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2016年09月03日05:47

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須田悦弘

須田さんの《薔薇》、ひと月足らずで変化していました
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(左が一月前、いまは右)

開催中の《木々との対話》展、出品作家のお一人である須田悦弘さんのトークイベントに行きました。

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東京都美術館開館90周年記念
木々との対話〜再生をめぐる5つの風景
いとうせいこう×須田悦弘トークショー
「植物に動かされる僕たち 」
@東京都美術館 講堂

薔薇、百合、朝顔、露草。
スルメ、母子草、雑草、チューリップ、泰山木、木蓮 etc.
トークの間ずっと、お二人の背後のスクリーンには須田さんの作品が次々と映されていました。

半袖の白シャツの須田悦弘さん。メガネの奥の目がにこにこと優しそうです。

都美の司会者からトークショーの趣旨説明。
展覧会の準備で何回か須田さんと打ち合わせを重ねるなかで
「植物はいかに恐ろしいか」「どうして作品を作るか」というお話から
「作らされている感」という言葉が涌いてきました。
それはいとうせいこうさんが著書で同じ事を書かれているなと思いましたが、
須田さんはいとうさんと面識はないと。
それならこれを機会にお引き合わせしよう、と今回に企画となりました。

お話はまずいとうさんが須田さんの作品を見た感想から始まりました。

いとう(以下い)「まず軽いと思いました。
そして、植物ってこうだよね、と。単体であろうとしないし、いつの間にか生えてくる別種な生命体だと。
一方で、木で植物を作るというのは同時反復のようだがあの軽さ感は違う。
これは植物にイヤミを言ってるなと」

須田(以下須)「軽い、というのは初めて言われました。実際に作品を持つと厚さは本物と同じなのですが水分がないので軽いです。
イヤミとは…光栄です(笑)」

い「ドライフラワーを生きた状態でしている感じというか」
須「玄人目線ですね」

須「学生のとき、木を彫る機会がありまして。
その頃舟越桂ブームだったりしたものですから、小さな舟越桂を彫ったりしていました。
山梨県出身なのですが東京に来るまで植物に興味はなかったですね。
いろいろ考えずに始めて、ふとあるとき植物で植物を作っている、と気づきました」
い「鉄で作るとかいうならわかるけどね」

須「20年以上ホオの木を使っています。ホオにしてみたら迷惑でしょうね」
い「"俺は朝顔じゃない"(笑)」
須「柔らかすぎず堅すぎず。密度とか。素直で彫りやすいです」
い「舟越も木だね」
須「くすのきですけど。木彫はくすのきが多いんです。大きいし」

須「学生時代はグラフィックデザインをやってたんで、基礎の授業しか勉強してなくて。彫刻科の人の前に出すときはなぐられるんじゃないか、ふざけるな、なめるなと言われそうでビクビクしてます」

司会「最初に掘られたのが《スルメ》ですね」
須「基礎造形の授業で干物を彫って彩色するのがあって。干物を忘れたんです。そうしたらたまたま隣の子がスルメをパックで持ってきてて1枚借りました」
い「これが初めて!?」
須「1ヶ月かけてるうちに段々面白くなって、完成して学校に持っていったら周りに誉められて」
い「でも植物じゃないね」
須「美大の購買で1本300円くらいの彫刻刀を買って。一方でイラストを描きながら彫刻してました」

い「須田さんのは円空が近いかな。ホオもあるかな」
須「可能性はありますね」

い「彫刻はいわば植物の亡骸だよね。枯れると軽くなるけど形は変わらない。仏像だって生きてるようだけど亡骸となってからの方が長い」
須「申し訳ない感はあります。木材は死体なのでそれを切り刻んでいるという罪悪感はすごくあって、たまにざわっとする」

い「ホシノトミユキが『想像ラジオ』の解説を書いてくれたとき、そのなかで樹木で生きてるのは樹皮だけだって言うんだね。真ん中の材木に当たるところは死体。死を抱えてふくれている。何千年も生きてるなんて嘘で皮1枚で死をとめてる、骨格はすごいけど実は死んでる。人類も死を抱えながら生きてるんだと。
あ、僕らが死んでると思ってるだけか?」
須「宮大工さんとかに聞くと、木は百年たっても日光の方へ反っちゃうそうですね。殺して生かすというか、建物になってから木としては死んでるけど建築として年月に耐える」
い「我々のシステムとは生きてることの意味が違う。植物には脳はないし科学的にこうだとか言うけど人の頭で考えてるだけで合ってるかどうか」

い「本にかいてあることと違う時があるよね。よかれと思ってやった肥料が?とか」
須「個体差とか」
い「くたっとして"水やれよ""死んじゃうけどいいの?"とか。手首を切って見せる人みたい。
杏の鉢を育ててて実がなりました、って文章にかいたら専門家から沢山抗議が来たの。異種交配だから1本では実がなりません、って。でもなった実を食べてるこの現実は?
まあ実際は薔薇かなにかがついたのかもしれないけどね」
須「プロは言わずにいられないんですね」
い「杏から反論されてる。俺たちのことどこまでわかってるわけ?って」
須「育てさせられてる感」

い「竹下さんっていう植物ブリーダーは植物に動かされてるって言う。最初は風媒花。次に虫媒花。今は人間を使ってる」
須「彫りはじめた頃は、自然に生えてる植物が尊いと思ってました。花屋で売ってるようなのは軟弱だと。
でもちょっと調べてみたら、例えばチューリップ。トルコ原産でヨーロッパに渡って大航海時代に拡がった。人間が広めたのはなぜ?食べられないし薬でもない。きれいだ?なぜきれいだと思ったの?思わされたんじゃない?
チューリップが人をみてこいつは使えると。これまでは虫を使ってたけど…」
い「ウイルスが入ると斑入りになったりするらしいね斑入りになったのってわざとじゃない?
人は植物は動かないって思ってるけど、伊藤慎吾が言うに、温暖化すると標高の高いところへ上がる。10年20年単位で歩いてるっていう。かれらの尺度で。
株分けとか言うでしょう。もとは植物のことじゃない?資本主義だってチューリップが作ったんじゃないか?」
須「人間はお金払って移動するけど植物は大事にご招待されてる」
い「地球に何億年も生きてるからね。
銀杏なんてね、絶滅しかけて中国のある谷にしかない、みたいになったことがあるらしい。でも葉っぱの形が面白いっていう人間がいて、
日本で神社やお寺に植えてそれをオランダ人が持ち帰って街路樹にした。
一発逆転で世界に拡がったんだよ」


須「作品がホオです、というとそういう用途として拡がる。美術館で作品を見た人が面白がってくれるのは広告のようなもの」
い「雑草いいよね、とか朝顔植えようか、とか」
須「花が単体として絵画作品になるには結構時間がかかったんだけど日本ではかなり前から描かれている。花が好きなんですね。家をたてると花描いてもらって、それを見た人が梅植えようか、とか。農家とは違う間接的な関わり」

い「人はいびつだからウイルス入りの花を喜んだり。
純白の花っていうのは虫には見えないらしいね。虫媒花としては失格。もうひとつ向こう(の人間)を狙ってる。虫を使うのは古いよねーとか(笑)」
須「北極南極まで住んでるから人の方が。温室とか自然にはあり得ない形でも増やしてるし」
い「砂漠を緑化してるのは本当に人間のためなの?
植物という生命体が降ってきて酸素を作ってようやく僕らは生きてる。彼らの方がノーマルじゃない?」
須「懐の深さは太刀打ちできない」
い「植えてもいいけど増えちゃうけど?いいの?とか言われてるかも」


司会「作品は植物の部分であるということについてお話いただけますか」

須「例えば薔薇は葉が二節ついた状態が好きだとか、雑草のサイズ感はあのくらいがとか、個人的な好みですね」
い「それ、俳句的ですね。生け花的というか。5・7・5の発句だけで終わり」
須「学んではいませんが生け花の影響はあります。哲学的でそこで完結する美があって」
い「それで様子がいいんですね。
それ以上飾っちゃおしまいよ、という。それ以上はこちらが考えればいいことで」
須「有り難うございます」
い「普通はもっと繁茂しちゃいますからね。朝顔があれだけってことはない」

い「いまも映像に出たけど象にのった普賢菩薩の後ろに雑草の作品が。
他の人の作品に雑草が寄生してる!」
須「あれは大倉集古館の国宝なんですが、ちょっと置かせていただけますか、と恐る恐る言ったら、いいですよと。あれが古いものに寄生した最初です。仏様のご加護というか」
い「仏像は喜んでるんじゃないですか。元々お堂の中にあったんだから苔もあっただろうし。
みうらじゅんが阿修羅で当ててから、地方に行くと秘仏があるんですけど、って売り込みがすごいのよ(笑)仏像の展覧会に須田さんの作品があっていい」
須「あるとき、古美術の先生が「国宝のケースに雑草が生えてる!どんな管理をしてるんだ」と怒ってこられたことがあって。
あれは現代美術の作品ですとお話しされたら、ああそうなの、面白いねと言われたとか」
い「寄生作家ですね。もうちょっといい寄生先ないかなーとか」
須「機会は、望んでると案外転がり込んできます。
MOA美術館では光琳の紅梅白梅図の前に花弁を置かせていただきました」
い「これからの展覧会では"須田さんの作品が足りないんじゃない?"なんてことになるかも」
須「あくまでもおじゃまします、というスタンスです。
役割分担として、美術業界でも雑草でいいかなと」
い「いろんなところに欲しくなってきたなーうちはどうかな」
司会「一応ギャラリーを通してくださいね。
個人的なご依頼は受けませんので(笑)」


司会「作品は木が主体ですね。死んでいても生きている、そのあたりは」

い「個体で考えるから死んだとか言うけど、1度枯れても根っこが生きててまた生えたらそれは?種は?
我々は種とか言うけど」
須「冬枯れて春生えてくるのは同じものか」
い「ブリーダーの見事な鉢も一年後には無惨だったりするのは先祖帰りかな。
植物を見てると、個体が死ぬのは大したことではないと思える」


い「こうして人に話を聞いてもらうのは花粉をつけてるようなものですね」
須「展覧会ではというのもある意味で」
司会「今日来られたかたは皆さん…(笑)」


司会「作品の作り方についてお話下さい」
須「1木でなくパーツを組み合わせます。花弁はひとつずつ。
枝は5・6パーツ。
その方が時間も材料もかからない。初めは1木でしたんですがそうするとほとんどが削りかすになるので。
朝顔の葉は3パーツ、弦は10パーツ。木工用アロンアルファで着けてます」
い「そのあたりも5・7・5ですね。繋ぎ合わせて世界を作る。古池や、の次に異質のものを繋げていきなり音の世界に拡がるような」
須「すごく誉められてるなー」
い「今のところ実在するものを作ってますけど架空のものは?
植物だって現実に接ぎ木とかありますよね」
須「可能性はありますね。難易度上がりそうですが」


司会「客席に舟越桂さんがいらっしゃってますのでコメントを」

舟越「面白く拝聴しました。あ、僕の作品のそばなら展示していただいていいですよ(会場拍手)。
あとね、(植物の)中は死んでるということですが何百年と腐らないものが死んでいるのか。のみで彫ると内側は美しいんですよ。生と死がともに存在してるというか」
司会「何年も寝かしている木も彫るといい香りだそうですね」
い「藍なども染めたあと何年も染料が入り続けると聞きました。生きているようです」

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一時間半のトークはあっという間でした。

今後の予定として須田さんは館林美術館の『再発見日本の立体』や
茨城の芸術祭に参加されるそうです。

いとうせいこうさんは『下町メディア映画祭』で検索してくださいとのこと。

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やっと都美の夜景を見ました。
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