るとなったら何年もそればかり毎日つくる。
しかし3〜4年経つとイメージが薄れる。完結するというか。
すると5年くらいは作れない。結果的にどうかわからないけれど。

M
生活と制作ということは似合わないのかもしれませんね。

F
作れないときに野外彫刻の招待がかかって、考えて作った。
でも考えて考えて作るというのは何かちがう。
その作品たちにはあまり愛着がない。塗りつぶしたい。
害にはなっても益にはならなかったね。
(作品が)大きくないといけないし。

M
やっぱり先生は過激ですね。
最後の(最新作の)《つぶ》ですが、
(指先ほどの黒く丸い粒が3個/7個/15個 という作品たちです・筆者注)
あれは樹脂を丸めたのかと思ったら違うのですね。

F
ちゃんと粘土で作って、石膏でかたどりして、樹脂を貼り込んで。

M
中は空洞ですか!
作品ってプロセスは見えなくて作品をみて観客が
どう思うかなんですが、おききしてよかったです。

F
《腐ったきんたま》で最後の個展をしたんだけどタイトルが嫌だ
と思って。《つぶ》ができて良かった。

M
ご自分でタイトルつけたんですよね?(笑)
これまでの作品をみてきて、ここまでできるんだという感銘を受けました。

F
《つぶ》はなかなか作品にならなかった。2週間くらい作っていた。
彫刻は止めます、と言ったのに作っているのが申し訳なくて。

M
つくらない彫刻家宣言をされてからも、作ってるはずだと思っていた方は多いです。

F
本当になにも作ってないよ。
作るのは20代から40歳、50歳までだね。
それからは引退。
他の人たちもそう言って欲しいよ。
若いときは食べられないから学校の先生やったり一番いいときに勤めてしまう。
それで50歳になってから作ってもねえ。
ほんの10年くらいの間にしか問題作は作れないと思う。
いま松井さんも毎日作ってるんだね?

M
作ってない時間の方が長いですよ。ゲームとかしてます(苦笑)。
今年、うちの向かいに7月から10月の4ヶ月で大きな建物が建ったんですよ。
その間、自分は1つもちゃんとした作品が作れなくてイライラした。
でもこのあいだ向かいの人が挨拶にいらして、フグの卸屋さんだったんですね、一尾くださって。
ちょっと幸せになりました(笑)。
毎日働いている人が目の前にいて、電車に乗っても働きに行く人ばかりで。
それをみながら作れないときはどうするか。

F
僕は釣りばっかりしてました。釣りはお金がかかります。

M
そんなおしゃれなことするからですよ。

F
安いカーボンの竿で。
それでも飛行機に乗って遠くまで行くと高くつく。
電車からみてると、いまは池で釣りをしている人が少ないね。
若い人はルアーとかに興味があるのかな。
崖を降りていったりして結構重労働っていうか。
一日ひかないこともあるけど場所を変えるのはものすごく
遠回りをしないといけないからそのまま。
そんなことをしていたら、眼がわるくなった。
片目をつむったら前の車のナンバーが見えない。
人の顔も輪郭しか見えない。
中心性網膜炎っていうらしい。3ヶ月位したら自然に治りますって。

M
光る水面を見てるのがよくなかったんですか?

F
そう。まあちょっと面白かった。
人間には眼とか耳は二つあるでしょ、これはスペアですね。
それで釣りは止めた。
懲りないと止めないから僕は。

M
ビニールを燃やすのも?

F
そう。
燃えても溶けないプラスチックを燃やして作品をつくってたら
肝臓をやられて。体重が38kgくらいになった。
元気なときは「死にたい」っていってるくせに、それで燃やすのは止めた。

M
2年前にお会いしたときにも「死ぬ」と言われてました。
今日の日を迎えられてよかったです。
制作している人は、これでいいのかという悩みをいつも抱えている。
今までに作ったものと違うものを作りたいときとか。
私も毎日描いていますが気持ち的には作れない状態が続いています。

F
作りたい気持ちがないと作れない。
身体のこのへん(胸のあたり)に作りたいイメージがあって。
野外彫刻のイメージはどうもない。
日本人はだめだね。
日本人で野外彫刻のイメージをもってるのは新宮晋だけでしょう。

M
(スクリーンの映像をみながら)これは先生の野外彫刻ですね。

F
そう(2mくらいあるドクロ)。プラスチックの直づけでタルクを
樹脂にまぶしながらつけた。
須磨離宮公園はきれいだから彫刻なんていらないのよ。
だから僕はなるべく邪魔になるようなものを作ってみた。
案の定会場デザイナーがどこに置いても合わないから、と
とうとうレストハウスの裏の築山に設置した。
そうしたら、眼のところが空いてるでしょ。
そこにみんな弁当のカラとか入れるのね。
そのうち煙草の吸い殻を入れたひとがいて、燃えた。
プラスチックですからね、ゆらゆら揺れながら消えていったそうです。
見たかったですねえ。
思っていた以上のものになったな。

M
燃えるところまで含めるといいですね。
ところで《ピンクバルーン》、今回全部は出ていないんですね。
ピンクは1番美しい色だとおっしゃっていた。

F
彫刻に色がつかないのが不思議だった。
素材で十分だって言うんだけど。
それで色をつけたくて。
ピンクって言葉はよくないイメージがあるでしょ。
でも僕は綺麗だと思う。
そして現実には吊ってるけど上がっていくイメージ。
作っていくうちに手の届かないところにいって、作れなくなった。
作れなくなって4〜5年は仕事場を建てたりして。

M
イメージが出るときにはスッと出るというのはわかります。

F
それを待たないと仕方ない。
そもそも一人の人間にそれほど色々なイメージが出るわけではない。

M
昔からのイメージが反復してやって来ますね。

F
今考えると若気のいたりだったね。
一日考えたら翌日は考えないようにすれば2倍生きられるのに。
毎日毎日ね。釣りをしてても「これでいいのか」とか。
やっぱり2日くらい勤めて2日くらい作ればいいのか。
今の時代はそうもできないかもですが。

M
(私は)すみませんと思いながら生活してます。
朝起きて、ご飯を食べる前にちょっとだけでも描いて。
それをためたからといって作品になるとは限らないですが。
何年かそうしています。
先生のように沢山の作品を作られている方を見ると
若いときにもっとしておくべきだったと思います。

F
若いときにしかできないことがあるからね。
日本には美術教育がないから。
僕も彫刻を始めたのは遅かった。
はじめ建築家になりたかった、というよりは
大工さんになりたくてね。
母の弟か大工で、普請場によくいってたから。
それで高校は建築科に行ったんだけと、当時は
安藤忠雄のような人はいなくて、
大きな会社に入らないとダメだった。
そのうちガウディとか見て天井とか付随する彫刻に興味がうつって彫刻家になった。
でもそれでは食べられない。
食べる仕事をしたらそういう仕事がどんどんきて
製作できなくなるし。
美術館に作品が売れたのは40歳過ぎてからです。

M
最近はマーケットがあるから早く売れますよね。
…なんだかまとまりませんが時間がきましたので質疑応答にはいります。


****

問。
作品を作っていて楽しくなるのは、
どんなときですか。

答。
楽しいことはひとつもありません。
1回もなかったと思います。
ひとりでに時間がたっていく。
そしてこれは明日やろう、ということの繰り返し。

問。
風景彫刻のシリーズが好きです。
1/50の縮尺だそうてすが、建築に通ずるところが?

答。
そんなこと言ったかな…
波の作品を作ったときには磨くのが大変だから
自分の指の幅にしたりしたけど。
記事になると言葉が一人歩きしますね。
《ピンクバルーン》のときもその時の自分の「息」
を作品化したのに「空気」という言葉に変えられた。

問。
福岡くん、中学の同級生です。
世間ではご存知ないかたが多いですが、彼の行った
大阪の研究所というのはそうそうたる方々が行かれたところで500人に一人しか卒業できません。

答。
デッサンの勉強をしようとしていたんです。
すごかったですから。
でもデッサンが上手くて有名になった人はいませんね。
しかし美術学校にはデッサンのうまい人が入ってしまう。
大事なことは自分で感じとらないと誰も教えてくれません。
彫刻の世界は旧弊で絵画の人たちが面白くしていきました。

問。
ユーモアのある作品があるので好きです。
《何もすることかない》はFRPの板に電気ドリルで
文字を刻まれていますが、どうしてそのような作品をつくったのですか?どのくらい時間がかかったのですか?

答。
できたのは偶然です。
しかしドリルで肩を痛めてしまったので、毎日
三行くらいずつ書いていくことにしました。
いい仕事みつけたな、と思いましたね。
途中で飽きてきて絵を入れたりして。

問。
若い人たちが仕事をしながら制作活動することについて何か。

答。
日本に現代美術は要らないのじゃないか。
私も若いときに思っていたようなことはできていません。
昔は貧しくて、でもたまに来るデスマスクとってくれ
なんていう仕事は引き受けなかつた。
8才歳上の妻に食べさせて貰ってました。
妻は中学の教師で、でも中学が荒れた時に辞めたいというので
僕は42歳で初めて短大に勤めました。
今は日本も経済的に豊かになりましたが
制作のできるのは10年くらいしかない。
50/60歳になってからではできないよと言いたい。
スポーツも文学も音楽も一緒でしょう。


問。
昔からのファンです。松井さんから「過激だ」という
言葉がでましたが、私は先生の作品は「反抗的」だと
思っています。
どのようにして作家としての姿勢を
確立されたのでしょうか。

答。
時代のせいでしょう。肩肘張らないと通用しなかった、特に大阪では。
「どこの団体に出してるの」と訊かれる。
どこにも出してないというと相手にされない。
出してない人は出しても落選するから出さない人。
どこにも出さないで彫刻をやるのはあり得なかった。
僕は1日に1つ作品を作った。
それでキャンセル待ちをして個展をやって有名になっていった。
美術学校には行かなかったけれど、入学試験で面接をした先生とすぐに同じ展覧会に出すようになった。
働かなくても食べさせてもらえたから苦労はしていないけれど現代美術は肩肘張らないと相手にされない。

問。
作らない宣言をしながら彫刻家の肩書きを
捨てられない理由は?

答。
今は彫刻家へのこだわりはないです。
80歳だし、普通のおじいさんでいいですよ。
僕はぶらぶらするのが好きだし思想もない。
今回の展覧会ね、「つくらない彫刻家」って困るよね。
みんな、会場に作品が並んでるのはおかしいと思うんじゃない?

福本「つくらない彫刻家」という副題を決められた
のは先生ですよ?」(会場爆笑)





12月24日まで。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2017/fukuoka.html

フォト


*****

B2では

態度が形になるとき
〜安齋重男による日本の70年代美術〜

として画廊や展覧会の貴重な記録写真が展開されています。
作家の近影、多数。
70年代ですからね、皆さん若い。。。

スタジオの高松次郎とか
制作中の関根伸夫とか
サイコー!

所蔵の関連作品も

田窪恭治《黄昏の娘たち》
工藤哲巳《水槽の中のあなたの肖像》
河原温《I am still alive》

など見ごたえがあります。
こちらも12月24日まで。


4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する