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2016年05月04日13:32

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『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』――ロマン的なものの反復

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『「宇宙戦艦ヤマト」を作った男 西崎義展の狂気』(牧村康正+山田哲久)読了。

これは、『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーであり、覚醒剤取締法違反と銃刀法違反で逮捕され実刑判決を受け、4年間の服役を経た出所後、2010年に小笠原で水難事故により75歳で死去した西崎義展の伝記である。カサノバの回想録を評したハイネの言葉を借りれば、まさに「一行として共感できる頁はなかったが、一行として面白くない頁もなかった」という本だった。

一言でいえば「稀代の山師の一代記」という感じで、一編の痛快なピカレスク・ロマンである。西崎義展の作っていた映画より、彼自身の人生の方がよほど面白い。独善、傲慢、悪趣味、吝嗇、豪遊、好色、犯罪――とにかくやりたい放題の一生なのだけど、こういう桁外れの俗物だからこそ、『宇宙戦艦ヤマト』という宇宙的スケールの妄想的な企画を実現し、日本のアニメ界に革命を起こすことが出来たのかもしれない。欧米の映画界には、こういうタイプの半分ヤクザ者みたいな独立プロデューサーは結構いると思うのだけど、日本では他に角川春樹がいるくらいで、それが日本の映画界を良くも悪くもスケールの小さなものにしている。

関わった人物の名前も、手塚治虫、富野由悠季、安彦良和、松本零士、庵野秀明、宮川泰、阿久悠、舛田利雄、角川春樹、糸山英太郎、田中角栄、石原慎太郎、西村眞悟、本田美奈子、シャロン・ストーン、果ては先日のジャニーズお家騒動が記憶に新しいSMAPの敏腕マネージャー飯島三智――と、濃いー人たちがてんこ盛りで、昭和後期から平成にかけての芸能界裏面史的な面白さもある。

日本のアニメ映画に革命を起こしたとされる『宇宙戦艦ヤマト』は、しかし個人的には『機動戦士ガンダム』の出現によって過去のものになったという印象が強い。

それ以前のアニメ映画に較べれば、『ヤマト』も登場したばかりの頃は、特に宇宙戦艦の180度回頭や波動砲などの重厚な描写が観る者に桁違いのリアリティと衝撃を与えたのだと思われる。しかしその衝撃も、『ガンダム』のより緻密な設定によって乗り越えられてしまった。よく覚えているのが、小学3年のとき、夕方のアニメ枠の再放送で『タイガーマスク』が放映されていて、僕はそれを毎日楽しみに観ていたのだけど、ある日の下校時、同級生の庭山君から「僕は『タイガーマスク』じゃなくて『ガンダム』を観てるんだけど、とにかく今までのアニメとは違って凄いんだ」というような話を聞かされ、影響を受けやすい僕はその日家に帰ると早速『ガンダム』を観てみることにした。ちょうどその頃、同じ時間帯に『タイガーマスク』と『ガンダム』が再放送されていたのである。『タイガーマスク』から『ガンダム』へ――というのも今から振り返るとアニメ界における「時代」の移り変わりを象徴しているように思う。

僕がはじめて観た『ガンダム』は、第41話「光る宇宙」だったように記憶している。シャアをかばったララァがアムロの手にかかって戦死し、ギレンのソーラレイによってレビル将軍とデギン公王がもろともに宇宙の藻屑と消える回である。ア・バオア・クーでの決戦を前に、物語はまさに佳境に入らんとしているところだけど、初見で印象に残ったのは出撃前のシャアとララァが物陰で兵士たちから隠れるようにして接吻を交わす場面だった。当時小学3年生の僕にとって、随分と「大人な」場面を観たようで、「え、アニメでこんな描写までやっていいの」というような当惑と興奮を覚えたような記憶がある。正直、そのときは『ガンダム』の何がそんなに凄いのかよく分からなかったように思うのだけど、その後ほどなく巻き起こる『ガンダム』ブームの中に僕も巻き込まれ、いつの間にか夢中になって観るようになっていった。

当時小学3年生の子供にとって、『ガンダム』の何がそれほど新鮮だったのか。僕に『ガンダム』を教えてくれた庭山君の言葉がそれをよく代弁しているように思う。

「いままでのロボットアニメや『ヤマト』は、侵略してきた宇宙人と戦うというものばかりだったけど、『ガンダム』は地球人同士が戦うんだよ。それがすごくリアルなんだ」

この庭山君の指摘は、『ガンダム』の何が画期的だったかの秘密の一つを子供の直観で見事に捉えていると思う。「宇宙人が出てこないSF」――この設定は『ガンダム』がそれ以前のSFアニメにはなかったリアリティを獲得する上で決定的に重要な設定だったと思う。勿論、今の目から見れば、ファースト・ガンダムも結構古臭いロボットアニメの尻尾を引きずっているところも多々あるのだけど、あくまで地球人だけの物語であること、スペースコロニーや大気圏突入の描写、そしてアムロ他登場人物の非超人的な生々しい人間っぽさを際立たせる「日常」の描写――こういった設定が、『ガンダム』に僕らの生きる現実の歴史の延長線上の物語であるようなリアリティを錯覚させていたように思う。少なくとも、僕が『ガンダム』で最も好きになったのは、そういうディテールの設定のリアリティである。『ガンダム』は嘘臭くなかった。そして、一度『ガンダム』の洗礼を受けた目で『宇宙戦艦ヤマト』を観ると、もう何もかも嘘臭く安っぽく、以後、「ネタ」としてしか観ることはできなくなってしまった――これがリアルタイムにおける僕の感想である。

『ヤマト』から『ガンダム』への飛躍は、それこそネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの飛躍にも比すべき、アニメというジャンルに「種」としての決定的なエボリューションを齎すものだったように思う。『ガンダム』以降、基本的に『エヴァンゲリオン』ですらも『ガンダム』によって提示されたフォーマットを革命的に変えるには至っていない。

――という感じで、『ガンダム』の出現によって、『ヤマト』や他の松本零士関連のアニメは古臭い荒唐無稽な絵空事としか僕は受け取れなくなってしまったのだけど、それでもネタ扱いしながらも、『ヤマト』シリーズはなんだかんだとあらかた観ているはずである。そもそも、僕がはじめて観に行った劇場映画は、小学1年のときに父親に連れて行かれた『さらば宇宙戦艦ヤマト』だった。その後も、小学6年の時に『宇宙戦艦ヤマト・完結編』も父親に連れられ映画館に観に行っているのだけど、『完結編』のラストで延々と映画館の大スクリーンに映し出される古代と雪のラブシーンには親子で気まずい思いをしたものである。また、『完結編』が公開された1983年は、他に『幻魔大戦』や『クラッシャー・ジョー』も公開された年で、ジブリの一人勝ちになってしまう以前のアニメ界は、もしかしたら消費者の次元でも今よりずっと多様性はあったのかもしれない。



僕の中では『ガンダム』の出現によって『ヤマト』は基本的に「前時代の遺物」という評価が定まってしまい、基本的にその評価は今でも変わらないのだけど、『「宇宙戦艦ヤマト」を作った男 西崎義展の狂気』を読んで、それでも『ヤマト』が日本のアニメ史上において果たした画期的役割はやはり巨大なものがあったということは再認識させられた。『宇宙戦艦ヤマト』によって、劇場用アニメ映画がビッグビジネスになることを最初に証明してみせたのは、西崎義展その人に他ならないのである。『ヤマト』の成功がなければ、その後各映画会社がアニメ制作に資金投入することはなく、ひいては『ガンダム』や『ナウシカ』以降、「クール・ジャパン」にまで繋がるアニメ界の隆盛もなかったはずである。少なくともアニメ界の展開の仕方は『ヤマト』がなければ別の形を辿っていたはずである。それくらい、『ヤマト』はたしかにエポックメイキングな作品ではあった。そしてその革命を可能にしたのが、西崎義展というプロデューサーの、俗物性と昭和の芸能界らしいアナーキーな奔放さと、そして何より創作への情熱である。彼がそれほどセンスのいい人だったとは僕には思えないけど、それでも情熱だけは本物だったと思う。その桁外れの情熱が、海底に沈んだ戦艦大和を復活させ、宇宙へと飛翔させ、アニメ界に劇的な変革と永遠に消えない傷痕を残したのである。

アニメ界のクリエーターというのは、手塚治虫や富野由悠季、そして宮崎駿や庵野秀明がそうであるように基本的にオタク的気質の持ち主たちばかりであると思う。そんな世界にとって、西崎義展という無頼的な人物はあまりにも異質だった。それこそ、アニメ界にとっての「異星人」であり、デスラー総統だった。彼の出現が齎した衝撃は、当時のアニメ作家たちにある種の「危機」として受け取られたのではないだろうか。富野由悠季は西崎の死後次のように語っている。

「アニメ界で敵だと思ったのは西崎だけ。死んだ今になったって、その敵意は変わらない。アニメの素人が安直なSF設定と臭いセリフ連発のオリジナル作品を作って、それで大ヒットさせちゃったんだから許せるはずはない。あんな奴にだけいい思いをさせられないから『ガンダム』は『ヤマト』に絶対負けられなかった」(富野由悠季)

西崎義展と富野由悠季の関係は、ちょっと明治時代の硯友社グループと自然主義作家の関係の反復を思わせるものもある。硯友社の古臭いロマン主義を、自然主義作家たちは新時代の生活のリアリズムを持ちこむことで乗り越えようとした。アニメの世界における「ロマン主義」の集大成が『宇宙戦艦ヤマト』だったのであり、それを徹底した人間的リアリズムへの拘りによって乗り越えようとして作り出されたのが『機動戦士ガンダム』だったのではないだろうか。しかも、自然主義作家がそうであったように、一見、生活のリアリズム/人間のリアリズムでロマン主義を乗り越えたようでいながら、その実、『機動戦士ガンダム』も「ニュータイプ」というスピリチュアルな新手のロマン主義的概念にその作品の中核部分で捉われていたのである。富野由悠季の西崎義展への敵意は、ハイネがそうであったように、ロマン主義者がロマン主義者へ抱く敵意だったのかもしれない。

「反ロマン派的なものがロマン派の一部にほかならないことをみるには、ワーズワースの『プレリュード』や、哲学においてそれに相当するヘーゲルの『精神現象学』をみればよい。そこには、すでにロマン派的な主観的精神から客観的精神への「意識の経験」、あるいは「成熟」が書かれている。つまり、われわれは、反ロマン派的であること自体がロマン派であるような「ロマン派のディレンマ」に依然として属している」(柄谷行人『日本近代文学の起源』)

ロマン的なものがそうであるように、乗り越えられたと思われたまさにその時に「ヤマト」もまた暗然とアニメ界で反復され続けているのかもしれない。

最後に、あのあまりにも有名な『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌の作詞家である阿久悠が、獄中の西崎義展を擁護するために東京地裁へ提出した情状酌量のための嘆願書からの言葉を引用したい。

「ご存知のように日本は絶対的な企業社会で、プロデューサーという職名を名乗っていても、多くは企業内役職であります。本来プロデューサーは、個人の才覚と力量により、資金の調達から企画、製作、興行配給に至るまで全責任を負うものです。従って、成功すれば一躍長者にも英雄にもなり、失敗すれば負債を抱え込むというのが宿命です。
 しかし、日本ではそれが社業の中で処理されており、大ヒットで長者になった人も、不入りで財産を失った人もいないというのが、現状でした。それを西崎義展氏は破りました。喝采を送ったものです。
 日本という国、悲しいことに、サクセスが個人の手にあることを喜ばない風土があり、氏もまた、その成功ぶりを何かといわれたようでありましたが、私などは、個人が評価されることの一陣の風として、また、サクセスという夢を社会に存在させる証左として、この成功を喜んでおりました。
 それは、一個人西崎義展を富ますだけではなく、アニメーションという、世界に誇る日本文化のさきがけとなったこと、また、西崎氏が、才能に対するパトロンたる立場を自覚して、『宇宙戦艦ヤマト』という総合芸術に数多くの才人を起用したこと――等に繋がっていくのです。
 西崎義展氏と私の交際は、このように仕事を通じたものに限られておりますが、私は、ある世代からの人間の素顔や本質は、日常的交際よりも、むしろ火花を散らす仕事の中にあると信じていますので、氏を見誤ることはあるまいと、今思っています」(阿久悠)



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