「下宿屋」加川良
京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで
丘の上の下宿屋はいつも ふるえていました
僕はだれかの 笑い顔が見られることより
うつむきかげんの彼を 見つけたかったんです
ひもじい気持ちも あまりに寒いせいか 感じなかったようです
ただ 畳の上で 寝ころびたかったんです
やさしすぎる 話のうますぎる 彼らの中にいるより
うすぎたないカーテンのむこうの 裸電球の下に すわりたかったんです
住所が「京都市上京区烏丸上る相国寺北門前」の文字通り「下宿屋」に住んでいた。下宿から歩いて5分のところに有名なフォーク喫茶「ほんやら洞」があって、いつか加川良さんや岡林信康さんと会えるのではないか、と淡い期待を抱きながら通い詰めていた。加川良さんが当時、京都にいたのかどうか不明だったが、「下宿屋」の歌詞を真に受けて聴いていたため、加川良さんはきっと「ほんやら洞」に来るはずだと僕は思い込んでいた。
加川良さんが亡くなった、ということをついさっき、盛田隆二のツイッターで知った。加川さんのLPレコードは処分してしまったけれど、YouTubeで加川さんの動画がアップされて以降、また聴き始めた。聴きたいと思うきっかけは、決まって「下宿屋」の歌詞に出てくる「後ろめたさ」を感じたときだった。
湯のみ茶わんにお湯を いっぱいいれてくれて
「そこの角砂糖でもかじったら って言ってくれました
その時「ありがとう」と答えて うつむいたのは
胸が痛み出したことと 僕自身の後ろめたさと・・・
フォークって、どうも湿っぽくてイヤだね。歌詞に現代人が口に出すのをためらう情感や「痛さ」がふんだんにちりばめられていて、さらに自分を問い詰めたり政治風刺があったりして、いまの時代には合わない。
今日、気晴らしに裏山を歩いていたら、コゴミを見つけた。持って帰って食べようか、と一瞬思ったが、そんなに生えているわけではないため、写真に収めるだけにした。
図書館に本を返却しに行き、また新たな本を借りた。ローンを返却してその場で金を借りる、みたいなものか。後ろめたくはないけれど。
帰りに、はがきを出しに郵便局へ寄った。
帰宅したら、画家から丁寧な手紙が届いていて、3回読んだ。勇気づけられる。
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