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2017年05月21日23:03

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46年前の私と対面

 昨日は過去の自分を見に行って、15歳の私としばらくの間対話を交わした。あまり変わっていなかったことに安堵したらいいのか、成長のなさを責めるのがいいかわからず、日記を書く気が失せた。
 きっかけは「共謀罪」、テロ等準備罪だった。私が身震いするほどに嫌っているのは、法案の中身ではなくて、国家による個人の検閲と精神の自由の拘束。そして旧治安維持法に繋がる時代の逆行である。
 治安維持法は日本の国家権力の醜悪さを象徴する人民差別であり暴力である、という認識がはっきりと自分のなかで位置づけられたのは、高校1年生の今ごろだった。
 現代国語の教科書に田宮虎彦の「絵本」が収録されていた。
 現国の教師は授業を始める前にプリントを生徒に配った。
「今日の授業で取り上げる田宮虎彦の『絵本』は、教科書に一部削除された箇所があります」と先生は前置きして、その削除部分の段落を正確に書き写した文章を生徒に渡したのだった。当時から「文部省」による恣意的な教科書検定はあったのだ。それをまだ年端もいかぬ生徒に知らしめたという一点だけでも、この女性教師の功罪を問われるべきであろう。
「絵本」の中身は、ほとんど記憶に残っていない。45年前に読んだきりで、設定もストーリーも忘れた。昨日のお昼過ぎになって、ふと「絵本」で受けた(すこぶる個人的な)衝撃に対面したくなって、「絵本」が所収されている田宮虎彦の本があることを先にネットで確認してから図書館へ行った。
 図書館の閲覧コーナーで読んでいたらスマホに電話がかかってきた。10分くらいの長電話をされて腰を折られた気分になったので、借りて帰った。
 舞台は1933年の頃の東京。謄写版の筆耕をしながら苦学する大学1年(東大生だと思われる)の貧乏学生の話だ、賄い付きの狭い下宿で、来る日も来る日も鉄筆で字を書く暮らしで、明日への希望がまったく見えない。下宿屋一家も辛酸をきわめたその日暮らしで、奥さんも主人も寝たきりの少年も、主人公の大学生と同じく明るい未来はない。隣室には朝夕新聞配達で生計を立てている中学生がいた。彼の兄は上海事変で捕虜となって銃殺され、小学校教員の父は長兄の死に悲しんで病に倒れて亡くなった、一家は以降転落の道を歩み始める。世間は、兄が捕虜になったことを嗤い、まともな戦死をしなかったことで彼ら一家を「赤」と罵る。
 下宿に住んで3か月くらいが経った頃、中学生は「追い剥ぎ」の容疑者として逮捕された。が、真犯人は別にいたのだった。
<中学生の頬には真黒い痣が残り、唇は裂けたザクロのように割れていた。その顔で、中学生はにっと私に笑いかけ、両手をみせた。両手の指が赤くはれあがっていた。私は目をそむけて、「間違いだとわかってよかったね」といいながら(後略)>
 翌々日、中学生は青山墓地の槐(えんじゅ)の木で縊死した。
 検定で削除されたのは< >で括った文で、官憲の残虐さを文部省は覆い隱したかったのだろう。
 15歳の私は全編にわたってひと筋の光明も射さない短編のどこに惹かれたのか。
 主人公の学生とは、時代も身分も境遇も違う。お金がなくて卑屈になっていくばかりの彼は私のヒーロー像とは言いがたい。高校1年生当時の私は『共産党宣言』なんて読んであろうはずもなく、せいぜいが漱石の『こころ』止まりの読書体験だ。自分の未来は明るい未知の世界で、せいぜい受験勉強が億劫だくらいの悩みしかなかった。
 にもかかわらず、「絵本」を読んで、小説というのは個人の趣味趣向が表されたただの読み物ではなく、時代を写しとる証言であることと、たった一人で可能な反抗手段であると思ったのだった。
「絵本」はわたくし語りの一人称視点で、わたくし以外の人間は名前がついている。が、隣室の中学生や下宿のおかみさんがわたくしに呼びかけるときの呼称は「ーーさん」と書かれていて、貧困にあえぐ弱々しい学生総体を「ーー」と棒線2画のその時代に生きる匿名者として描いているのだな、と15歳の私は受け取れた。よほど影響されたのか、「絵本」を読んだ翌年、自分でも小説を書いてみようという気概が生まれて作文みたいなものを書き、その際、「絵本」を真似して、自分の名前を「ーー」と表記したほどに入れ込んだ。
 主人公の大学生が知的な落魄者、というのがひとつ、自分にはポイントだったかもしれない。中学生になった頃から、学校生活にイマイチ私は融け込まれないでいた。それで友だちができないとか、学校に行きたくないというような苦しみはなかった。が、クラスメートとは距離を置き、「どうしてみんな、そんなに面白そうなんだ?」という疑問とも憧憬ともつかぬ気分をしばしば抱き、社会から落ちこぼれていくような疎外感に陥ることがあった。
 ある意味、田宮虎彦の「絵本」は逆説的な救いだったのかもしれない。不幸なら不幸でそれを受け容れて生きればいいさ、というように癒された。たぶんそんな「蜜の味」をときどき味わいたくなったから、その後、太宰治だとか高橋和巳といった作家たちを追って行くことになったのだろう。
 15歳の自分がその後社会を4分の3くらい回った今も、「ええっ?」と言うくらいには変わっていない。ちょっと嬉しいような情けないような。
 昨日の夜はそんな複雑な気持ちだった。
 
 蛇足になってしまうが、もし共謀罪が成立したとして、法がどのように運営されるのか、現時点では誰もわからない。が、私が大学生当時でも、思想犯に対して「拷問」があったことを思うと、「絵本」のような誤認逮捕と非道な拷問がないとは、決して言い切れない。
 なお、私と安倍は学年が違うが、昭和40年代当時の現国の教科書には、このような古めかしい良質の小説や小林秀雄らの難解な随筆が数多く掲載されていて、安倍も似たり寄ったりの教科書で国語、あるいは倫理社会を学んだ(はず)。とくに日本史に於いて、普通科はほぼ山川の教科書だったゆえ、まったく同じ教科書を使っている可能性が高い。
 私は一応日本史も受験科目に選択したので、山川の教科書+岩波新書の「日本の歴史」+受験参考書で勉強した。同じ時代に学んで、あっちは右旋回、私はただただ同じ場所で茫然と立ち止まっている。

 今日は今日で、昨日とは違う次元での楽しいことがあったのだが、すでに気力を費やしてしまった。また改めて楽しいことを書いてみたい。
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