昨日の朝日夕刊一面に「寝台特急あけぼの」が大きく取り上げられていた。かつて上野と青森を結ぶ夜行寝台として「細々と」寝台ファン向けに走らせていた昭和テイストの車輌だ。24系というらしい。
世紀末の2000年夏、あけぼのに乗って青森を旅した。上野から真っ直ぐ北上するルートではなく、列車は水上温泉に向けて進み出し、新潟、山形、秋田を経て弘前駅、青森駅に着く。ちなみに出発から到着まで12時間半もかかり、私はBクラスの個室寝台に座って恐山に関する本を2冊読んで、睡眠も十分にとれた。2014年に廃止され、現在は秋田臨海鉄道の車両基地に置かれているのだが、解体処分になるそうだ。秋田臨海鉄道も2021年に廃業。
いつまでもあると思うな親と金。これに夜行寝台を付け加えたい。
記事を読みながら、そのうちサンライズ出雲(&瀬戸)もなくなるだろうな、乗るなら今のうちだ、と焦りの気持ちが湧いた。が、一方で、なくなるという予測を前提に事を運ぶのは、どことなく本末転倒な気がしてならない。簡単に言っちゃうと、せこいし、小賢しい。あらゆる物体も生命もいつかは消える。自然のなすがままに見送ればいいのではないか、とも思うのだ。
今一つ、自分(の取るべき行動)がわからない。
過日、私より8つ年上のご近所の富豪氏と立ち話をした折り、彼の口から意外な忠告をされた。
「遊べるうちに遊んだほうがいい」
旅とクルマについての話題で出たのだが、元銀行マンの真面目一徹で生きてきた彼からまさか「遊んだほうがいい」などというアドバイスを聞くとは想定外だったのだ。
その時は大いに意を強くし、自身の人生訓に加えようと思った。
が、一歩退いて客観視すると、これもせこいと言えばせこいし、小賢しいと言えば小賢しい。
真実はどっちやねん?
こういう弁証法的な思考をしばしばしては袋小路に入ってしまい、また元の道に引き返すというようなことばっかやってる。
先週の小諸旅で夜のニュースを見た時、就職のオンライン試験で替え玉事件が明るみになり、京大院卒の会社員が逮捕されたというのがあった。驚いたのは、学生の10パーセントが「替え玉」に依頼した、30パーセントの学生がこういう不正を知っているという実態と、さらに替え玉を利用することについて「合意の上で金銭的なやりとりとして依頼したわけで、これのどこが悪いのでしょうか?」などと取材に答えた就活女性の開き直りだった。
以前、日記にも書いたことがあるのだけど、大学のサークルにちょっとアホな学生がいて、みんなから「よくこの大学に入れたな」とからかわれていたのだが、そのたびに「あまり勉強しなかったから視力が2.0で、前と横のひとの答案を見て解答した」などと真顔で応えていた。個人的にはとてもいい話だと感じ、こういう奴こそ将来性があると読んでいた。結局彼は大学4年時、就職活動を諦めてまずは簿記一級を取り、翌年、公認会計士の試験に一発で合格して大手町の公認会計事務所に就職。それから10年後に、大手の企業へ役員待遇で迎えられた。
カンニング……、いいんじゃないですか。試験というものをコケにして先に進むって大胆不敵な生き方が出来るのならやればいい。
そのでんで行くと、替え玉就活だって現代的なカンニングであって、悪く捉えなくていい。しかし、テレビでインタビューを受け、居直った発言をしている女子大生に対して、とても不快だった。
ちょっとしたことで不快になる、というのは、自分の了見が狭いからだろう。
小諸からの復路も新宿行きの高速バスを使った。
佐久平から2人の老婆が乗ってきた。が、スマホの予約表が出せない。運転手がとうとう会社に電話をし、「支払い確認ができない乗客を乗せていいんでしょうか」と電話をしたり、老婆の一人のほうが予約をしてくれた孫に「高速バス代、カードで落ちたよね?」と電話をしたりで、その間、私を含む乗客はただずっと彼らのやり取りを見守るしかなかった。
この一件で、佐久平駅発車は20分遅れとなった。
この老婆2名は最前列に座ったのだが、せめて乗客(といってもせいぜい8〜9名)に向いて謝罪でもすれば「まあいいか」で済んだのだが、故野村左知代さんのような面構えで頭ひとつ下げなかった。
これなんかも私のような「繊細さん」には到底理解出来ぬ蛮行で、私は彼女らのすぐ後ろ(第2列目)に座っていたものだから、前を向くと不快感が募った。
しかし、社会というのは何が起きようと堂々と自己主張する者勝ちである。
東京五輪での汚職を見ても、国会議員の「説明責任」答弁を聞いていても、居直るというのが現代のスタンダードになっている。
私のような性格はホント生きにくい。
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