mixiユーザー(id:6486105)

2022年12月22日23:33

156 view

図書館にて思わぬ拾い物

 一昨日に大量の原稿を送った直後から、糸が切れたように切迫感と緊張感がなくなり、気が抜けたという状態。これはこれで嬉しいひとときだ。何も課せられることのない日が数日続くのは懶惰な落魄者にとって天国である。
 今日の午前は雨がやんだ時点で散歩がてら図書館に向かった。一日最低6千歩は歩きたい。途中、駅前の銀行でお金をおろした。私は心配性なので、財布に2万数千円以上入ってないと落ち着かない。iPhoneには楽天payアプリがあるし、財布にはカードが3枚入っているので、現金がなくても困ることはないのだけど。
 図書館に続く道を歩いていると、昨年の8月に亡くなった元同僚の友だちを思い出す。4〜5分の間、彼と心のなかで会話をした。
 彼は「鎌倉図書館の本全部を読む」と豪語していた。図書館に着いて彼が好んだ文芸の棚へ行き、背表紙を見てこれは面白いかもという本があれば引き抜く。30分近くそんなことをしてから、雑誌コーナーへ行き、各文芸誌を手にとって目次を眺めた。個人的な趣味としては河出の「文藝」が割と自分の感性に合ってる。
 最新号の一つ前の「文藝」はちょっと変わった趣向で、「金原ひとみ責任編集 私小説特集」という企画だった。巻頭に掲載された金原ひとみの「プロローグ」にそのいきさつが詳しく書かれていて、ついつい棚の前で立ち読みしてしまう。次に島田雅彦の「私小説、死小説」というエッセイを読み始めると古井由吉との縁や実像が縷縷綴られていて、これはもう借りて帰ろう、ということになった。心の琴線に触れるなにかが金原にも島田にも古井由吉にも共通してあるのだ。私が惹かれてやまない共通項とはなんだ? それは私小説という枠を越えて実存を虚構に被せて人間存在の普遍性を書き手と読み手で共有していく純文学の面白さ?
 家に帰って昼食を済ませたあと、延々、私小説特集に収められている私小説、私小説案内、私小説論を読みふけった。
 特集の中盤で金原が「私小説的小説10」という10冊の本の書評が載っている。そこで村上龍の「MISSING」という小説を推しているのだが、そこに以下のようなことが書かれていた。
<私(金原)は私小説が好きだと思っていましたが、厳密に言えばそれは「著者自信がその小説を各ことによって、何か言葉にできないことを掴もうとしたり、炙り出そうとしている小説」が好きなのであって、そういうものが私小説的な作品に多いということなのかもしれない、と気づきました>
 ああ、私が思っていたことと全く同じだ。
 平日の、それも九分九厘の人が大忙しの年末の午後3時に、私はだらしない恰好でソファーに寝っ転がって文芸誌なんぞをだらだらと読んでいる。反抗的な中学生が万引きするくらいの不道徳な感じ。自堕落な時間を愉しんだ一日だった。
6 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年12月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031