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2026年07月17日15:58

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7/15 没後50年 高島野十郎展【前期】@松濤美術館

高島野十郎(高はハシゴダカ)を初めて見たのは、2006年三鷹市美術ギャラリー「高島野十郎展」だった。

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ネットで《蝋燭》の絵を見、久世光彦氏の寄稿を読んでたまらなくなり、行ったのだった。最後の展示室だけは真っ暗で、作品だけにスポットライトが当たっていた。全て、蝋燭だけを描いた小さな絵、野十郎が売るためでなく、お世話になった人に送った作品たちだった。蝋燭の炎がゆらめいて見えた。あの時の感動は忘れない。

2回目は10年後。目黒区美術館で「没後40年 高島野十郎展 光と闇、魂の軌跡」
この時のレポが割と詳しいので、よかったらこちらを読んでください。
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で、また10年後の今年。
千葉市美※から、福岡、豊田、大阪中之島を巡回して東京・松濤へ。千葉市美※はやや遠い、松濤は近くて便利と、年を明けるのを待っていた。
…が、やはり千葉市美で見ればよかったと後悔した。

  ※ 千葉市美ではなく、千葉県立美術館の誤りでした。

過去最大規模、初公開作品含めての約150点公開の大回顧展である。松濤美術館のハコでは小さすぎた。2階の第1展示室は迷路のようにパーテーションが張りめぐらされ、作品と作品の間隔もキツキツ。ところによっては二段掛け。照明は天井据付のみだから、ガラスが反射してよく見えない作品も続出。おまけにここのキャプションはいつも下の方についていて読みづらい。一段落ついた平日に行ったから混んではいなかったが、他人がいるだけでストレスになる空間だった。

野十郎の作品は写真で言えばf/64、画面全体細部まできっちり描き込まれているので、どんな小さな作品でもかなりの「圧」がある。ゆったりとした空間で見たい。
また、地階のサロンは美術館としては特殊な作り、奥の小部屋の作品だけ「サービスで」写真撮影可だったが、なんだか取ってつけたようでいただけなかった。9枚の《蝋燭》は三段3列に並べられて、三鷹で見た感動が蘇らない。野十郎が追い求めた光と闇はどこへ?
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松濤美術館はいい美術館だ。展示の内容によってはものすごくハマり、印象に残る展覧会をたくさん見てきて、大好きな場所の一つである。しかし、東京巡回でなぜここだったのだろう。都美あたりで見たかった。辛口になってしまったが、正直に言うと残念だった。



とはいえ、作品は素晴らしかった。紹介したい。

野十郎の経歴等については過去日記で見ていただくことにする。また、過去2回で紹介した作品もなるべく避けます。
↓
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https://shoto-museum.jp/exhibitions/212takashima/
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�眦臾扈熟�(1890-1975)は、福岡県出身の洋画家です。東京帝国大学(現・東京大学)農学部水産学科を首席で卒業しながらも画家の道を選び、独学で絵を学んだ野十郎は、特定の美術団体に属さず、流行や時代に迎合することなく、自らの理想と信念にひたすら忠実であろうとしました。晩年に千葉県柏市へ移る前の約50年、途中に留学や帰郷を挟みながらも東京の渋谷や青山にアトリエを構えていた、渋谷区にゆかりの深い人物でもあります。
没後50年を機に開催する本展は、初公開作品や青木繁、坂本繁二郎、岸田劉生など関連する作家の作品、関係資料を含めた約170点を展覧する、�眦臾扈熟催犬箸靴討郎蚤腟�模の回顧展となります。「蝋燭」や「月」を主題とした代表作はもちろん、彼の芸術が形成されたルーツを遡り、自身のよりどころとしてきた仏教的思想を読み解きつつ、青年期や滞欧期の作品など、これまで大きく取り上げられなかった部分にも焦点を当てます。また、野十郎関係者による書簡やメモ等の資料から、彼がひとりの人間としてどのように生き、周囲とどのような関係を築いたのか、彼の人間像にも改めて迫ります。
「孤高の画家」と称されてきた�眦臾扈熟困凌靴燭柄緩討鬚�楽しみください。



プロローグ 野十郎とはだれか

自画像は4点。有名な《絡子をつけたる自画像》は前回紹介した。真正面を描いたのは敬愛するデューラーに倣ったらしい。
《傷を負った自画像》大正3〜5(1914〜1916)年頃
東京帝国大学農科大学水産学科を主席で卒業したにもかかわらず、画家として生きていく道を選ぶ。その苦悩の姿を描いたらしい。親友に贈られた。
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《煙草を手にした自画像》戦前期(〜1945)
東京農大で非常勤講師をしていたことが先ごろ判明した。その頃を描いた作品らしい。約束された地位を捨て赤貧の画家となる、という勝手なイメージはやや修正。
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《からすうり》昭和10(1935)年
からすうりを描いた作品では現在最古とされている。あれ?以前見て感動した《からすうり》とやや印象が違う。…と思い、確認したら、前回日記に載せた《からすうり》は昭和23年以前のものだということだけがわかっていて、こちらはその展覧会後に発見されたもの。比べてみると、こちらの方が、構図上中心が上部にあり、からすうりの色も濃く生き生きしている。好き好きだが、私はこちらの方がさらに好み。

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一旦忘れ去られた画家の作品は散逸し、脚光を浴びたところでさらに発見されることがあるから、好きならやはり追いかけないとね。

《すいれんの池》昭和24(1949年)
新宿御苑。最も大きな作品だが、細部まで細かく描かれている。
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で、こちらが地階展示室にあった《水蓮》昭和50(1975)年
絶筆である。最後にも睡蓮を描いたのは、やはり仏教への信心のあらわれなのだろうか。濁りなき清々しい絵だ。
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《春の海》昭和27(1952)年
有明海の干潟を描いたもの。10年前は風景画にはあまり心動かされなかったが、今回はしみじみ良いと感じる。この絵は本人も気に入っていたらしく、ずっと手元に置いていたそうだ。
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《こぶしとリンゴ》昭和41(1966)年
すりガラス越しに差し込む柔らかな光がいい
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《けし》昭和42(1967)年
細い茎一つ一つに輪郭線を描く。そうすると弱々しい細い茎に、上へと伸びる強い意志を感じる。野十郎のこだわり。
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そうやって他の絵を見ると、同じように…
《ひまわり》昭和29(1954)年
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それから大好きな作品、代表作《菜の花》昭和40(1965)年
上へ上へと伸びる花、地面ぎりぎりから顔を出す葉は土色をしているが逞しい。仏の慈悲があまねく届くように全てを均等に丁寧に描く。
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第1章 時代とともに
第2章 人とともに


再認識された時「孤高の画家」としてセンセーショナルに取り上げられたせいで、野十郎は人と交流しない「孤独の画家」と思われてしまった。知人への書簡の中で、「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と精進です」と語ったことも誤解の一因となったのだろう。この章では、影響を受けたゴッホや岸田劉生、同時代に交流があった青木繁、坂本繁二郎、古賀春江などの作品も取り上げながら、野十郎もまた日本近代美術史に連なる一人であると紹介している。

第2章では、個人蔵の作品が並ぶ。「人間嫌い」で柊生世帯を持たなかったが、温かい家族に恵まれ、大学時代の恩師や学友、郷土においては郷土の人たち、柏においては柏の人たちに慕われ、家族ぐるみ、世代を越えた交流があったという。《蝋燭》を世話になった人たちにお礼として送った話は有名であるが、それ以外にも多くのゆかりの人たちが野十郎から作品を譲り受け今も大事にしているということだ。
ロシア文学者で早稲田大名誉教授の川崎浹(とおる)氏もまた、年も離れているのに野十郎と親しく交流のあった人で、ロビーにインタビュー動画が流れていてこれもまた興味深かった。

岸田劉生《林檎三個》大正6(1917)年
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高島野十郎《椿とリンゴ》大正7(1918)年
りんごを等間隔に3つ並べたのは単なる偶然だろうか。
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高島野十郎《有明の月》昭和36(1961)年以降
これは三日月だが、野十郎は多くの月の絵を残している。闇を描きたい、そのために月を描いたが、同時に「月は観音様の生まれ出でる穴だ」として、ほぼ抽象画のような精神性の高い作品を描く。
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坂本繁二郎《月》昭和41(1966)年
坂本もまた月を繰り返し描いた。心象風景のような美しく、淡い夜空。
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《ひまわりとリンゴ》大正時代(1912〜26)頃
ゴッホの影響であることは一目瞭然
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第3章 風とともに

野十郎は旅も好きだった。ここでは、ヨーロッパ留学中の風景や、日本全国を旅して描いた四季の風景を紹介。

《ベニスの港》昭和5〜8(1930〜33)年
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《小さな停車場》昭和5(1930)年
グラスコーの可愛い駅舎
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《パリ・ベニス通り》昭和5〜8(1930〜33)年
こんな裏道と犬の後ろ姿にフォーカスするなんて野十郎らしい
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《春雨》昭和10年代(1935〜44)頃
雨が描かれていない。降った雨が雪を溶かしてくれた、その風景なのだ。
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第4章 仏の心とともに

野十郎は、詩人で禅宗に帰依していた兄・宇朗の影響からか、青年時代から仏教に傾倒していた。
「寫実の極致、や るせない人間の息づき――それを慈悲といふ」
「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」

対象を写実的に描くことを慈悲の 実践と捉えていた野十郎、わたしはそれは若冲と共通するものがあると10年前の展覧会でも感じた。

《海辺の秋草》昭和28(1953)年頃
今が盛りと咲く秋の花の横で夏の花ひまわりが枯れる。生死とは?
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《菊の花》昭和31(1956)年
全ての花を均等に丁寧に描く。仏の慈悲があまねく行き渡るように。
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《さくらんぼ》昭和32(1957)年
同じさくらんぼなのに最も手前のだけ変色し腐りかけている。ヴァニタス
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《廃屋》昭和23(1948)年以降
やぶれた障子、すでに人が住んでいない家。縁側に草花、季節になれば繰り返し咲くのだ。
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《冬の地蔵》昭和23(1948)年以降
仏像を描かない野十郎、唯一の仏像。
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寺の建造物は描く。10年前新発見だった《雨 法隆寺塔》の展示もあった。盗難、カビだらけ、火災と散々な目に遭いながらも修復された作品が、10年後にはその説明もなく展示されていたことがなぜか感無量。



《割れた皿》昭和23(1948)年以降

これもまた仏教的な教えを感じる。
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写真撮影可は24点

9月9日まで(前期は8月2日まで)

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