風呂に浸かりながら夕刊を読んでいて、つい笑ってしまった。
それは新年歌会始の記事で、秋篠宮家の眞子さんの歌(今年の題は「望」)。
望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな
見上げた夜空に浮かぶ月。月にはウサギが棲んでいると思う心をいつまでも持ち続けていきたいです。
散文に直すとこんな意味だ。持ち+継ぐ、という止めの句がきわめて意志的で、ある意味挑発的に思えた。小室クン騒動がまったく収まっていない世論(週刊誌レベルですけど)を知っているだろうに。
他方、父親たる秋篠宮の歌がつまらない。
祖父宮(おほぢみや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす
おじいちゃん(ヒロヒト)と那須高原で夜空を見上げたら、銀河の星々が輝いていて心が昂ぶりました。
芭蕉が俳句を峻別して、「為る句」と「成る句」がある、頭でこしらえた句と自然と湧き出した句では当然、無理につくった句であってはいけない、というようなことを述べたが、秋篠宮の歌などさしずめ「為る句」の典型であろう。課せられた宿題をきちんとこなした感がある。に対して、眞子さんの歌は2020年の自分を歌で詠んでいる。
新聞の全5(もしくは半5)に週刊誌の広告が毎日のように出る。秋篠宮と眞子さんは小室騒動以降、私語を交わせないほどの関係、という記事見出しを何度も見せられた。
しもじもの家庭であれば、娘の交際を苦々しく思う父(もしくは母)が不意に思い出したように「最近もLINEで連絡を取り合っているの? LINEは漏れることが多いからFacetimeのほうが安全かもよ」みたいな問いかけをして、娘が「ほっといて!」という程度の会話くらいはありそうだ。が、週刊誌の見出しを信じるとすれば、一切断絶らしい。
で、父は遠く離れた月を鏡に小室クンを思う娘を、あらためて知らされているわけである。いや、小室クンは太陽で眞子さんが月らしいので、月のウサギさんを見て私を思い出して、と暗に小室クンにアピールする気持もあるのか。たかだかひとつの和歌の解釈で、うがち過ぎる俺。
今日は明後日の準備をした。ちょっと大型のリュックを水拭きして半日干して、必要な物を詰めた。はがきを1枚書き、投函がてら散歩。
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