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2016年03月10日23:31

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『アビイ・ロード』にはあって『レット・イット・ビー』にはなかったもの

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今夜は、サー・ジョージ・マーティンを偲んで、『イエロー・サブマリン』のB面と『アビイ・ロード』をメドレーで聴きつつ晩酌。

『イエロー・サブマリン』のB面には、映画『イエロー・サブマリン』のサントラとして使われたジョージ・マーティン・オーケストラによるクラシック・マナーの楽曲が収録されている。ビートルズ名義のアルバムに、カヴァー曲をのぞいて、メンバー以外の作曲による楽曲が収録されているのはこれだけだと考えれば、ジョージ・マーティンこそが「5人目のビートルズ」の名に最も相応しいと、世界中の無数にいるであろう「6人目以降のビートルズ」の一人のつもりである僕も納得する次第である。みんな、本当はビートルズになりたいのである。ベイビー、君のビートルズは僕!

それにしても、クラシック音楽を身体レベルのみならず、知的な教養としても自分のものにしていない人でなければ、このサントラはとても書くことはできないだろう。音楽家としての総合力ではポール・マッカートニーの方がジョージ・マーティンより上かもしれないけど、このサントラを書けといわれてもポールに書くことは絶対に出来ないと思う。そういう、ポール他、ビートルズのメンバーとは全く異質な音楽的教養を持つジョージ・マーティンが、まさに「僥倖」というべきか「天の配剤」というべきか、プロデューサーになったからこそ、ビートルズは同世代のバンドには決して達し得なかったあれだけの高みに上ることができたのである。

そもそも、ジョージ・マーティンは1926年生まれで、1925年生まれの三島由紀夫とほぼ同世代であって、所謂「ロック世代」ではない。いわば、英国の「戦中派」である。ビートルズのメンバーとは、世代的体験も音楽的教養もまったく異質な世界に属する人物なのである。しかし、にもかかわらず――いや、むしろだからこそ、というべきか――ジョージ・マーティンとビートルズの間には、同世代間のセッションからは決して生まれえない音楽が召喚されたのである。たとえば、「イエスタデイ」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のような楽曲は、まさに異質な音楽的教養同士が激しくぶつかり合ったときにのみ成立し得る、奇蹟のような作品だと思う。音楽史上最も幸福な「世代間の対話」が、ビートルズとジョージ・マーティンの間には成立していたことを、「イエスタデイ」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は、まさにあらゆる雄弁を超える「音楽」という形で証明してみせているのである。

そして、そんなジョージ・マーティンとビートルズの音楽的対話の残した最高の作品としては、やはり『アビイ・ロード』を挙げないわけにはいかない。ビートルズの最高傑作は何か――というお題は、熱心なファンこそあれこれ語りたくなり、それこそ朝までオールで激論しても答えの出ない永遠のアポリアではあろうが、マニアックな拘りを排したつもりで独断させてもらえば、やはりなんといっても『アビイ・ロード』こそ最高傑作である。このアルバムがなければ、ビートルズは解散後、これほどレジェンダリーな存在にはなっていなかったはずである。実質的ラストアルバムとして、こんなとんでもないアルバムを残したからこそ、ビートルズは20世紀の神話になったのである。そういう意味では、『アビイ・ロード』こそビートルズの最高傑作であり、さらにいえばジョージ・マーティンのベスト・ワークである。異論は認めん。

たとえば、フィル・スペクター・プロデュースによる『レット・イット・ビー』でビートルズの歴史が終わっていた場合を想像してみるがいい。「いくつかいい曲もあるけど、最後はビートルズも決定的にクリエイテビティを失って解散してしまったんだな」と、少なくとも僕は思っていただろう。『レット・イット・ビー』は、メンバー間の殺伐とした空気を生々しくダイレクトにドキュメントしている「夢の終り」のような情け容赦ない散文性こそ、逆説的にビートルズの終りに相応しいアルバムであり、解散後の各メンバーのソロワークを予告するようなポジションにある作品である――といえなくもないけど、ぶっちゃけ、アルバム全体としてこれほど散漫な作品をビートルズはかつて作ったことがないのである。熱心なビートルズ・ファンにとってほど、『レット・イット・ビー』は困ったアルバムなのである。

『レット・イット・ビー』と『アビイ・ロード』を聴き較べたとき、最も明確になるのは、前者におけるジョージ・マーティンの不在であると思う。『レット・イット・ビー』をプロデュースしたフィル・スペクターも偉大な音楽家ではあるけど、1940年生まれの彼もまた、基本的にはビートルズのメンバーと同世代の「ロック世代」に属する人物である。つまり、『レット・イット・ビー』は、はじめて「ロック世代」以外の人物を抜きにして作られたビートルズのアルバムなのである。そこに決定的に欠如しているのは世代間の対話であり、それが欠落したとき、さしものビートルズといえどもかくも凡庸なアルバムしか作ることができなかったのである。

全く異質な体験と教養を持つ異世代間の「対話(セッション)」こそが、あらゆる世代の誰もが見たことのない、世界のどこにもないような風景を切り拓いてみせる――その最も感動的なドキュメントだったのが、ジョージ・マーティンとビートルズのジェネレーション・セッションであり、その金字塔がビートルズの実質的ラストアルバム『アビイ・ロード』なのである、と今夜は酔余の勢いで断言しておこう。
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