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2018年01月06日21:01

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年賀状って意味あるの?

 52円の年賀状が1枚だけ残っている。年賀状をいただきながらこちらから出していないかたが5人いるのだが、こちらは来週にでも寒中見舞いを出そう。この1枚は年賀状ではなく、友人への病気見舞いに使いたい。
 高校時代の同級生からもらった年賀状に、「10万人に1人の難病と戦ってます」という一文が添えられていた。彼は体育会系100パーセントで、羨ましいほどに壮健だった。難病が重い症状なのか一般的な日常生活を送れるような病いなのか、分からない。電話ができる程度の関係ではあるのだが、興味本位で電話したと受け取られる可能性があるし、たとえ励ましの電話だとしても会話をするのがうっとうしい場合だってある。こういうケースでメールを書くのは、自分の性に合わない。
 2007年に彼と2泊3日で草津温泉、四万温泉に行った。その時に珍しくツーショットの写真を撮っていた。
 年賀ハガキの上半分にその写真を置き、下半分にぎっしりとお見舞い文を書いた。正午過ぎ、この1枚を投函するために郵便局までラズリをお伴に行った。大したことがなければいいな。自由に歩き回れるくらいの体力があれば、久方ぶりに高松へ行って再会するのもいいな。
 年賀状をコケにする言説がここ5年くらい目立つ。面倒だとか、古くさいといった批判も強い。しかしさりげなく、近況報告をする手段としては悪くない、と思う。病気をした、孫ができた、念願のパリ旅行に行った……。普段の暮らしの中でわざわざ報せるような話題でもない。LiNEなどのSNSを好まない人間にとって、年賀状や暑中見舞いというのは依然として小さな役割がある。デジタル文字は日本語だと1文字2バイト、400字書いてもたかだか800バイトだが、年賀状や暑中見舞いはアナログゆえにたった一枚のハガキが3万バイト、いや10万バイトだ。かかる情報量が違う。
 年賀状をやめた友人から、三が日に長文のメールが届いた。彼は私より年上のフリーランス編集者だが、いま現在作っている本を出し終えたらこの業界から足を洗うと綴っていた。若い世代の編集者は総じてコスパ主義で、人間と出版物を軽んじ、結果教養に乏しい、と憤慨していた。
「売れるものなら何でも出しますが、売れないものに興味ないんです。損するか得するかというのが基準です、などと幾人もの若い編集者から言われて、嫌気が差したのが引退の理由です」
 このような発想は何も若い層に限ったことではないのではないか。世の中全体が「損得感情」で繋がっている。それが長期的視点による「損得勘定」ならいい。自分の世代だって小さい頃から、勉強をしたら得をする、いい友人もいい会社も得をする、って潜在意識では思っていたのだから。しかし、目先のことでコスパ重視になってしまったら、ただの安っぽい商売人じゃないか。いや、現実は、こういう人が成功する世の中なんだけど(笑)。

 朝日新聞の日和見主義が最近、目に余る。
 昨日の夕刊「素粒子」にこんな一文があった。
<元慰安婦には謝罪せねばならず。日韓合意にさわれば日本政府の反発は激しく。文在寅氏は自ら袋小路の奥へと>
 今日の夕刊ではこんな一文。
<握手する機会があれば両手でしよう、文在寅氏。金正恩氏が片手に隠し持った「核のボタン」が転げ落ちるかも>
 下劣な揶揄だと、不快感を覚えた。
 マスターナラティブという言葉がある。その時代とその社会が認めた公式見解、というような意味だが、日本の言論が無知蒙昧なネトウヨ言説に影響を受けて、マスターナラティブの軸が右へ右へ(下へ下へ)移り行っている。夕刊の超訳的社説の素粒子で、このようなはすっぱさ。
 この傾向が今後も続くようなら、朝日の購読lをやめようとさえ思っている。
 
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