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2017年04月23日21:56

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1日目の夜

 自宅から下道を走って3時間の距離なのに、遠いところを旅したような気分だった。
 木曜の正午、ビール樽のように膨らんだ大型旅行バッグをクルマの助手席に積んで家を出た。いかにも湘南という海岸沿いの西湘バイパスや交通量が比較的多い国道246を走り、さらに丹沢山系の県道147号線に入って10分くらいが過ぎた頃には、人家が一軒も見あたらなくなる。前後左右に走っているクルマは1台もない。関東ではあらかた桜は散ってしまっているが、急勾配の道路を登っていくと、満開の山桜が散見でき、山中湖に近づくにつれて、桜はまだ開花していないのだった。ちなみに夜、念のために山中湖村の気温をiPhoneでチェックしてみたら、朝の最低気温はマイナス1.9度だった。つい1週間前に北海道の積雪のニュース映像を見たときは他人事のように遠く感じられたが、自宅からわずか100キロで、いつ雪が降っても不思議ではない気温だ。
 Macbookを持参しているので、テレビは見ようと思えば可能。iPhoneでテザリングすれば、ネットにも接続できる。が、極力デジタルは遠ざけたい。電波まみれ、情報まみれな生活形態から一時的に退避して、少しでも原始的な感情になってみたかった。電話もテレビもない学生時代と同じように。
 日が暮れるのが遅くなってきた。おかげで布団やバスマットなどを2時間以上干すことができ、部屋やユニットバスの掃除も気が済むまでやった。寒さは感じたが、電波の飛散量が少ないせいか、空気がすこぶる気持ち良くて、窓を開けっ放しにした。石油ファンヒーターはつけていたが。
 日が暮れてから、途中のスーパーで買った特価品のお弁当を食べた。貧しい食事であることはわかっていても、ありがたい気持ちになる。空腹は最大のごちそうと言うけれど、不便もごちそうだ。真っ暗闇の道路をクルマで走っていかない限り、夕食らしき食べ物はありつけない。冷蔵庫に冷凍五目チャーハンやギョウザがあるわけでもない。テーブルの上に並べられた食品は、お弁当の他、アップルパイと揚げ餠とクッキーとペットボトル入り炭酸飲料3本、それにおそらくは今回も食べないだろうカップ麺1つだけ。
 粗末な夕ご飯を食べ終わった瞬間、夜が始まった。しばれる寒さもやって来た。
 思い出したくはないのに、ハンセン病患者を虫けらのように扱う村人の仕打ちが甦ってくる。昭和20年代のハンセン病患者を題材にした石井光太の『蛍の森』が佳境を迎えたところで読むのを中断し、山中湖で読み終えるつもりだった。自宅よりも記憶に刻みつけられるのではないか、刺激がない森の中だと自宅で読むより集中できるのではないか。
 クルマのなかでも、反芻するようにこれまでに読んだ小説の流れを思い出し、ハンセン病者たちへの凄惨なリンチシーンや差別が我が事のようにつらく感じた。私も含めて有史以来、健常者は差別に対して無自覚だったし、いまも変わっていない。小説に出てくるハンセン病患者施設「国立療養所天島青木園」は「国立療養所大島青松園」のことで、私は何十回となく沖に浮かぶ島を当時住んでいた屋島の「長崎の鼻」という突端から見ていて、存在は知ってはいた。あそこの島には顔の爛れたライ病患者たちが隔離されているのだ、と。無知で無垢な私は、直接感染する怖ろしい病いだと思っていた。だからあの島に隔離されている……。
 大学に入って3年か4年が過ぎた頃、『差別者のボクに捧げる』という書名のルポが出て読んで、打ちのめされた。そのことがずっと頭に引っかかって、大学5年の秋、そのルポを出した晩聲社に入社志望書を送った。私にはそれくらいの衝撃だった。残念ながら新卒採用はない旨の手紙を代表者の和多田さんからいただき、入社の願いはかなわなかったのだが、1979年の秋、人生の岐路に立っていた。
 今夜、『蛍の森』はエンディングを迎える。夕ご飯のあと、ユニットバスに浸かりながら読み、風呂から上がったら石油ファンヒーターの前の床に座り込んで読み続けた。
 ハンセン病は前世の因縁なのだろうか? 断じてそんなことはないはずだ。
 現世を誠実に生きれば来世は幸せになれる、という輪廻転生は信じる。だが、前世に悪いおこないがあったから不幸を背負って生きることになる、という因果律は絶対にない。そんな不道徳なる試練を神が現実にもし我々にもたらすのであれば、それは神でなくて悪魔であろう。
 寝るまでに読み終わった。読み終わって、アマゾンのレビューを読みたくて仕方なかった。感想を読み手の誰かと共感したい。だけど、その欲望は抑えた。ネットはしない、と決めたばかりだ。
 なかなか寝付けなかった。
 こんな�菊�目の夜。
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