チラシの絵は気になっていたけれど埼玉と聞いただけで敬遠。でもさくら☆さんの日記を読んだら俄然「ハゲ頭三部作」(←勝手に命名ww)が観たくなった。夫は赤羽、大宮にしょっちゅう仕事に行くのであまり遠く感じないらしい。そう、不思議と知っている土地だと遠く感じないのよね。とはいえ、家からたっぷり一時間半、いつもの日曜日より早く行動開始。
春は名のみの真冬の寒さで野外彫刻や音楽噴水のある北浦和公園を散策せず美術館に直行。県立だけあって思ったより立派だった(府中や練馬、板橋各美術館以下だろうと思っていた。埼玉さん、ゴメンなさい)
原田直次郎の絵と言えば、近美のハイライトコーナー、突き当たりにどどんとある 《騎龍観音》
護国寺寄託のでっかい作品で、日本的題材を西洋画で描いている。金ぴか卍装飾付きの額とともにキョーレツな印象があり、他にどんな作品を描くのだろうと思っていた。それが、チラシで観た「ハゲ頭3部作」か。興味津々。旧字体で書かれた「西洋画は益々奨励すべし」の文にも心惹かれる。
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=327
「原田直次郎[1863(文久3)−1899(明治32)]は、江戸に生まれ、子どもの頃からフランス語を学ぶなど、西洋文化に触れて育ちました。やがて西洋絵画を学ぶため、高橋由一に師事し、1884(明治17)年にドイツのミュンヘンに留学します。
ミュンヘンでは美術アカデミーで研鑽を積み、画家のガブリエル・フォン・マックスにも師事しました。また、ドイツで出会った森鷗外と生涯にわたる友情を結び、鷗外の小説「うたかたの記」のモデルにもなっています。
1887(明治20)年に帰国すると、日本では伝統的な美術を保護し、西洋絵画を排斥する動きが高まっていました。原田は「西洋画は益々奨励すべし」と奮闘し、東京・本郷の自宅に画塾「鍾美館」を開いて指導するとともに、展覧会への出品を通して、西洋絵画の普及に努めます。わずか36歳で夭折したため、画家としての活動期間は短いものでしたが、ミュンヘンで描いた《靴屋の親爺》の圧倒的な描写力は、原田が西洋絵画の本質にいかに迫りえたのかを物語っています。
この展覧会では、原田直次郎の初期から晩年にいたる作品や資料とともに、師弟関係や親交のあった画家の作品も交えて、その軌跡をたどります。原田直次郎の回顧展としては、森鷗外が1909(明治42)年に開催した遺作展以来、およそ100年ぶりとなります。」
構成は以下の通り
第一章 誕生 Begnnings 1863-1883
第二章 留学 Days in Munich 1884-1887
第三章 奮闘 Struggle in Tokyo 1887-1899
第四章 継承 Succession to Posterity 1888-1910
36歳で夭折してしまったため残された作品数は少なく、その分書簡など資料や参考作品のパネルが多い。また第四章で紹介されている原田の画塾生の模写作品は残念ながら今イチが多い。だから遥々来たわりには観る数は実質少ないが、「ハゲ頭三部作」を観ただけでも価値があったし、今まで知らなかった事も多く、有意義だった。
原田直次郎の師は高橋由一。「鮭」で有名な画家だが、彼の息子も甥も画家だったとは初めて知った。
原田が描いた高橋由一像、30歳の作。すごく気合い入れて描いたのが解る。先生を尊敬していたのだな。
20歳でドイツに留学。その時に描いたものが第二章で紹介されている。
《神父》
《老人像》
《靴屋の親爺》
ハゲ頭三部作だ。特に神父と靴屋の親爺を比べてみるとよくわかる、説明など不要、その職業からくる人となりや性格が生き生きと写し出されているではないか。禿げ上がった額が光るさまにちょっと震えた。素晴らしい。
帰国後も沢山の肖像画を描いているが、これほどまでに素晴らしいものはなかった。
画塾を開いて西洋画推進活動に重きを置いていたせいかもしれないが、きっと注文の肖像画は自ら描きたいと思う肖像画とは違うのだろう。特に写真から起こした肖像画は生気がなくてつまらなかった。
風景画も上手い。光の捉え方が日本人ぽくない。
《風景》
ドイツ時代の師はガブリエル・フォン・マックス。心霊術に傾倒して神秘的画題が多かったり、ダーウィンの進化論に興味を持って猿を何匹も飼っていたとか。変わった人だけれど、絵は素敵だった。
《聖女マリア・テレーゼ・モールの死》
《煙を出す壷を抱く女性》
《猿のいる自画像》
こちらは友人ユリウス・エクステル《野原の少女》
ドイツでは医学で留学中の森鴎外とも友情の契りを交わし、のびのびと描いているから、己の画業に没頭するならこのままドイツに留まった方が幸せだったのかもしれないなぁと思った。
1887年に意気揚々と帰国したら、明治維新後の急激な欧州偏重の反動でディスカバージャパンが提唱され、フェノロサ、岡倉天心が日本画壇を盛り上げて、西洋絵画はコケにされていた。これじゃいかんと原田は奮闘したのだけれど、1890年に完成した大作《騎龍観音》は酷評にあった。「信仰心もないのに信仰を描くのはおかしい」という事らしい。そう言った外山正一に対して猛反発したのが森鴎外。持つべきものは真の友。直次郎は森鴎外創刊の文芸誌にも表紙絵や挿絵を描いている。画像はないが、「めさまし草」の表紙(蜘蛛と蝶/小鳥)はよかった。
直次郎にはドイツでも日本でもいい友人に恵まれているから、きっと清廉、無私な人だったに違いない。若かりし頃の写真があったが、洋装にポーズを決めて写っている彼等は「これぞ青春」と言った好青年たちで微笑ましかった。
《素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿》
本画は関東大震災のとき焼失してしまったらしい、残念。《騎龍観音》のタッチに似る大作だと思うが、画布を突き破って顔を出す犬が描かれていて、だまし絵のよう。こんなの観たの初めて、びっくり。「どんな荘厳な神話でも所詮絵は絵だと言っているのかもしれない」とキャプションにあった。これはどんな評価を受けたのだろう。
これは1897年の風景画。直次郎は1899年肺結核で亡くなる。享年36。知って良かった。3月27日まで
所蔵品展も観覧。量は多くない。
1鈍色の輝き〜日本の近代絵画
2アーティスト・プロジェクト:島州一 世界の変換と再構築
3椅子の美術館のイス
4震える青〜難波田龍起の抽象
3にある様に、この美術館は椅子を蒐集していて、それを各所に置いていて座れるようになっている。ちょっと面白いね。
ロッカーにあったアート?木場の現代美術館で見たことがあるぞ。
神奈川に続いて埼玉も近美を制覇ww
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