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2026年08月29日18:24

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8/25 長谷川潔展ーパリに生きた銅版画家の軌跡@パナソニック汐留美術館

長谷川潔展がみたくて、遠路はるばる町田市立国際版画美術館に行ったのは2019年4月の事。駅からも遠くて参ったけれど、とても素晴らしくて(美術館も)印象に残る展覧会だった。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971001915&owner_id=2083345&from=list_diary_search

今回の展覧会にも「町田市立国際版画美術館所蔵」と副題がついているから、おそらく初めて見るものはないだろう。それでもやはりまた見たい作品たちである。7年ぶりである。

作家の経歴や画業変遷については、前回の日記を見ていただくことにしよう。
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同じ作品はなるべく紹介しないようにしようと思ったが、好きな作品で画像が見つけたられたものは限られているので重複は免れない。

パナソニックはいつもながらに写真撮影不可。観客は少なめ。

スタンプカードはまた4つ溜まって、景品をいただく。1回目はチケットホルダー、2回目はフリクションペン、3回目と4回目は付箋セット、いずれも美術館オリジナル。そして今回5回目はルオーの絵葉書4枚セットだった。日記をチェックしてみるとパナソ美には記録後22回行っている。スタンプカード持参し忘れた時もあったのね。フォト

https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/
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日本を代表する版画家長谷川潔(1891-1980)は第一次世界大戦後に単身渡仏し、同地で生涯を終えました。失われつつあった銅版画の古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の形で復興させ、版画の歴史に大きな足跡を残し、またエングレーヴィング、アクアチントなど様々な技法を探求しました。モノクロームで表現された深遠な精神世界は、今なお多くの人を惹きつけています。
長谷川の作品は日本の版画界に大きな影響を与えましたが、彼の活躍の舞台はやはりパリでした。1920年代から版画家としての才能を発揮した長谷川は、まもなくフォーヴの画家・版画家デュフィに見いだされ、マティス、ピカソ、シャガールら名だたる画家が名を連ねる「独立画家=版画家協会」に加わりました。またフランスの人々に日本の版画を紹介することにも尽力した長谷川は、日本の古典文学にエングレーヴィングのイラストレーションを添えた挿絵本『竹取物語』を手がけています。本展では、長谷川に影響を与えた十九世紀以前の版画や、パリで交流した同時代画家の作品とともに、町田市立国際版画美術館が所蔵する日本有数の長谷川潔作品コレクションを中心に初期から晩年に至る名品を展覧します。
展示室では、身近な物を描きながら、無限の奥行きを感じさせる作品に出会えるでしょう。そこには、深く沈む黒とやわらかに澄んだ白とが静かにひびき合っています。その前に立つとき、見えるものは一つではないのかもしれません。見つめるまなざしにだけ、ひらかれるものがあります。ぜひ会場で作品と向き合ってください。

序章 日本時代ー水と空のかなたから呼ぶもの

小丸2文芸雑誌『仮面』の画家
日夏耿之介などとの知己を得て雑誌の表紙を木版で飾る。「長谷川ビアアリ(ビアズリー)」と呼ばれる。

小丸2西洋美術への憧憬
長谷川が影響を受けたウィリアム・ブレイク、ルドン、カンディンスキーの作品が紹介

第1章 銅版画の研鑽ー古典技法の研鑽と刷新

小丸2木口木版

1918年銅版画を学ぶためにフランスへ渡る。その後一度も日本に帰ることはなかった。また、学ぶために行ったにも関わらず、誰にも師事しなかった。師事するに値する人物がいなかったから、と全て独学で習得した。一方、もともと病弱で、南仏に着いたとたん、そこで療養生活を余儀なくされ、そこで3年間版画技法の研鑽を積む。

かの藤田嗣治でさえ何度も日本に帰ったと言うのに、一度も帰らず、誰からも学ばず、体は虚弱なのになんという意思の強い人であろう。

小丸2エングレーヴィング/ ドライポイント
最初に着手したのが、腐食させない直刻法のエングレーヴィングとドライポイントだった。
初のエングレーヴィング作品は1925年《小さな花束》(画像なし)

《水浴の少女と魚》1925年 ドライポイント
こちらはステート違いで2点並ぶ。ドライポイントは、直刻法でありながら金属のまくれにインクが溜まり柔らかい滲みのある線が生まれる。
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《思想の生まれる時》1925年 ドライポイントに手彩色
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《裸婦》1926年 エングレーヴィング
裸婦の周りに刻み込まれた平行線は「ブロード・マナー」といって、15世紀イタリアルネサンスの古典的な表現様式
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小丸2メゾチント(マニエール・ノワール)
次に長谷川が魅せられたのがメゾチントである。私も大好きな版画技法。現代日本では浜口陽三が有名だ。
メゾチントは、17世紀に生まれた銅版画の古典技法である。まず、先端に多くの細かい刃がついたベルソーと呼ばれる道具を使って版面全体にささくれを作り(目立て)、真っ黒な下地を作る。さらにそのささくれを削ったりならしたりすることでやわらかなグラデーションや明暗を表現する。しかし、メゾチントは、長谷川がフランスに来た当時には既に廃れていた。

そこで長谷川は独学。従来のメゾチントは細かな点で均一に目立てをしていくが、長谷川はこれを縦横斜めの線を交差させその痕跡をあえて残し目立たせて、独自の表現を確立する。

《南仏古村(ムーアン=サルトゥー)》1925年 メゾチント
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《摩天楼上空のポアン・ダンテロガシオン号》1930年 メゾチント
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小丸2アクアチント
金属版を腐蝕させて製版する腐蝕技法(間接凹版技法)で、背景のレースは実物のレースを銅板に押し当てて転写、模様を白く抜く方法は長谷川が編み出したと言う。
《小さなアネモネ》1939年 アクアチント、ソフトグランド・エッチング
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小丸2版画の技法書

小丸2版画の道具ー長谷川潔のアトリエより

第2章 パリの版画界ー画家たちとの交流

小丸2フランスの友人画家
1920年代初頭、画家ラウル・デュフィは、彼が創設に関わった「独立画家=版画家協会」に長谷川を勧誘。パリの版画界で注目され、シャガールやピカソと肩を並べる。

小丸2パリの出版界

《マルキシャンヌの村(ピレネー・オリヤンタル)》1930年ごろ
長谷川の油彩は初めて見た
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小丸2独立画家=版画家協会(PGI)

《金魚鉢の中の小鳥》1927年 ドライポイント
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《ダリアと野の花》1932年 ドライポイント
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PGIのメンバー、ジャン=ミエール・ラブルールやPGIに出品したマリー・ローランサンなどの作品も展示。
レンブラント展で、絵画の複製でしかなかった版画がレンブラントの功績で芸術に昇華し、19世紀から20世紀にパリで版画ブームが再燃したことを知ったが、まさにこの時のこと。


第3章 「竹取物語」ーフランスで刻まれた日本の美

渡仏後一度も日本に帰らなかった長谷川だが、パリ画壇で確固たる地位を築いてこの豪華挿絵本を作る。題材は「竹取物語」だ。総部数150部、うち特別版15部。エングレーヴィング、ドライポイント
藤田嗣治と同様、西洋の伝統技法を血肉にしながらも日本的美意識を失わない稀有な画家だ。版画ゆえ知名度が低いのが残念。
フランスては超有名らしい。

展示空間は工夫がされていた。全作品展示で全てケースに平置き。特注の鳥の子和紙で囲っていてその向こうから光を当てている。
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作品は、やまと絵風でありながら、姫君たちの顔は日本でも西洋でもない感じで、全体的に洗練されている。日本の竹取物語絵巻を想像すると、良い意味で裏切られるね。
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第4章 自然ー白昼に神を見る

小丸2戦前の風景画

小丸2戦時下の制作

《一樹(ニレの木)》1941年 ドライポイント
この話は覚えている。パリがドイツ占領下にあった頃、鬱屈した日々。散歩の途中で木が「ボンジュール!」と話しかけてきたと言う。この時長谷川は「自分が波長を合わせれば、万物それぞれの声を聞くことができる」と悟ったという。ここから、長谷川の作品が変わる。
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《窓からの眺め(シャトー・ド・ヴェヌヴェルの窓)》1941年 エングレーヴィング
シャトー・ド・ヴェヌヴェルは斎藤豊作の邸宅。そうそう、戦争が始まってもパリに残った画家としてしばしば美術史に登場する斎藤豊作は新印象主義の明るく美しい絵を描く画家だった。そうか、長谷川はパリから彼の家に疎開していたのね。
田舎での心穏やかな暮らしが、窓の手すりの美しい紋様と外ののどかな景色に感じられる。
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小丸2 日常にひそむ神秘

《野花(コクリコと矢車草)》エングレーヴィング
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《野辺の月》1956年 エッチング
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《野辺小禽》1957年 エングレーヴィング
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《樹と村の小寺院(フランス画家=版画家協会のために)》1959年 エッチング
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《開かれた窓》1951年 エングレーヴィング
窓は1940年代以降重要なモチーフとなる。窓は光や空気の通り道で、心の交流や意思の疎通を象徴している。
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《鏡の前の彫像》1951年 エングレーヴィング
この下図が初公開。さまざまなモチーフを置いて、その組み合わせを試行錯誤している。
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第5章 静物画ーマニエール・ノワールの宇宙


戦時中の収容所収監体験で一時制作ができなくなっていた長谷川だが、1950年代から再びメゾチント技法に取り組む。伝統的な点刻での目立てで深い漆黒の世界を作り、象徴的なオブジェを緻密な計算によって配置し、静謐で神秘的な宇宙を作り出す。

《アカリョムの前の草花(草花とアカリョム)》1969年 メゾチント
草花=陸と魚=水が同じ空間にある、これが長谷川の世界観
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《コップに刺したアンコリの花(過去・現在・未来のサンボル)》1965年 メゾチント
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《薔薇と時》1961年 メゾチント
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《骰子独楽と幸福の星》1961年 メゾチント
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《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話》1963年 メゾチント
イソップの酸っぱい葡萄
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《静物画 仮装したる狐(フィンランド童話)》1965年 メゾチント
モデルとなったオブジェの展示もあり
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《時 静物画》1969年 メゾチント
「画面対角線の交点に鳥の目、リングのほぼ中心に嘴をおく。砂時計の砂が落下する線は左端から測ると縦辺(短辺)と同じ長さの位置。砂時計の中心線に対して机とその上に置かれたものなどが直交」と解説に…?よくわからんが、綿密な配置なわけね。
鳥は自分自身、リングは人間の業績とその大きさ、砂時計は運動、儚さ、時間。球体は地球、宇宙。植物は生と死を象徴。
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《本の上の小鳥 静物画》1967年 メゾチント
前回見た時は、《狐と葡萄》を妄想お持ち帰りにしたはずだから、今回はこれにしようと思う。部屋に飾りたい。
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《横顔》1970年 メゾチント
長年依頼していた刷り師が逝去し、これが最後の作品となる。
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9月23日まで

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