9月15日日曜日、快晴(いつまでこの暑さ、続くの?)。
昨日、女流作家に暑中見舞いを書いた。ちゃんと暮らしていけてるのだろうか? まるで”見果てぬ夢”のような大長編小説に取り組んでいて、昨年の秋の時点で6百枚ほどの原稿だった。彼女の語る話の展開では、この2倍か3倍の紙数を要する。
それより心配なのはご高齢ゆえの体調と、日々の食事と、精神の健康だ。生活保護を受給しているので、最低限の生活費が保証されている。だから日々食っていける。原稿が書けない、ということで精神のバランスを崩してなければいいが……、などと似たような性格の私は気を揉んでいる。この暑さが治まったら上京して、直に安否確認するのがいい。
今日も朝ごはん後、校正紙に向かった。全集は基本、書かれたとおりの文章を載せなければいけない。だから文章をこそっと改めるたびにチクリと痛みを覚える。校正者の鉛筆出しに頭を抱え、詩人のいい加減さを恨めしく思う。
昼食はキャベツとベーコンのペペロンチーノ。食べ終わって、今日は校正を続けないことにした。
観光客でごった返す鎌倉を歩く気にならない。
久しぶりに電車に乗ろう。
普段は行かないブックオフの大型店に行ってみた。文芸棚で小池真理子さんの近刊『日暮れのあと』(2023年刊)をみっけ。
先々週に観た映画「丘の上の本屋さん」と内容が驚くほど似ている文庫があって、棚から引き出した。『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子著、2021年)。
<人々にとって、本が遠い存在だった時代 トスカーナの山深き村に イタリア中に本を届ける人々がいた >
カバーは大きな山に囲まれたちいさな集落の写真で、この美しくもせつない写真を見ただけでジャケ買い。
その文庫の近くに『うつ病九段』(先崎学著、2020年)があった。以前、各種の書評と著者インタビューを読んでいたので、これは共感買いだ。
今日はこのくらいでいいか、と思いつつ、未練がましく文庫棚の端まで眺めた。
著者あいうえお順のあとにアンソロジー本(著者なし)が数十冊程度並んでいる。普段はまず買わない。
そこに『散歩とカツ丼』(2010年版ベスト・エッセイ集)があった。そんなバカな。
このタイトルは新井千裕のエッセイだ。
私は新井さんがデビューした時からのファンで、書籍出版部に配属されてすぐ、新井さんに会いに行った。
売れる作家さんではない。しかも、やる気があるのかないのか、ほとんど書く気配はなくて、それでなくても愛読者は少ないのにますます幻の作家になって行った。
私の手許には、新井さんの短篇ゼロックスがある。インクが黒ではなく青いのだ。
かろうじて新井さんの書かれたエッセイ名を覚えていた。
こんなところで新井さんに会えるとは。
文庫に収録されているエッセイ「散歩とカツ丼」が新井千裕であることを確認し、これも買うことに。
2時間近くブックオフにいた。最後は下段を中腰で見たのち立ち上がったら、立ちくらみした。
4冊の本をレジに持って行ったあと、小さなちいさなフランス製のコーヒーカップを同じ店内のハードオフでみつけた。ソーサーに「SAINT HONORE」とある。カップには「JOYIUX NOEL」と一筆描きのような男女のイラスト。楽しいクリスマスの意?
ソーサーに貼られた値段シールを見たら55円。ウソみたいな値段だった。
(家に戻って3枚重ねのシールを慎重に剝がしたら、いちばん最初のシールには550円の刻印があった)
一日に6回7回とコーヒーを飲む。毎回、50ccか60cc。今はプジョーのディーラーで買った小さなちいさなカップを愛用している。しばらくはカップを替えてみよう。
駅近のドトールに寄って、買った本を撫で回したかったが、スマートウォッチを見ると午後5時近い。いつの間に、これほど時間を”消費”しちゃったのだろう。
そのままJRの改札口へ向かった。
さて、どの本から手を付けよう?
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