宮沢賢治の弟・静六氏が児童向けに書いた「兄、賢治の一生」を読んでいると、最後のページで賢治の臨終前後についていちばん身近な肉親が見た賢治の様子が記されている。
1933年(昭和8年)9月21日のお昼近く。2階から「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」という高い声がしたので、家中の人が驚いて2階に集まった。父親が「遺言することはないか」と賢治に尋ねると賢治は答えた。
「国訳妙法蓮華経を千部おつくりください。表紙は朱色、校正は北向氏、お経のうしろには『私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手元にとどけ、その中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られますことを』ということを書いて知己のかたにさしあげてください」
賢治はそれから少し水を飲んでから、オキシフルをつけた脱脂綿で自分の体じゅうを拭いて、その綿をぽろっと落としたときにはもう息を引きとっていた……。
ほぼ遺言となる父との会話の中に出てきた「無上道」という言葉に、引っかかった。
私が研究している詩人は宮沢賢治に親しみを覚え、想念の中でたびたび賢治に語りかけている。賢治を偶像崇拝していると言っても過言ではないのだが、詩人は「無上道」「無上菩薩」という単語を幾度か口にしている。詩人は宮沢賢治から「無上道」ということばを受け取って使ったのか、それとも仏教の経典から得たのかこうなると、宮沢賢治のありとあらゆる著作物に目を通して、無上道をはじめ他にも詩人と共有する概念やキーワードを探したほうがいいだろう。でも、膨大な時間と気力を要する作業だ、とため息をつきながらダイニングテーブルに移ったら、大相撲は日馬富士と宇良の取組が始まろうとしていた。
宇良の表情をカメラが寄せで大写ししている。澄んだ目だ。対戦相手の日馬富士を見据えるような視線はない。やや気弱な表情に見えたが、怯んでいるわけでは決してない。
相手を見ないで自分を見る、というように、私の目には映った。この一番、横綱に勝つのではないかな、と宇良に好意を寄せた。
結果は宇良に軍配が上がった。
昨日の夕方、白川道の長編『神様が降りてくる』を3日がかりで読み終えた。ページ数は630ページある(新潮文庫)。結果的に白川の遺作となったということと、葬られた戦後沖縄の真実と、壮絶な恋愛小説という3つの要素から、食わず嫌いでこんにちまで一冊も読んだことがなかった白川道の本を読もうとしたわけだが、ハードボイルド+歯の浮くような恋愛ドラマ+ミステリー+社会正義を問う+悲劇などなど、内容が盛りだくさんで、最後の最後までこの小説が優れた作品なのか、自分として面白いのかつまらないのか、わからず仕舞い。もっとも、これまでの自分の人生が面白かったかつまらなかったのかも分からない私なのだから、そんな一義的な2択の自問自答なんて、なんの意味もない。最後まで著者のテイストを味わって読んだ、で十分だ。
が、300グラム級のステーキを食べたようなハードさがしんどくて、口直しに短い短編小説を2本、読んだ。ひとつは、ジャック・フィニーの『ゲイルズバークの春を愛す』に収められた「愛の手紙」。時空を超えた男女の愛を描く世界でもっとも美しい恋愛短編だ。もう一篇は、日本の某脚本家が書いた、短編小説というよりもシナリオに近い恋愛短編で、これについては昔むかしから、いつか(わずか400字20枚くらいの短編を)1冊の本にしたい、と思っていて、いずれその脚本家に手紙を書くかもしれない。
この2篇を読んで、夜11時半、ソファーでだらしなく寝そべりながらMacBook ProでYouTubeを開いて音楽動画を楽しんだ。最初、岡林信康をとっかかりに2曲聴いて、関連動画から泉谷しげるのライブ映像も2曲。2曲目は私の母校での野外ライブだった。それで大学名で検索を掛けたら、30分という長尺の大学案内があったのでクリックしてみた。
在学中の20歳の学生がキャンパスを歩き回ってボケをかましている。ぺらぺらとあることないこと交えてよどみなく軽薄に喋り続けているだけの代物だ(
https://www.youtube.com/watch?v=wMvr-XM2bsI&t=2s)。そもそも私が在籍していた当時と現在では40年の時を隔てているので、もはや別の大学と言っても過言ではない。昨年、大学を訪ねた際には立て看がきれいさっぱり無くなっていて、(日頃から軽蔑している)慶應大になっちゃったかと思ったほどのショックを受けたのだが、根っこはあまり変わっていなかった。まったくくだらない動画だな、とも思いつつ、結局最後まで見てしまった。さらには彼が作った他の動画も3本見てしまい、入眠剤を飲んだのは午前1時過ぎだった。歪んだ時空間を舞台にした短編を2本読んだせいだったのだろう。精神はたとえ社会が崩壊しようと自由自在に飛び回ることができる、現実の些事より大切なのはこの自由さである、みたいな悟りを一瞬、啓いたような気になったのだが、朝起きたら、やはり消えていたのだった。
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