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2026年05月09日16:49

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5/5 ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶@パナソニック汐留美術館

天気も良く行楽日和だが、我が家のGWはなるべく空いていそうな美術館へ行くのが通例。パナソニック汐留美術館へは大江戸線で行く。汐留駅の構内はいつものようにガラーンとしていた。

パナソニック汐留美術館のルオー・コレクションは出光コレクション同様に充実していて、どんな企画展でもその最後は「ルオー・ギャラリー」で締めくくる。沢山描いている人なのでこれまでも沢山見てきたが、その生涯と制作変遷を全く知らなかった。この際だから、ちゃんと見ておこう。

相変わらずここは写真撮影不可。最初のパネルと最後のアトリエ再現だけ。が、この「アトリエ再現」こそが、本展のテーマ。ルオーの創作の場に焦点を当て、作品がどんな環境で、どんな画材を用いて描かれたのか、初期から晩年までの代表作を通じて紹介する内容となっている。
なかでも、画商アンブロワーズ・ヴォラールの遺族との作品所有をめぐる裁判のエピソードは、ルオーの制作方法と深く関係しているので、とても興味深かった。全く知らなかったよ。

パーテーションが張り巡らされていて、ところどころ狭くなっている展示室だが、ストレスない程度の観客数。前日のブーダンに比べはるかに空いていた。

https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260411/
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パナソニック汐留美術館は開館以来、20世紀のフランスを代表する画家ジョルジュ・ルオー(1871–1958)の作品を中心に収集し、現在では約270点のルオー作品を所蔵しています。とりわけ近年は、ギュスターヴ・モローのアトリエで学んでいた頃の初期の貴重な作品群が充実し、そこに師モローの作品も新たにコレクションに加わりました。本展は、近年新たに迎えた収蔵作品を中心に、当館のルオーコレクションを紹介する展覧会です。ルオーの名作の数々が生まれた場である「アトリエ」に焦点を当て、作品がどのような環境で、どのような画材を用いて描かれたのか、初期から晩年までの代表作と共に紹介します。また、パリのルオー財団の特別な協力のもと展示スペースの一角に、ルオーが晩年、自身最後のアトリエで実際に使用していた画材道具や机などを用いて、アトリエの一部再現を試みます。身近な家族でさえも立ち入りを制限されていた聖域である画家のアトリエの記憶を作品と共に紐解きます。この度、収蔵作品としては初めて出品される《モデル、アトリエの思い出》にもご注目ください。


第1章 国立美術学校時代ーギュスターヴ・モローのアトリエ
ルオーがマティスと共にモローの教室にいたと知った時は驚きだった。モロー本人は幻想的な絵を描いているのに、弟子たちには「私は君たちが渡っていくための橋だ」と言って、それぞれの個性を尊重し、自由に才能を伸ばす指導をした。いい人だなぁ。

ギュスターヴ・モロー《オルフェウスの苦しみ または 地上で涙にくれるオルフェウス(習作)》
恋人を亡くしたばかりの時に描いた作品。モローは好きな画家の一人。ここパナソニックで回顧展があった時山田五郎の講演会を聞いて面白かった。(こちら)
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以下、ルオー
《ゲッセマニ》1893年
とはいえ、かなりモローの影響を受けている
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《夜の風景 または よきサマリア人》1897年頃
ルオーは敬虔なカトリック教徒で聖書を題材にした作品は多い。木炭、水彩、パステルで描かれたこの作品、一般的なルオーのイメージではないが美しく惹かれた。
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第2章 フォーヴ時代ー画家仲間との共同アトリエ
敬愛していた師モローが亡くなり、そのショックで一時制作できなくなっていたが、遺言によりギュスターヴ・モロー美術館の初代館長となり、同学のマティスやマルケ、ボナールなどと共同アトリエで制作を開始する。

《後ろ向きの娼婦》1905年
ルオーは、娼婦のほか道化、サーカス芸人など、社会の底辺にいる人々を描く。
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《ブルターニュの風景》1915年
印象派画家たちに好まれたブルターニュの風景もルオーの手にかかると黒く厳しい。
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コラム|ルオーの陶磁器
ルオーが絵付けした陶磁器が、多くの芸術家たちを発掘支援した画商アンブロワーズ・ヴォラールの目にとまる。
《ティーセット》1911年
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第3章 1920〜30年代ーアンブロワーズ・ヴォラール邸での制作
1913年、ヴォラールはルオーのアトリエにあったすべての作品を購入し、1917年にはルオーと専属契約を結び、自宅のアトリエを提供する。ルオーはこうして生活のことを気にせず、自由に制作できる環境を手に入れた。しかし、このことが後々大変な裁判沙汰に発展する。

1939年、ヴォラールが事故により急死。アトリエで制作されていた作品は全て遺族のものになり、自由に売却される恐れが出てきたのである。自分が納得いくまで何年もかけて筆を加える制作方法をとっていたルオーにとってそれらの作品のほとんどが未完成。絵を取り戻そうとルオーは遺族に対して裁判を起こしたのである。その裁判は1947年まで続き、最終的にはルオーが勝利。ルオーは807点を国立近代美術館へ寄贈、翌年さらに取り戻した868点のうち315点を「完成できないもの」として焼却炉に放り込んだという。
制作数も多いが、何年かけても完成作にならないとしたものの数もまた多い。いったいどんなふうに制作したのか。その答えは最後のアトリエ再現でわかる。

《女曲馬師(人形の顔)》1925年頃
黒く太い輪郭(昔ステンドグラス職人だった)、厚塗り、美しい青色、ルオーの特徴が表れる
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《日本の武士(武者絵)》1928年
今回最も驚き、気に入った作品。
日本の画商、福島繁太郎氏が持参した錦絵をもとに描いたという。素早い筆致と少ない筆数で的確に騎馬武士を躍動的に捉え、見事としか言えない。
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《キリスト》1937ー38年
項垂れるキリストの頭上にある赤い線(雲?)が画像以上にとても美しく、感動した作品。
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コラム|ルオーの版画
ルオーはヴォラールに対し、自身が発案した版画集《ミレーレ》を出してもらう代わりに、《ユビュ親父の再生》の依頼を受けた。


第4章 1940〜50年代ー最後のアトリエ
1948年にルオーが構えた最後のアトリエで制作された作品で構成。

《老兵(アンリ・リュップの思い出)》1946年
アンリ・リュップは、ギュスターヴ・モロー美術館設立に尽力した人。過去に制作したものの上に描き直した。
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《クマエの巫女》1947年
古代ギリシャ・ローマ神話に登場する預言者で、キリストの降臨を予言したとされる。ミケランジェロは老いたクマエの巫女を描いている。
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《飾りの花》1947年
花は四角く単純化されていて、聖像のごとくアーチ型の枠に描かれている。
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《キリストと漁夫たち》1947年頃
厚塗りされた絵具ゆえに、太陽が本当に光を放って黄色く輝いて見える。
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《モデル、アトリエの思い出》1895/1950年頃
1895年モローのもとで学んでいた時期に書かれた下絵に、晩年上から再度描き直しした作品。
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《古きヴェルサイユ(表)》1950年頃
陶磁器の楕円形皿をパネルに嵌め込んで表裏に絵を描いているが、皿の厚みより絵具の厚みの方が何倍もあるような作品。皿だけでなく枠にも塗り込めて裏にも花の絵。これだけ厚塗りだと絵の具が乾くのも時間がかかりそう。あちこちがひび割れている。
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《秋の夜景》1952年
晩年の「聖書風景」シリーズ
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コラム|額、裏面への着彩
《エジプトへの逃避》1952年
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《マドレーヌ》1956年  
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会場の奥には、本展の目玉「晩年のアトリエの再現」。
ルオーが実際に使用していた画材道具や机などを用いている。これらは一般に公開されていないという。


半ドーナツ型のテーブルはなかなか使い勝手が良さそうだ。中心のところに椅子が置かれているが、ほとんど座らずに、立ったまま制作していたという。描きかけ、裏打ち前の作品を並べ、置ききれなければ、積み上げて、平置きのまま複数同時進行で筆を入れていたと。

なるほど、比較的小さめ、厚塗りの作品が出来上がっていく様子がわかる。と同時に、自分が納得いくまでサインを入れない、未完の作品が多くあった理由もわかる。


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第5章 ルオーの「アトリエ作品」は、いつものルオー・ギャラリーの展示室。ここにはルオー没後アトリエに残された未完成作品に娘がアトリエ印を押したものが展示されていた。

6月21日まで



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