mixiユーザー(id:2083345)

2011年07月23日22:28

671 view

「磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才」展@練馬区立美術館

千葉市に出来た写実絵画専門美術館「ホキ美術館」に行きたいなぁと常々思っていたところ、練馬区立美術館にて、スペインに居を構えた写実画家磯江毅(グスタボ・イソエ)の展覧会をやっていると知り、行ってきました。

http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/isoe-tsuyosi.html

磯江毅(いそえつよし1954-2007)は大阪に生まれ、大阪市立工芸高等学校を卒業後まもなく単身でスペインに渡り、30年余りの長きにわたる滞西の間に油彩による写実絵画を探求しました。
やがてアントニオ・ロペス・ガルシアに代表されるマドリード・リアリズムの俊英画家グスタボ・イソエとして認められ、国内外で高い評価を受けました。彼のリアリズム表現は、文字通り事物の細部まで深く入り込んで具象的に描ききるだけでなく、現実世界が内包する神秘的なものまで捉えようとしているような精神の深まりを感じさせます。その根底には生死をかかえこむ生きものへの深い洞察と諦観が見て取れるのです。2005年には広島市立大学芸術学部の教授に就任し、日本での活躍が期待されましたが、2007年惜しくも53歳で急逝。生涯をかけた絵による存在探求の試みは、絵画の高みを示すものとして、死後もなお輝きを発し続けています。
本展は、現代写実絵画に鮮烈な痕跡を残した磯江毅の本格的な回顧展として、磯江の初期から絶作までの代表作約80点を一堂に集め、彼の芸術の軌跡をたどるとともに、その稀有な画業を追想するものです。

ため息のでる、本当にため息の出る展覧会でした。素晴らしかった・・・

会場キャプションで紹介された彼の言葉から。
「ものはみようとした時にはじめてみえてくる」
「角膜に受動的に映る映像を根気よく写す行為ではなく、空間と物の存在のなかから摂理を見いだす仕事」
「写実はむしろ自己を抑え対象物そのものの再現性に徹する事の中に表現意識を封じ込んでいく事」


まるで写真以上にリアルに描くテクニックの素晴らしさにため息がでただけでなく、浮遊したような人物画に真理をみたり、真上から描いたお皿の中の小さな鰯や野菜に宇宙があったり、板に乗せられた朽ちかけた果実の静物画に生と死の重みを託したり、そして必ずそこに画家の優しく静かなまなざしを感じて、ため息がでました。メメント・モリの幻想的自画像もよかったなぁ。
フォト フォト

フォト

フォト フォト
気に入った作品が沢山あって、どれも紹介したいのに画像がなかなか見つからなくてとても残念。

静物画では、同じ構図の作品が3点ほどありました。左側にざくろやマルメロが4つ、きちんと正方に並べられていて、右側には皿に盛られた葡萄とその前にスプーンを置いています。超リアルなのになぜか現実味を感じない(=物、それ自体でない感じ)。
全く描き方は違うのですが、ふと長谷川りん二郎の静物画に似ていると思いました。長谷川りん二郎は見て描かないと描けない画家でした(モデルの猫が死んでしまったがために描き残したヒゲが描けず、あやうく未完となりそうになった作品があるほど)。
磯江も見て描いたそうです。こんなにリアルなんだから、写真に撮って描けばいいと思うのですが。(見ながら描いたから、果実や魚や鳥はどんどん腐ってしまい、いくつも同じような物を用意したとか。)
「ものはみようとした時にはじめてみえてくる」という彼の言葉もあるように、彼は物の存在に深く入り込んで描いたのですね。物、それだけを写して描いたのではないから、長谷川りん二郎と同じく、そのものを見ながら描く必要があったのでしょう。だから私はそこに「単なる現実味」を感じなかったのでしょう。そう、写真のようにリアルなだけでは、心には響かないものね。

最後にもうひとつ、「鮭“高橋由一へもオマージュ」という作品。
高橋由一の「鮭」は教科書にも載っている有名な絵です。↓
フォト
西洋の模倣ではない正真正銘の日本人の油絵となった金字塔的作品です。それを磯江毅も描いています(↓の上から3番目)。
フォト
どちらもとてもリアルで素晴らしい作品、なんだかうれしくなってしまいました。

ため息の出る展覧会、10月2日まで。10月には奈良県立美術館に巡回します。
9 14

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2011年07月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31