先々週の末から朝日新聞夕刊で『フィリピン花嫁をたどって』という記事が連載されている。30年前に東祖谷(徳島)に嫁いだ10人のフィリピン女性の現在を追った記者渾身のルポだ。記者は30年前当時、たまたま取材をしたということだから50代の中盤か後半だと想われる。このくらいの歳になると、かつて出会った人間がその後どんな人生を送ったのか、すなわち「人生って何だろう?」と歩きながら考えることがたびたびある。
個人的に、東祖谷には思い入れがある。高校1年の2月、祖谷の終点までバスで仲間2人と行って、夜、テントに泊まった。山嶺から剣山まで縦走するために。当時私を含む3名は高松の外れにある屋島に住んでいて、相当な田舎者であったのだが、東祖谷の風景は桁違いのさびれ具合で、およそ平家の落人でもない限り常人の棲むようなところではなかった。
熱帯のフィリピンから文字通りの寒村にフィリピン女性が集団で嫁いできた。何を感じ、それからどうこんにちまで生きてきたのだろう? 記者は全員の花嫁を追って、彼女たちの今を取材する。今日が連載第9回目。
先週の水曜日、友人から業界紙の見開き記事のコピーが送られてきた。内容は千代田区にあるグッドデザイン・マルノウチで開催された「フィリピンデザイン展」を型通りに取材しただけの、イベント後追い記事だったが、なかで「色彩がとても素晴らしい」という評のところで、不意に丸30年前にフィリピンの鄙びたリゾート地で買った油絵を思い出した。たぶん押し入れの最上段に押し込んでいる段ボール箱の中に、その絵が眠っているはずだ。
観光地の土産物店の隅に飾っているような「コピー絵」だ。似たような風景と似たような構図。元になる絵があって、それを少し器用なフリーターが写して描いた絵だ。私はその絵を土産物屋ではなく、描いた本人から直で買った。泳ぎ疲れて海岸の砂浜で休んでいると、10枚くらいの絵を持った青年から「絵を見て」「絵を買って」と声を掛けられ、彼が描いたというのを知って買ったのだった。たぶん言い値自体が千円くらいだったと思う。そして、恥ずかしいことに、どこにでもありそうな「絵葉書」みたいなその絵が私は好きだった。
帰国して1年か2年、マンションの壁に飾っていた。が、その後だんだんと美術眼が発達したのか、飽きたのか、小金が出来て安物を馬鹿にするようになったのか、とっとと仕舞い込んでその後、2度と見ないまま30年が経ったのだった。
今日、その絵を押し入れから探し出した。せめてトイレの壁に飾ってみたくなったのだ。粗雑に保管していたので、キャンバスの一部に凹みが出来ている。ホコリも被っているし、ずっと見てあげなかったせいか哀しそうな色合いに変色していた。
エアダストでホコリを丹念に吹き飛ばし、乾いたタオルで軽く拭いた。
トイレの床と壁を掃除してから、壁に貼り付けた。
トイレの照明を東南アジアの安宿くらいに暗くしていることもあって、想像以上にいい感じに思えた。
たぶんもうフィリピンへ行くことはないだろう。
だから宝物だ。
この絵を描いた青年が画家になっていればいいな、と夢想する。
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