mixiユーザー(id:6486105)

2015年05月25日22:12

183 view

連続テレビ小説「まれ」について

 自分でも偏屈だと思っているのだけど、朝の連続テレビ小説「まれ」を見ていてだんだんと嫌気が差してきた。ドラマの起伏性だけが狙いというような山あり谷ありの展開に付いて行けない。また、人物に大仰な「キャラ」を持たせるべく、性格が突飛(異常)な人間を配置して面白さを前面に出す。自称「世界一の菓子職人」は少し気にくわないことがあったらすぐに店を閉めてみせたり、彼の下で働く若者を虫けらのごとく扱っているのを見ていると、苦笑いしてしまう。「世界一」どころか、世界で最低なパティスリーであろう。すぐれた職人というのは、究極の味を追求する一方、未来永劫続くと思える退屈で地味な作業を淡々と続けていく、というのが掟である。優秀であるかどうか、ということより、ペースを変えることなくルーティン・ワークをこなすという方が大事であることは、研究者や芸術家やスポーツ選手を見れば一目瞭然だろう。
 夢を語る、というのは現代に於いて美徳とされる。おそらく皮相的なアメリカ文化の影響だろうが、私の夢は世界一のパティシエになることです、などと他人に語るような人間は苦手だし、それが人間にとって大切なことだと称賛する現代社会に対しても違和感がある。
<夢は国連高等弁務官になることです。>
<夢は無医村の僻地で赤ひげ先生と慕われるような医者になることです。>
 このような将来像を語る場合、敢えて「私の夢は……」という言い回しを当人は普通、使わない。夢と言うにはあまりに現実的だし、夢にありがちなロマンチックさが微塵もないからだ。私が中・高校生の頃は今ほど「あなたの夢は?」なんて問われなかったし、自分の夢は……などと語る男にまともなヤツはいなかった気がする。たぶん女に聞かせてあわよくば振り向いてもらおう、という魂胆の軟派以外は恥ずかしくて口に出せなかった。
 本気で自分の理想を目指そうと思うと、たいていの人間は黙ってやる。出来てもないうちに、他人に目標をばらすのはどうかしてる、と考えるからだ。
 明日も「まれ」を見ようか止めようか、迷う。
 視聴率が20パーセントの朝ドラでも見て、ちっとあ世間というものを知ろう、というしっかりした目的で見始めたので、嫌気が差したとしても向学のために見続けたほうがいいことはわかっているのだが、
 
 お昼前、ケータイに着信があった。
 朗読劇のお誘いだったのだが、受け答えをしながら「しまった」としどろもどろになった。3週間くらい前に偶然、そのイベントをポスターで知って、その際に行こうと思ったのだ。が、手帳にメモらず、失念していた。だから電話は私にとってまことにありがたかったのだが、人生に投げやりであるとこういうディテールのところで厭世観に連動して投げやりになる、という悪い癖が出てしまう。そろそろ根本的に見直さないと、いよいよ日頃自分でも軽蔑しているクソみたいな人間になりそうだ。というか、既になっているわけだけど。
 電話を切ったあと、部屋を掃除したり、照明器具をいったん取り外して拭いたりして、少し汗を流した。が、その間も劣等感とはまったく違う劣等意識に苛まれ、やっぱ日々の地道な努力に尽きるんだよなぁ、と何度も自分に語りかける。
 私の夢は努力家になること(笑)。
6 10

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年05月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31