3月19日木曜日。
昨日の追記になる。
車検工場からの帰りに、ブックオフ逗子店に寄った。例によって1冊欲しい本があったらそこでゲーム・オーバーという自戒を込めて。
単行本のエッセイ棚に『昭和恋々』(山本夏彦 久世光彦)という背文字が目に入り、A5判の本を引き抜いた。昭和(の良き世情と風習)を回想するエッセイ集で、1998年刊行。
久世さん!
TBSドラマ『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』などの大ヒットドラマのプロデューサー、1935年生まれ。
1983年、テレビ朝日で「あとは寝るだけ」というドラマを制作していた久世さんをインタビューする機会を得た。当時は敏腕のドラマディレクターとして活躍されていて、著書は1冊もなかった。
局でのインタビュー前、私は早めにスタジオ入りをし、久世さんが演出している本番を飽きずに見ていた。マイクを通して久世さんは俳優に大声で指示を出し、怒鳴るように叱責する声がスタジオを終始、強張らせている。想定外の光景を見せつけられて、26歳の私はびびった。
インタビューはたぶん滞りなく終わった。記事をまとめ、掲載誌を送った。その際か、もしくはインタビュー直後かはっきりしないが、手紙を書いた。更に放映されたドラマの感想も書いて送った(と思う)。
久世さんからはからずもお手紙をいただいた。
そして、久世さんからある日、お電話がかかってきた。
雑誌のインタビューは一回性のものなので、あまりこういうことはない。
印象に残っているのは、久世さんが私に「要は……、キミはぼくが好きなの?」と問うたことだ。
実は私、インタビューが終わったあとも、「あとは寝るだけ」の撮影現場に足を運んでいた。昔のテレビ局とか大学は今と違ってワキが甘く、自由に出入りできた。なので、私は全国でもっとも早い視聴者になるべく、そして久世さんの感性に浸りたくて、スタジオ通いをしていたのだった。
なので、久世さんの質問に対して「そうです。恋慕の情があります」と答えた。
その後も何通かおハガキをいただいた。
私は久世光彦さんの人間的な魅力に参ったのだった。
それから10年余りが経った頃から久世さんは文筆家になられた。
当初は本が出るたび、買って読んでいた。
さて『昭和恋々』の序文はこういう書き出しで始まっている。
<私が五十歳を過ぎて、何を今更と言われながら、ものを書きはじめた動機の一つに、向田邦子への嫉妬というのがあった。その何年か前、彼女が『父の詫び状』で物書きとしてデビューしたこと、山本夏彦が【向田邦子は、突然現れてほとんど名人である】と褒めそやしたのである。これが悔しかった。(中略)翁にそうまで言わせた向田邦子が嫉ましかったのである。(中略)そのうち彼女が忽然といなくなって、私のどす黒い嫉妬はいき所がなくなった>
ブックオフでその”前説”を読んでいるうち、私はなぜか泣きたい気持ちになっていた。
久世さんはダンディなかたなので、まさかこれほどへりくだった物言いをされるとは思ってもいなかった。
しかし、よくよく考えてみれば、私に「ぼくが好きなの?」などと唐突に尋ねるナルシストであり、正直者だ。久世さんの文章は陰影があって、抑制が利いた天才的なかただ。
人間って奥深いもんだな、愛すべき存在だな。
たった220円で、稀少な昭和の風景が満載の綺麗な本が手に入った。
深夜、扱いが悪かったせいで帯の一部が破れていたので、セロテープで丁寧に補修しながら、その間、ずっと私は久世さんの思い出に浸っていたのだった。
ログインしてコメントを確認・投稿する