5月9日木曜日
一昨日昨日とは一転、冷え込んだ一日。ときどき石油ストーブを焚いたほどだった。
朝10時、クルマを駐めているところのすぐそばでスマホが落ちているのを発見。そこは私が親しくしているかたのアパート前なので、大家さん宅へ行って紙とマジックを借り、
「Android系スマホをこの場所で拾いました。スマホを


さん宅へ預けているので、お心あたりのあるひとはお訪ねください」
と貼り紙を書いてアパートの壁にテープで貼り付け、大家さんにスマホを託してクルマで隣町の大型スーパーへ。
帰宅後、大家さんをふたたび訪ねたら、スマホを受け取ってしばらくしたらそのスマホにお寺のお坊さんから電話がかかってきて無事渡した、と。
警察に持って行かなくてよかった。
LINEでリゾートマンション管理の打ち合わせをたびたび受け取り、面倒に思う。断捨離したいのだが、日本経済はもとよりコスパ意識の高まりで売値がつかないほどになっている。コスパやタイパが最優先という社会は、一歩踏み誤ると生活が貧しくなる可能性を秘めている。恋愛不全や結婚に対する忌避感が必ずしも悪いとは言わないが、合理主義がもたらした意識だとすれば、我々人類はまるでAIに準じたような存在になっている。20世紀までの文学なんて、恋愛模様ないし家族愛のような普遍性のある愛憎がいっさい書かれていない小説はなかった。たとえミステリーであっても、なんらか男女がらみのドラマが香辛料のごとく盛り込まれていたように思う。
生活水準は進化を遂げ、人間の肉体も能力が向上している。これに広義の幸福追求というヒューマンな文化が伴うと最高なのだが、どこかちぐはぐな気がしてならない。
ゴールデンウィークの間、富士山とコンビニの取り合わせの妙が映えるスポットに黒い横断幕を設置し、付近の住民や道路上の車を守るという対策を肯定的にとらえるニュースを連日見せられた。
毎回、決まって地元民の、ゴミがどうだの観光客の飛び出しがどうだのという批判の声を取り上げ、テレビのMCがそれを好意的に紹介していた。
見ていて毎回思うのだが、憎悪を煽っている。
鎌倉は富士山麓よりはるかに小さな町で、それこそオーバーツーリズムの影響をもろに受けている。で、自分も迷惑を被っているひとりだが、それを口に出すことは絶対にしない。
私は自分の利益損益を基準に文句を言うことを慎んでいるからだ。
また、こうも思う。
もし鎌倉に一人の観光客も来なくなって、道路も空いているし、繁華街のカフェもゆったりとした空間になったとして、「ああ、よかった。鎌倉が暮らしやすくなった」となるかな、と。
言っちゃ悪いが、河口湖町にしても富士吉田にしても山中湖にしても忍野八海にしても、観光客がいるからなんとか保っている。もし観光客が来なくなったら翌年から財政再建自治体に転落する。
文句ばっか垂れているひとは、そもそも旅に出たことがないのだろうか?
旅先で親切にされたり、いい風景の写真を撮れたりしたら、楽しさは何倍にも増幅し、生涯忘れることのできない体験になる。私などいじましい性格なので、土産物屋の番をしているおばあちゃんから地元の山で採れた胡桃を4つ5つともらっただけで、「ああ、旅に出てよかった」とさえ感じる。
ときどき観光客に瞬間腹が立つこともあるが、それを口に出すまい。また、憎悪を煽るような発言は絶対にしまい。
これは自分のプライドである。
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