時間的な余裕がなくて日記をつけることがかなわなかった。それもあるけれど、8日の火曜日、高校の同級生と会って思うところが多々あって、気持ちの在り様で普段とは違うフェイズに入り込んだというのも日記を遠ざけた理由かもしれない。
案ずるより産むが易しで、予約なしでこの時期大人気の和食屋でランチをとることが出来た。初夏を思わせる陽射しが店内のテーブルまで差し込み、きれいに盛り付けられた料理の艶が鮮明に映っていた。
高校3年から50年。まさか死を巡る会話を交わすとは、17歳の僕らには想像出来なかったに違いない。が、高校生の頃と現在の相違より、変わらないなという印象のほうが大きいかもしれない。当たり前のことだが、17歳からこんにちに至るのはあくまでも連続線上に在るから。
今度は僕が高松を訪ねよう。駅での別れ際、彼にそう告げた。9割の本心だった。
火曜日の夜から、高校生のような時間の使い方になった。当時、鉛筆を走らせている時間が多かった。その大半は授業の復習と受験勉強だったが、小説書きの真似事とか深夜放送への投書だとか、いろんな統計をグラフ化するお遊びが好きだった。お米の県別生産量とか世界各国の人口ランキング表を作ったりもしていた。
今更手描きのグラフやランキング表を作りはしないけれど、水曜木曜金曜と、紙を使って一人遊びを楽しんでいた。高校時代は一年間に千枚の藁半紙を使っていたのだが、今も年間千枚くらいプリンター用紙を使っている。性格でもこういう点でもあまり変わり映えはしない。
今週はアメリカで中間選挙があったので、毎晩、トランプのでかい面とワン・タームずつ切るように話す英語を聞かされた。そのたびに不快感があって、目を背けた。もうひとり、イーロン・マスクというトランプと同根のマキャベリストもたびたび目にする羽目になって、怒りというより自傷行為を無理やりやらされたような気分だった。なんでこういう輩が一定の支持を受けてトリック・スターになるのかね。
今の社会、今の世界ってホント自分には向いていない。人間の欲とか悪意が臭い立ち、バキューム・カーよりもくさい。
どこか遠くへ、もっと遠くへ行きたい。せつにそう思う。
なぜだかイーグルスの「呪われた夜」(One of These Nights )でも聞きたくなった夜。
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