今日の夜半から雪が舞うかもしれない。
朝、珈琲一杯の「食事」をとった後、まだ未練がましく栽培中の唐辛子をすべて摘み取った。年を越して美しく黄変したもの、緑色のまま枯れてしわしわなもの、青々とみずみずしいものと様々だった。そろそろ今期の栽培用に土を作らないといけないのだが、まだ軽々と動く体力が戻っていない。刈り取った唐辛子を出窓に新聞を敷いて置いた。数え始めて50本を超えたところで面倒になる。正確な数を知る必要なんてないから。
小説を読むのに飽きてきたので、映画を見ることにした。
Amazonビデオで5、6本、思いつくままタイトルを打ち込むと、5割の確率で324円〜525円の有料版でヒット。何を見ようか。
目移りがしたので久しぶりにGyaO(無料の動画サイト)のHPに飛んでみたら、『新しい人生のはじめかた』という洋画のタイトルに少し惹かれたので内容を検索してみたら、ダスティ・ホフマンが主演の熟年恋愛映画らしい。無料ゆえ最初の15分くらいを試しに見て、自分に合わなさそうであれば、見るのをやめればいいくらいの気持ちで見始めた。
50分あたりから、製作意図が『卒業』の「返歌」であることに気づいた。私が『卒業』を映画館で観たのはたぶん高校1年生で、制作年が1967年であることからリバイバル上映だ。高松市というのは異様なほどに規制だらけで高校生が平日、ボーリング場や映画館に行くことが禁止されていた。高校2年時、高校の帰りにロードショー館で『個人教授』を観ていたら補導され、市の風紀委員が私の生徒手帳を没収。翌日の放課後、担任から「制服で映画館に行くからだ」と苦笑いされながら手帳を返却されたこともある。『個人教授』は高校生くらいの若者が美しい年上の女性(ナタリー・ドロン)に誘惑されて骨抜き状態になるという、男子高校生の夢想(いや、夢精というべきか)を現実化したエロ映画なのだが、18禁ではない。高松市のクソったれ。
で、『新しい人生のはじめかた』のダスティ・ホフマンは『卒業』で見せた愛くるしい笑顔と、子どもが犬を真っ直ぐに見るような視線を、(わかる人にだけ)再現していた。邦訳のタイトルが直截話法過ぎて、気恥ずかしい。いくつもの挫折や後悔を重ねて人生の終盤を迎えようとしている男と、人との関わりが怖くて自分を喪失している女が不意に出会って互いに好意を抱くという流れは「新しい人生」ではなく「新たな人生」だと個人的に思った。映画から教訓を得ようとは思わないのだが、私が好むたいていの映画は決まって一つの教訓がじんわりと心の中に広がる。それは口に出してみると陳腐きわまりないひと言だ。
人間っていいもんだ。
この日記を書き始めた頃から、雨音が聞こえてる。石油ストーブを焚いているので部屋は暖かだが、それでも窓のほうからゆっくりと冷気が流れてきて、寒さを意識する。雪に変わったとしても唐辛子は収穫済みなので、困るようなことはない。
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