mixiユーザー(id:21651068)

2017年04月23日11:49

551 view

快慶

快慶といえば東大寺南大門、高さ8.4mの金剛力士像。
しかし実際には約90cmの「3尺阿弥陀」が多く残されているのですね。


快慶
〜日本人を魅了した仏のかたち〜
@奈良国立博物館
フォト



快慶の作品36点、関連作品・資料52点。
像内納入品など文字資料も多い展示です。


快慶のスタイルは
「安阿弥様(あんなみよう)」
均整のとれた身体に眉美秀麗な面相、整った衣文を特徴とします。
いわば平安のシンプルな形式に実在感と親しみやすさを加えたもの。
躍動的な金剛力士像のイメージと違っているのが意外でした。

運慶と違って、快慶の作品はほとんどが西日本に残っているというのがその鍵になりそうです。


会場を廻ったあとは公開講座に参加しました。

◆快慶を生んだ社会と宗教
横内裕人(京都府立大学准教授)

横内先生の専門は中世仏教史。
よって快慶の生涯や作品についての解説は以後の5/13と5/27に行われる別講師の講演会にゆずり

今回は快慶の登場する時代背景のお話です。

内容は展覧会図録に載っている横内先生の解説とほぼ同じ。

しかし文献の読み解き方など大変興味深いお話でした。

◆まず、快慶は単なる彫刻家ではなく
【仏師+浄行の浄土経信者】
であったこと。

それは例えば次のような資料でわかります。

・東大寺八幡大菩薩
「奉造立"施主"巧匠アン阿弥陀仏快慶」と記載→単に頼まれて作るだけでない"施主"

・長谷寺十一面観音
「当世*並肩人*その身浄行なり。尤も清撰たるか」
→単に腕がよいだけでなく人柄や信心深さの評価

さらに快慶の名前が初めて登場する
・運慶願経(国宝)1183

運慶が発心した阿弥陀経です。
展示されていたのは第2・3巻ですが 個人蔵(!)の第8巻の奥書に「快慶」の名前があります。

写経された様子についての記述があり、比叡山と三井寺と清水寺の霊水で墨を摺っていたり
一行毎に3度礼拝したり…作法とはいえ法華経は4090行ですから、それを二巻というと大変。
「礼拝5万、念仏10万」もあながち誇張ではない。
かかわった者の名前が50人、そして書かれた場所は後白河院の住居近く。
他の作業をストップしてまで一門を挙げての写経です。
「今でいう会社の決起集会のようなもの」。
(快慶は運慶の父・康慶の慶派所属の仏師で運慶には一歩引いたところがあります)

なぜこのようなことが行われたのでしょうか。

◆東大寺炎上の衝撃

1181年、平重衡が清盛の命により寺社勢力をそ削がんと東大寺・興福寺を焼き討ちにしました。

東大寺の大仏殿消失が人々に与えた衝撃はいかばかりだったでしょうか。

すぐに後白河院がうごき、重源による東大寺再建のための勧進がはじまります。
奈良では大仏頭部の鋳造が開始され、
京都では先のような法華経写経。
写経の軸には焼失した東大寺の柱の焼け残りが使われました。

◆首都争奪戦争

寿永2年は
7/25 平家都落ち 義仲入京
8/20 後鳥羽天皇即位(政権交代)
11/19 法住寺合戦(院の敗北)
という目まぐるしい年でした。源氏が来たからといって京は平穏にならず混乱の極みです。

◆呪詛

混乱のなか後白河院は政敵への呪詛を行います。
醍醐寺の勝賢による転法輪法、東大寺の弁暁による読経、
真言・天台密教の頂点にたつ僧侶を総集した調伏法など。
しかし院が敗北したのは前述の通り。
これは崇徳院や藤原頼長ら、保元の乱敗者の怨霊の仕業とされるようになります。

◆大仏と救済

東大寺大仏再建が行われたのはこんな時代でした。
快慶も東大寺再建に係わったことが飛躍の舞台となります。

1185年、大仏開眼供養の年の3月には壇之浦で平家が滅び、安徳天皇が亡くなっています。

戦乱はな亡くなった多くの者はもちろん、勝者にとっても罪傷であり
政治的に勝っても社会は不安でした。
そこで施政者側では多くの供養イベントが行われるようになります。

・慈円大懺法院
「保元以後乱世の今、怨霊一天に満ち、亡率四海に在り。…この怨霊を済度しこの朝家を扶助するは唯だ仏法の法力に在り」

◆ 想いを形に

一方、人々に対しては

「西方浄刹の所度の菩薩は形色端正なり」
→菩薩は端正

「弥陀の名号を耳に触れて信を起こし、口に唱えて実を至う。若男若女の類も、分に随い身に当って端正の果報を得すらうと覚え候なり」
→阿弥陀の名号で端正の果報

「拙き人界の果報だにもその貌端厳美麗に成りぬれば人愛を受け、渡世を増すをも因縁にてこそ候なれ。増して弥陀の名号の勝利、聞名の得益にて色相を具足し、容顔端正ならうずる時、今生の衆人、愛敬のさる事にて終に浄刹の往生を遂げて如来の哀憐を蒙り海会の聖衆に交て人天の仰崇を受ける」
→阿弥陀名号で容顔端正。往生を遂げる。

…なんとまあ分かりやすい。
快慶の阿弥陀仏が端正なのは人々の理想のかたちを表しているからなの。。。

フォト



6月4日まで。(5/9展示替)
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2017toku/kaikei/kaikei_index.html
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する