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2026年06月09日18:44

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6/6 「怖い本」展@東洋文庫ミュージアム

実は初めての訪問である。一度行ってみたいと思ったのが、5年前のこの展覧会をみてその機会をうかがっていた。この時見たチベット仏教関連書がとても面白かったのである。

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7/22 三菱創業150年 三菱の至宝展@三菱一号館美術館
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979866997&owner_id=2083345&from=list_diary_search

「三菱を創業した岩崎家。創業者・彌太郎を継いで第2代から第4代社長をつとめた彌之助、久彌、小彌太は、多数の文化財を収集し、それらは現在、静嘉堂と東洋文庫に収蔵される。」


三菱3代目社長久彌が1924年に創設したのが東洋文庫である。
https://toyo-bunko.or.jp/
蔵書は約100万冊、その内訳は漢籍40%、洋書30%、和書20%、アジア諸言語10%で「アジア諸言語」とは、日本語、中国語以外のアジア各地の言語(例えば、韓国語、チベット語、ベトナム語、タイ語、アラビア語など)を指し、蔵書中の言語数だけでも何十種類もあるという。
その証拠(?)に入口のガラス壁には「ようこそ」に相当する語が、アジア各国34言語で描かれていた。
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さらに、展示室を繋ぐ「回顧の路」とカフェへ続く「知恵の小径」では、アジア各地の文字で名言が書かれていて面白い。
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まるで絵や記号や装飾模様のような文字をみていると、どうやって書くのだろう、とか、これを外国人が習得するのはかなり難しいぞ、などと思ってしまうのだが、そもそも、漢字、仮名、片仮名の3種類の文字を持つ日本の文字が最も難解だろう、と思い至る。


中国雲南省の少数民族ナシ族のトンパ文字を発見!うふふ、私はトンパ文字の辞典を持っているのよ。
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本館とカフェの間には大きな枝垂桜。その横には今が盛りの紫陽花が咲いていて綺麗だった。ただし、カフェは大人気で17人待ちとの札。
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古い本ばかりの地味な展示のミュージアムが、先日見た「河鍋暁斎展」より混んでいたのには驚き。モリソン書庫のビジュアル効果なのだろうか。

そのモリソン書庫とは、ロンドン・タイムズ特派員G・E・モリソンが、北京に在住した19世紀末から20世紀初頭の20年間に収集した東アジアに関する文献約24000点が並ぶ書架。1917年、三菱第三代当主の岩崎久彌が北京にあったモリソンのコレクションを一括購入したのだった。
確かにこれは圧巻!一見の価値あり。
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混んでいたので、人がいないタイミングで撮るのは難しかったけれど、粘ってみた。
コンデジの広角だとこのくらいしか入らなかったけれど
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スマホだとこのくらい
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モリソンさんの蔵書票がかわいい
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さて、本題、この度の展示は「怖い本」
正直、本なので展示は地味、日本と中国のことなら知っている書籍も多くあったが、「怖い」ということはどういうことかを改めて紐解いてみるとなかなか面白い。もちろん初めて知ることも多々あり。写真撮影は可。覗きケースなので滞留、渋滞は休日は不可避。

https://toyo-bunko.or.jp/museum-exhibition/2631/
時代や地域を越えて、恐ろしい事実を知らせるため、教訓とするため、時には、ぞっとする感じを楽しむため、数多くの「怖い」本が書かれてきました。そのような資料をひも解くと、普遍的な怖い本だけではなく、昔は怖くなかったが今考えると怖い本や、今は怖くない本など、「怖い」という感覚は時代と共に変化していることが見えてきます。本展では、「怖い」という言葉から連想される様々なテーマで資料を展示します。恐ろしい死後の世界や、災いを引き起こす人ならざるものたち、悪人と呼ばれる人々、さらに、人が起こした事件や刑罰まで……。怖さを感じさせる要因は時代や地域ごとに移り変わってきました。人々が怖さと向き合い、乗り越えてきた歴史に触れて、改めて「怖い」を考えていただければ幸いです。

1あの世の世界
日本では、主に仏教の影響を受けて形作られてきた死後の世界、「地獄図」や「九相図」など。
かの有名な《往生要集》13〜14世紀刊
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《辟邪絵》は1927年のモノクロ複製だった。
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《九相図巻》鎌倉時代成立、書写年不明
五番目の「噉食相(たんじきそう)」は遺体の腐敗臭を嗅ぎつけた獣が遺体を食い荒らす
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《九相詩》編者不明 1671年(寛文11)刊
蘇東坡作とされる詩文を題材に、九相図には各相に合わせた和歌を添えた資料。九相図に詩歌は合わないような気がするが、無情を解いた詩歌なのかな。読みたくないかも
太字で「風を伝って臭気が二、三里…」などと書いてある。
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2日本の怪奇
古代では、災害や病気など不可解な現象は、目に見えない人ならざるものが起こしていると考えられてきた。そこで、まじないや怨霊を鎮める儀式が行われた。

《菅家物語》室町時代成立 江戸時代前期(17世紀)写
菅原道真の祟りと鎮魂。
そういえば、不遇の死を遂げた者が怨霊となって災いを起こし、人々が恐れ、鎮魂されて神様に祀られるのは他にもあったような。崇徳天皇とか平将門とか。
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《たまも》江戸時代前期(17世紀)写
これは《玉藻前物語絵巻》として、根津美術館版、サントリー美術館版を見た記憶あり。狐は9尾と思い込んでいたが、玉藻は2尾。
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《雨月物語》上田秋成 1768年序
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近世になると、知識人は人ならざるものに説明をつけようとし、18世紀には、実在への疑問が広まり始めたようだ。病や天変地異にはその原因があると。同時に、不可解な現象をおこす化け物は姿を描かれ、キャラクター化され、絵本や物語、歌舞伎、玩具などの題材として人々を楽しませるようになる。キャラクター化された化け物はのちに妖怪とよばれるようになる。

《源頼光公舘土蜘作妖怪図》歌川国芳 1843年
古代日本では、朝廷に服従しない民を「土蜘蛛」と言ったが、土蜘蛛のイメージは時代とともに変遷し、巨大な蜘蛛の妖怪として描かれるようになる。さらには、国芳の浮世絵では、頼光は時の将軍を示し、江戸幕府への風刺画といわれた。
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《北越雪譜》鈴木牧之 1836〜41(天保7−13)年
縮の仲買商人が北越の風物を集めた随筆。吹雪などの雪の恐ろしさは、江戸の人々の興味を掻き立てた。
山道で出会った異獣は姿は恐ろしいが、焼き飯をもらっらお礼に荷物を持ってくれたという話が載る。優しい妖怪。
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《白縫譚(しらぬいものがたり)》柳下亭種員、二世柳亭種彦、柳水亭種清 1849〜85年
蜘蛛はグロテスクだから妖怪になりやすいのかな。私は苦手…
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《うつろ舟の図》19世紀(江戸時代)書写
江戸時代の瓦版の写し。1803年(享和3)常陸国の海岸に現れたUFOと宇宙人らしき者がいたという記事。
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真相はいまだに謎だけれど、この頃には、江戸時代初期から後半にかけて全国でかっぱと思われるものの目撃情報を集めた本《水虎譜》も出ている。
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そういえば、コロナ禍で流行った「アマビエ」もまた妖怪、幻獣の類だったか。

柳田國男《遠野物語》、ラフカディオ・ハーン《怪談》も。
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そして、アメリカ出身の女性浮世絵師、バーサ・ラム《極東のこの世のものならぬ伝説集》1922刊
海外でも明治日本は未知の国として人気、さまざまな風物とともに怪奇伝説も人気だったのね。絵が素敵。
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3 アジアの怪奇

《山海経》成立未詳(2世紀ごろまでに成立か)
古代中国の地理書。中国各地の山川に住む妖怪や猛禽類を記す。翼を持った蛇のような魃(ばつ)ひでりがみが出現すると旱魃が起きる。
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《聊斎志異(りょうさいしい)》蒲松齢 清代初成立 1974年上海刊
志怪小説ブームの火付け役。おお、夫の愛読書だ!(もちろん、角川文庫の日本語版) 
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《子不語(しふご)》袁 枚(えんばい)18世紀成立
《子不語》は、夫が好きな岡本綺堂が取り上げていたと言い、私は志怪小説の方は知らないけれど、作者の袁枚に縁があった。食通の彼が追求した当時の中華料理の料理法、各地の食材、料理について詳細に記録したレシピ集の『随園食単』を抄訳した中国料理研究家の著作を日本語訳したことがあるのだった。まさか、ここで出会うとは〜!志怪小説家だったなんてまるで知らなかった。
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《瀛涯勝覧(えいがいしょうらん)》馬歓(ばかん)1416年序 江戸時代書写
「飛頭蛮(ひとうばん)」という妖怪、ベトナムでは「屍致魚(しちぎょ)」、中国では「落頭民(らくとうみん)」、日本では「ろくろ首」と呼ばれ、地域ごとに少し性質も違う。らくとうみんが訛ってろくろくびになったのかしら?



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4 虐げる・裁く・衝突するー人が生む恐ろしさー
「人が人に対して行った恐ろしさ」に着目。人権がなかった時代の刑罰の残虐さ。

《日本誌》モンタヌス 1669年 アムステルダム刊
徳川政権下における宣教師や一般信者に対する弾圧の内容について記す、島原城主が雲仙地獄で行った拷問の様子を描いた図版。
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《謹遵聖諭辟邪全圖》周漢 1891年 漢口刊
キリスト教排撃運動「教案」のプロパガンダ
「宣教師が薬や銀を作るために子供を誘拐し、目をくり抜いている」という流言をながし、猪(イエス)と羊(宣教師)を射殺、斬首する。
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《中国の刑罰》メイソン 1804年 ロンドン刊
残虐な拷問のさまざまが描かれている
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《暁斎画談》河鍋暁斎 1887年刊
1870年政府を風刺する絵を描いたとして暁斎は大番屋に入れられ、厳しい取り調べを受けたという。劣悪な環境の牢屋の様子を描いた絵。鮨詰め状態で、これにより皮膚病にかかり心身衰弱したとのこと。それにしてもなんでも絵にしてしまう暁斎はすごい。
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5 悪人の実像

6 災害・病と向き合う

《地震風刺絵(鯰絵)》1855年刊
1854年の安政の大地震から二ヶ月間、江戸では浮世絵「鯰絵」がたくさんは刊行された。何もせずにはいられなかったんだね。
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《内景図》江戸時代制作年不詳
病をおこす体内の虫を描いている。寄生虫っぽい感じもするが、中にはクリオネみたいなのもいる。ゆるキャラだ
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《流行病風刺絵》1862年
鍾馗様は疫病退散に使われるが、これは1862年はしかが流行した時に刊行された。逃げていくのは鬼ではなく「はしか」
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9月23日まで




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