mixiユーザー(id:5462733)

2015年06月04日15:30

398 view

フォルムの実際 19世紀 ベーシックの再認識

フォルムの実際 19世紀 ベーシックの再確認
 19世紀、明治になり日本の画学生が主にフランスに留学して当時のアカデミック絵画を学び、それを日本の西洋絵画の基礎として普及させた。既に当時は、印象派の絵画も人気を得始めていたが、日本に導入された西洋絵画は、折衷派と言われるアカデミック系の絵画だった。基礎から作品制作までの流れを順序立てて教えてくれるのは、アカデミック系の絵画しかなかったからだ。ある程度基礎が出来た状態で印象派の絵画を学び応用するのは出来ただろうが、西洋絵画の造形のいろはも知らない状態で印象派を理解するのは無理な話しだったのだ。この選択は間違ってはいなかったと思っている。だが、折衷派の前は、アングルで代表される新古典派が力を持っていた時代であり、ラッファエロから、新古典派までの間の西洋絵画を十分に学ぶ機会を失ってしまう結果となってしまった。ルネッサンス期の画家でも、ラッファエロを高く評価し過ぎ、同時代のダヴィンチやミケランジェロをおざなりにしていた新古典派の価値観には問題があった。ダヴィンチやミケランジェロより、綺麗なマリアを描くラッファエロを高く評価するのは、フランス人の好みだったのだろう。もちろん、フランスでも、新古典派至上主義に対する批判は当然あって、新古典派は、ロマン派と対立するようになっていく。ロマン派の代表的画家であるドラクロワの民衆を導く自由の女神がフランスの国宝となっている事からも分かるように、フランスでは既に新古典派至上主義は消滅してしまっている。時代時代によって価値や流行は変わるもので、過去と現代では評価に大きな違いも生まれている。日本では、まだ印象派至上主義のような考え方を持っている人達もいるが、その原因の1つは印象派の通俗性だった。色彩の綺麗さ、華やかさが一般の絵画愛好家に好まれたのだ。だが、絵画的には、色彩だけが印象派の意味ではないのは当然で、表層的な色彩表現だけではなく、しっかりとした印象派の研究が必要だろう。日本には、19世紀のアカデミック系の絵画体系が入って来たとは言え、アカデミック絵画が十分に浸透していない段階で、アカデミックへの批判が起こり始めていた。それが、アカデミック系の絵画が、印象派の仮面を被る原因ともなっている。それが外光派だ。外光派と印象派は、別物なのだが、これを混同するように仕向けられていた節がある。日本の西洋絵画は、伝統的な西洋絵画を十分に研究する時間もないまま、西洋で起こっていた西洋絵画の破壊的な改革に飲み込まれていってしまう。結果、最先端ばかりを追い求め、基礎が鑑みられないと言う、砂上の楼閣になってしまったのだ。その後、抽象絵画の激流も起こり、冷戦の最中、政治的な思惑に文化全般が利用される時代がやってくる。文化の暗黒時代だ。この冷戦下での文化破壊は、あまり実感の無い人も多いかと思うが、大学の教授の首が飛んだりと、かなりの政治的圧力が文化をかき回していたのだ。世界的な規模で文化大革命が起こっていたような状況で、人こそ殺されはしなかったが、多くの文化が殺されていた。当時の具象絵画への不可解なバッシングも政治的な思惑でそうされたものだった。特に、アメリカは、冷戦の当事者だったため、具象絵画バッシングが酷かった。具体的には、子飼の評論家やマスコミを使ってのバッシングだ。具象絵画を描いている画家は、イラストレーターと言われ、絵画として扱われもしなかったのだ。このような冷戦下での偏った価値観にも日本の西洋絵画は巻き込まれ、十分な基礎研究を大学教育では行なえない状況になっていた。ゴミの山を築く原因の1つがここにもある。この状況は、世界的規模で起こっており、当時の政治介入に不快感を示す作家達も沢山いた。冷戦が終わり、文化的圧力もなくなってからは、具象絵画の再評価が進み、一部の画家だけがやっていた古典研究も広がりを見せるようになっていく。19世紀のアカデミック系の代表的画家であるブグローの再評価は、このような流れの中で起こったものだった。日本の西洋古典絵画の研究は、まったく遅れている状況だったのだが、欧米での古典研究の盛り返しは急激だった。美術館では、多くの古典絵画が収集されていて基礎研究も十分行なわれていたからだ。冷戦下での文化的圧力はあったものの、美術館の作品を打ち壊すところまでは行かなかった。政治的な圧力と言っても、圧力をかける側の人間は、それが理不尽なものだと言う自覚はあったのだろう。過去の美術品は美術品として守っていた。権力に媚びる人間や、盲目的に従う人間が、政治的思惑による価値観に振り回されていた。日本の西洋絵画は、けっして順風満帆とはいかず、歴史的な変動や政治的な流れに強く影響を受け、アカデミック系では、ズタボロになっている部分もあって、悲惨な状況も残っている。そのため、古典研究は個人レベルでやるしかないと言う状況だったのだ。それは、現代でも、そう変わってはいないだろう。専門家の中には、古典絵画研究にアレルギーを示す人もいて、感情的な反応に辟易する場合もある。ただの基礎研究でさえ、そんな状況なのだ。むしろ、一般の人達の方が、政治的影響をあまり受けていないので対応は常識的なものではないだろうか。かつてのような偏狭的な状況は改善されつつあるものの、偏った価値観をそのまま引きずっている人もまだまだ多いのが実情だ。









0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年06月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930