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2016年06月12日01:26

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遠藤賢司のいる風景

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久しぶりに1991年に発表されたエンケンさんの二枚組ライヴ盤『不滅の男』を聴く。

オープニングを飾る「不滅の男」は、数あるこの曲の演奏の中でもエッジの効いた「ロック的なカッコよさ」では屈指のテイクだと思う。

オープニングの勢いのまま、「満足できるかな」「踊ろよベイビー」と代表曲のフリーキーでアグレッシヴな演奏が続くのだけど、ラフな音質も含め、おそらくテレヴィジョンの名作ライヴ『ブロウ・アップ!』を意識して編集されたアルバムだと僕は勝手に思っているのだけど、真相はいかに。

いずれにせよ、『ブロウ・アップ!』に負けず劣らぬ鬼気迫る演奏がCD二枚組合計90分近くにわたり繰り広げられている壮絶な大実況録音盤。

全編クライマックスで息を吐く間もないけど、白眉は二枚目冒頭の「輪島の瞳」かな。「ちょっとマッドマックス風にいえば ワンス・アポン・ア・タイム」と歌い出されるこの曲で、プロレスラーに転向した昭和の大横綱・輪島に託して人としての生きる覚悟が歌い上げられる。

 日本海の荒波に揉まれた
 幾多の歴史と未来とを
 満々とたたえる 
 その輪島の薄茶色の瞳は
 俺の 体全部に語ってくれた
 そう こう語ってくれた

 いつだって一生懸命やらなきゃ
 人の心なんてものは 
 決してうちはしないんだと
 そう そうだよね 輪島 
 俺はここに そう 輪島はここに

 プロレスはショーで八百長だから
 なんて偉そうに言うやつに限って
 何もわかっていない これからもきっとわからない
 だって他人に毎日 ニッコリこんにちわ
 どうかよろしくなんか頭を下げて
 毎日八百長ショーのくせに 毎日八百長のくせに
 他人の八百長を けなすやつなんか俺は信じない

 本気で生きてるやつなんかいたら 俺はお目にかかりたい
 本音で生きるってことは 死んじゃうってことだよ

 何かプロレスが 八百長だからなんて
 今からでも遅くはない 偉そうに人に喋る前に
 もっと自分の八百長にせよ 頑張ればいい
 そうさ そうだよな 輪島

 そして今日この頃 輪島の瞳は そろそろ曇ってくる 
 なんてことは誰にも言えない
 晴れのち曇 曇のち腫れ 
 誰だって悪いことを言えば ノストラダムスの預言者もどき
 世紀末なんかありゃしない 丹波哲郎だけは言ってもいい

 死ぬほど本気で そうして運悪く死んじゃったって
 そいつの痛みなんか 誰に分かる? そうだわずか
 どうせ君の痛みなんて 誰にも分かりはしない 
 そうそうそれは誰でもそうだけど

 だからいつまでも 本気でわぁ痛いよう 怖いようって 
 強がりいっぱい叫び続ける 
 そうすれば他の奴には ほんのわずかだけど 君の痛みが走る
 そうその痛みが でもそのほんのちょっとが大事なんだ 
 そのほんのちょっとが大事なんだ それが君の試合を見せては
 人々の足を会場に運ばせる
 何千 何万 何億 何兆 リクルート

 その ほんのちょっとだけが この全世界の株式会社を 
 今日まで動かしてきた

 いつか 輪島!君は言ってたよな
 テレビのコマーシャルで言ってたよな 
 僕のおじいちゃんがね
 僕がプロレスにデビューするとき こう言ったんだ
 大士、また 基本から
 やればいいんだよっておじいちゃんが言った

 いいおじいちゃんだよな輪島な そうなんだ また
 基本からやればいいのさ 俺も基本からやる
 よけいなことだけど基本からやる

 輪島 ごめんな 偉そうに余計なことばかり 言ってしまった
 俺も頑張るから
 だから黄金の左腕で 相手の喉首をゆすりあげな
 相手の後頭部を死ぬほど マットに叩きつけてやれ

 でも君にはかなわない 輪島 君にはかなわない
 いま聞いてるか? 君にはかなわない
 でも俺は頑張る! 俺のやり方で

 輪島 君のその真剣な瞳は
 眼を閉じた俺の奥底で 今もメラついてる
 輪島 ありがとう ワァジマー! 輪島(遠藤賢司/輪島の瞳)

特に「八百長」のくだりが胸を打つなあ。ちょっと、ディランの「やせっぽちのバラッド」に通じるものもある歌詞だと思う。

「遠藤賢司」という名前を僕が初めて知ったときのことは鮮明に覚えている。それは、大学一年のとき、『週刊漫画アクション』に連載されていた、よしもとよしともの『東京防衛軍』の一コマだった。この漫画は、長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』にも通じる、70年代の過激化した学生運動と90年代のオウム真理教事件をつなぐ位置にあるミッシングリンク的かつ予言的な作品だと僕は思っているのだけど、世紀末的幻想をポップに描いた物語のラストで、エンケンさんの「東京ワッショイ」の歌詞が印象的に引用されているのである。

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「結局は遠藤賢司の歌にある通りさ……嫌なら出てけよ俺は好きさ東京…ってな」(よしもとよしとも『東京防衛軍』)

遠藤賢司って誰だろう……と思いつつ、しかし当時の僕は邦楽全般に興味がなかったので、それ以上の探究心は湧かず、結局エンケンさんもその時は聴かずじまいだった。その後も全作品を聴いたわけではないから、僕は今に至るまで熱心なエンケン・ファンと自称する資格はない。

「嫌なら出てけよ俺は好きさ東京」という印象的なフレーズで心に刻まれていた遠藤賢司その人と実際に出会うことになるのは、その名前を初めて知ってからちょうど10年後のことだった。

2000年、それまで勤めていた出版社を辞めた僕は、知人に紹介され、日銭稼ぎに家の近所の音楽スタジオでアルバイトを始めたのだけど、そのスタジオの常連さんにエンケンさんがいて、本や音楽の趣味が合ったこともあり、親しく会話をさせてもらう程度の関係にはなったのだった。

「遠藤賢司」といえば、よしもとよしともの『東京防衛軍』のあの人じゃないか! と初めて直にお会いした時、早速『東京防衛軍』の話をしたのだけど、エンケンさんはこの漫画のことは知らなかった。当時は浦沢直樹の『20世紀少年』が連載され始めた頃で、その主人公の名前が「遠藤ケンヂ」であることの方が、エンケンさんとしては気になっていたようだった(その後『20世紀少年』が映画化された際には、エンケンさん自身出演することになる)。

当時の僕は、小さな文学賞に入選したりと、近しい間では、小説家として喰っていけるのではないかと応援半分で期待されていたのだけど、エンケンさんも僕の小説を読んで、激励してくれたことなどもあった。ちなみに、エンケンさんは僕を励ますつもりで、僕の小説が掲載された冊子を買って、それにサインをねだったりもしてくれた。今に至るまで、僕が誰かにサインをしたことがあるのは、これが最初で最後である。僕が唯一サインをしたことがある相手が遠藤賢司だというのは、ひそかな僕の誇りである。そういえば、駒沢大学駅前の名タイカレー屋ピキヌーで、エンケンさんにカレーを奢ってもらったこともある。「カレーライス」のエンケンさんにカレーを奢ってもらったことがあるというのも、ファンからしたら贅沢過ぎる体験だろう。きわめつけは、エンケンさん愛用のホワイトファルコンを弾かせて貰って、あまつさえトレモロアームを引っ張り過ぎて弦を切ってしまったことである。エンケンさんのギターを弾いて弦を切ってしまった――一生ものの思い出である。

そのスタジオでのアルバイト時代、「東京ワッショイ」の「嫌なら出てけよ俺は好きさ東京」という歌詞は、エンケンさんとしては漱石の『草枕』の冒頭の文章と同じことを歌ったものなのだ――とか、色々と貴重な話を聞かせてもらった。逆に僕はエンケンさんにハノイロックスやオンリーワンズを教えたりもした。エンケンさんにハノイやオンリーワンズの素晴らしさを教えた男である――というのもまた、ひそかな僕の誇りである。当時のエンケンさんとの交流は、いつかちゃんとまとめて文章にしたいと思っている。

なにしろ、僕が小説の次回作を書くまでは、エンケンさんには生きていて貰わないと困る――今日のニュースに接して第一に思ったのは、そんな身勝手な僕の都合だった。けど多分、それでいいのだと思う。エンケンさんも、次のように歌っているのだから。

「オレは、オレのためだけに歌ってる」

「誰かを癒したい」とか「誰かの役に立ちたい」とか痒いスイーツなことはいわず、まずは自分のために、自分のやりたいようにやる。その結果誰かを癒したり、誰かの役に立てば、それはそれで結構だけど、それは自分のあずかり知らぬこと。俺はただ俺のやりたいようにやっているだけだ――というダンディズム。僕がエンケンさんから何かを受け取っているとすれば、この「自己本位」(漱石)こそが最も大きいものになると思う。

だから、何より自分自身のために、史上最長寿のロックンローラー、まだまだ死ぬなよ!

歌手遠藤賢司、がん闘病を公表 4月から治療中
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4038604
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