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2018年03月22日17:13

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フォルムの実際 絵画と写真 序章 2 新古典派の悪業

フォルムの実際 絵画と写真 序章2 新古典派の悪業
 写真が普及したことで、絵画、特にアカデミック系の絵画が衰退した、というような指摘が、よくなされる。いろいろ調べてみたが、因果関係は、さほど存在しない。ほぼ、ない、と言ってもいいかもしれない。古典絵画が大きく変貌した原因の最大のものは、市民革命だ。フランスで起こった市民革命で王族が死刑になり、王族そのものが消滅する。貴族は、かろうじて生き残ったが、社会を支配する力はもう失せていた。市民が国の実権を握るという社会的な大革命が起こったわけだ。その時、王族の肖像画を描いていたトップクラスの画家達は、もちろん失脚する。王族という大きなパトロンを失った画家達は、新たな画家の仕事を探すことになったのだ。顧客も大きく変わり、高額で肖像画を注文してくれるパトロンも少なくなった。写真が絵画に取って変わったというよりは、画家の社会的環境が劇的に変わったため、画家の仕事も大きく変わった、というのが実際だろう。では、実際に、絵画と写真との軋轢はあったのか、というと、こんなエピソードが残されている。それは、新古典派の巨匠であるアングルが、写真に圧力をかけて普及を阻止しようと企んだ、というものだ。だが、無視していいほどのレベルだ。つまり、圧力をかけようとしたのは事実だが、大した効果もなかった、ということのようだ。アングルは、新古典派の絵画以外を、まるで認めないような偏狭で独善的な価値観の持ち主で、ロマン派の絵画さえ否定している。ロマン派の絵画といえば、ドラクロワの民衆を導く自由の女神が有名で、映画の一場面のようなドラマチックな作品だ。民衆を導く自由の女神は、フランスの国宝となっており、発表当時から高い評価を得ていた。それを否定していたのがアングルだ。新古典派はアングルの評価を支持したが、そのほかの画家は、アンチアングルになる。アングルの絵画は素晴らしいが、その美意識や、人格には、問題がある、という裏評価が、その後語られ続ける。今でも、アングルを嫌う画家は多く、一般にはあまり知られていないだろうが、アングルは、画家からの評判が良くない画家の一人だ。偏見の強いアングルの下した評価は、あまりあてにならないと思った方がいいだろう。ただ、アングルの作品は別で、その後、西洋絵画に大きな影響を与えることになる。専門家が判断を間違う大きな要因は、利権と偏見だ。アングルは、この利権と偏見に弱かった。新古典派特有の価値観の偏狭さは、その後、社会的に大騒動を起こすことになる。それが、サロンからの新古典派以外の画家の排斥だった。サロンの審査員が新古典派に偏ると、入選する絵画も新古典派に偏るという、分かりやすい差別が生まれた。多くの優秀な絵画がサロンから落選させられ、落選展が別に開催される程の騒ぎとなった。この落選展は、政府の後援で開催された展覧会だ。フランス政府は、決して新古典派だけを支持していたわけではない。それは、ロマン派の絵画である、民衆を導く自由の女神が、国宝になっていることからもわかるだろう。新古典派の価値感が、もともと偏狭なので、新古典派の審査員が、良いと思う絵画を選べば、自ずと新古典派以外の絵画は落とされる、ということになる。この新古典派の偏狭で独善的な価値観は、フランスの美術界を悩ます要因ともなっていた。新古典派とロマン派の対立や、新たな絵画スタイルの否定など、ほかの流派の絵画を認めようとしないため、軋轢が生まれ対立が絶えないのだ。このような状況が、しばらく続いていたのだが、このエピソードと印象派とを組み合わせて、印象派が守旧派から迫害にあっていた、というような記述が生まれた。実際に、印象派は、批判はされていたのだが、過去にあった、新古典派以外の絵画を全て否定するような偏狭なものではなく、その批判は、ある意味、まっとうな部分も多く含まれていた。しかし、物語上、印象派が迫害されていた方が、ドラマチックに見えるので、強調されたのではないか、と思われる。印象派は、保守的な批評家から批判はされたが、印象派の画家がサロンに出品した時に意図的に落選させられた、というような差別はなかった。ドガは、一度も落選したことはないし、アカデミック系の画家達からも高く評価されていた。モネもサロンに入選している。マネは、サロンを活動の中心に置いていた程だ。セザンヌは、落選ばかりだったが、これは、当時は、サロンに入選するだけの技量に達していなかったというのが理由で、それでも、一度だけ推薦で、サロンに入選したことがある。それで満足したのか懲りたのか、セザンヌは、それ以降サロンに出品しなくなった。批判は、批判として正当なもので、それで、差別されたとか、意図的に落選させられた、というようなことはなかった。かつて新古典派の偏狭な価値観によって多くの優れた作品がサロンで落選させられたことで、社会的な大騒動を起こしていたので、サロンも、明け透けな差別をしなくなっていたのもあった。新古典派の考え方も、かつての様な偏狭さや独善さは、やや緩和されてきていたのだろう。今では、19世紀のフランスを代表する画家として再評価されているブグローだが、新古典派の流れを汲むということで誤解される部分もある。実際には、アングルのような新古典派の原理主義者に比べると、かなり作風も、作品の方向性も違うのだ。ブグローがサロンで力を持つようになるのは、かなり後で、その時には、印象派も、社会的に認められており、ブグローが印象派を叩いていた、というようなエピソードはないのだが、かつての新古典派の悪業のイメージから、ブグローは、守旧派の悪玉のような扱いを受けることがある。実際は、ブグローは教育者で、当時、国立の美術学校には、女性の生徒が少なかったため、女性の生徒を増やすべく、ブグローは、女性への美術教育の普及に熱心に取り組んでいた。女性の画家が増える要因としてブグローの指導の影響もあったのではないか、と推察される。新古典派には、確かに他の絵画スタイルを否定する偏狭で独善的な価値観があったが、それも時代とともに変化し、新古典派とロマン派は、国主導で、和解にこぎつけ、統合するような流れとなっていく。その後、国立の展覧会だったサロンは、民間の美術団体となり、サロンの独占状態だった美術界だが、幾つもの展覧会が催されるようになる。画家の目指す方向性によって展覧会も変わっていくようになったのだ。これは、日本も同じで、日本にも沢山の公募展が開催されており、公募展によって、入選しやすい絵画と、そうではない絵画が存在する。方向性に合わない絵画は、現代でも落選の憂き目に合うわけだ。日本の美術界にも、かつての、新古典派とロマン派の対立の様に、旧勢力と新しい勢力との軋轢、具象絵画と抽象絵画の対立などが、まだ少しは残っているのではないだろうか。だが、そういう対立は、ライバル争いなのだ。個人の好き嫌いはあるだろうが、現代、このジャンルの絵は素晴らしくて、あのジャンルの絵はダメだ、などという価値判断は行わない。絵画は自由なのだ。






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