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2026年04月15日17:12

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4/11 下村観山展【前期】@東京国立近代美術館

下村観山というと、岡倉天心の三羽烏のひとり。横山大観は豪放磊落で親分肌、技術的には劣るような気がするが善き人柄が滲み出る朗らかな画風、菱田春草は果敢に革新的、実験的な画風を打ち出し、天才肌だが早逝、観山は…?上手い…
東博の「日本の近代」展示室に、横山大観、下村観山、小杉未醒、今村紫紅が一緒に旅して写生した《東海道五十三次絵巻》が場面替えで展示してあることが多い。小杉未醒は洋画出身だけに洋画との融合で軽妙な作風、今村紫紅は明るく個性的な画風、観山は?…上手い…
いや、実に下村観山は上手いのだ。だけれど、上手すぎてずその個性、特徴がわからずにずっとスルーしてきた。なので、今回じっくり見てみようという気になる。

見たいと思っていた《獅子図屏風》が後期展示だったので後期に行く予定だったが、代表作《弱法師》が前期のみということで土曜日に駆け込んだ。
人は少なくないが混んでいるほどではなかった。とはいえ屏風を下がってみると数名の影は入る。
写真撮影は可だが、13点ほど不可のものがあった。
アルバムあります

https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121427886&owner_id=2083345

前後期の入れ替えは多い。資料も多数。
第一部が年代順、第二部がテーマ別、いわゆる大回顧展であり、観山がいかに上手い画家かを再認識するとともに、彼の探究がどこに向かっていたのかを知る良い展覧会だった。疲れてMOMATは途中までしか見られなかったので、後期も《獅子図屏風》を見にこよう。

大きな屏風作品であっても恐ろしく細かく描いているので単眼鏡は必携。美術館で300円で貸し出しだそうだが、音声ガイドよりも借りている人が多く、小さな感嘆の声があちこちで上がっていた。
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https://www.momat.go.jp/exhibitions/567
https://art.nikkei.com/kanzan/
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日本画家・下村観山は紀伊徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれ、橋本雅邦に学んだのち、東京美術学校に第一期生として入学しました。卒業後は同校で教鞭を執りましたが、校長の岡倉天心とともに辞職、日本美術院の設立に参加しました。
出品作品点数約150件、関東では13年ぶりの開催となる今回の回顧展では、狩野派、やまと絵の筆法を習得して若くから頭角を現した観山が、2年間のイギリス留学を通して世界をまたにかけた幅広い視野を身につけ、画壇を牽引する存在へと成長する軌跡を示します。そこからは、盟友の横山大観、菱田春草らとともに明治という新時代にふさわしい絵画を切り拓こうとした観山のひたむきな姿が浮かび上がってきます。
さらに、日本の古画や中国絵画の研究の成果、本人のルーツでもある能を主題とした絵画制作、時の政財界人とのサロンのようなネットワークにもスポットを当て、様々な角度から観山芸術の魅力に迫ります。これにより、明治から大正へと時代が移り変わる中で絵画のあり方に改めて向き合った観山が、自己表現のための芸術とはまた別の、作品を手に取る個人ひいては社会とともに生きる絵画を追い求めていったことが明らかになるでしょう。


第一部 画業をたどるー生涯と芸術

第1章 若き日の観山(1873~1902 誕生・上京〜修行時代〜日本美術院への参加)
10歳からの作品がずらりと並ぶ。狩野芳崖、橋本雅邦に師事。
《騎虎鍾馗》1884年
なんと11歳の作品。模写ではあろうが、すでに色々な技法を身につけている。
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《熊野(ゆや)観音》1894年
東京美術学校の卒業制作。21歳の作。卒業してすぐに准教授に就任するのだから普通じゃない。
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謡曲「熊野(ゆや)」の主題の部分はもちろんのこと、細部の人物描写、風俗描写、その構成が見事で、展覧会序章なのに見入ってしまう。
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《春日野》1900年
岡倉天心を追って辞職、日本美術院を創設後の作品。朦朧体を試みる
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《長安一片月》1900年 *撮影不可 ネットから
李白の詩より。月明かりに照らされた長安の街。静謐な佇まい。戦地に行った夫の帰りを待ちながら妻が打つ砧の音だけが響き渡る。うっとりするような墨の色
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《闍維(じゃい)》1898年
闍維とは火葬のこと。釈迦を火葬せんと弟子が祈りを捧げたところ、棺の中から自然に煙が立ち上り、空から花びらが降ってきた。光の描き方に苦心が見られる
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仏弟子のうち、画面右から2人目に自身を描く。
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第2章 西洋を識る(1903〜1905イギリス留学)

日本画家として初めて国からの命令で英国留学を果たす。

《「小椅子の聖母」(ラファエロ)の模写》1904年
観山は留学中に西洋美術を多く模写している。水性絵の具を使用したそうだが、西洋人の模写より上手かったそうだ。陰影表現をすぐにモノにしたのね。すご〜い
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《馬図》1903〜05年 *撮影不可 ネットから
大英博物館蔵。やまと絵ふうだが、背景の色調やぼかし、滲みはまるでターナーの絵のように美しい。当然イギリスではターナーを見ているよね?
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《ダイオゼニス》1903年
1903年の日本絵画協会・日本美術院連合会が共進会にロンドンから出品
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《ディオゲネス》1903〜05年 *撮影不可 ネットから
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こちらは、懇意にしていたアーサー・モリソンに観山が贈った作品。日本の展覧会に出す作品は西洋画風の着彩画、英国人に贈る作品は水墨画風(達磨図を想起した)に描き分けている。


第3章 飛躍の時代(1906~1913年)帰国〜日本美術院再興前夜
1906年岡倉天心の主導により、横山大観、菱田春草、木村武山らと共に家族と移住し、日本美術院の再興を目指す

《美人と舎利》1909年
女性は、その衣から源氏物語の六条御息所。2幅1対でメメント・モリか。骨格の立体表現、まさに西洋画。
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《木の間の秋》1907年
写真でこの作品の美しさが伝わらないのがもどかしい。西洋画の空気遠近法や陽光が射し込み、陽だまりを作るさまを日本屏風の伝統的な金泥を用いて表現する。花の蕾や山葡萄の実の精緻なこと!
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《唐茄子畑》1911年
カボチャ畑にうずくまる黒猫、その視線の先には飛び立つ鴉。金地の六曲一双の屏風の作品は琳派のような装飾性を備えているが、かぼちゃの茎や葉の産毛、支柱の竹の質感と交差するところを留めた麻紐の細かさに目をこらす。ここまで描くか。
この黒猫は鴉との呼応ではあるが、1910年に同胞・菱田春草描く、重文《黒き猫》との関連が知りたい。全くの偶然ではなかろう?北宋・徽宗皇帝の猫へのオマージュとして競い合ったのかな、など想像するのも楽しいが。
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第4章 画壇の牽引者として(1914〜1930年 日本美術院再興〜死没)


《弱法師(よろぼし)》1915年
再興第2回日本美術院展で発表された観山の代表作。
謡曲『弱法師』の一場面。自分を捨てた父に、そうとは知らず勧められて日想観(じっそうかん・日没を拝み西方浄土を想う瞑想法)を行う盲目の俊徳丸は、かつて肉眼で見た美しい難波の浦の景色を、心の目で「見える、見えるぞ」と思い起こす。微細に描かれた恍惚の面差しが見事!
こういうタイプの作品は、特に能などに関心のない私は小さな画像で見て「なるほどね〜」で終わってしまいやすく、実物を見ないとダメだ。右端に背を丸めた弱法師の横向きの姿、弱法師の手前にある梅の大木は枝を交差させながら視線を左に誘導、左端に今まさに沈みゆく赤く大きな太陽が。鑑賞者をも誘う夢幻の世界だ。見にきてよかった〜
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別の章に《俊徳丸》1922年の展示もあり。能楽師の家に生まれた観山の、この謡曲に対する関心の高さが窺われる。梅の花びらが舞う。
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《不動尊》1925年 *写真撮影不可 ネットから
以前、大倉集古館で見て「観山ってすごい!」と感嘆した作品。そうだった、また会えるとは感激。不動尊と二童子は確かな線描で描く。背後の火焔の質感、燃え盛る火の透明感がすごく、倶利伽羅剣にまとうさまも迫力だ。手前の岩は金の絵具で力強い筆跡。立体感も増す。かっこいいなー
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《寒空》1923年
こういう作品を見ると「近代日本画」の完成度の高さを思い知る。白鷺の生き生きした姿に感嘆。
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《女三の宮》1927年
若い頃やまと絵も体得したという観山。幼い女三の宮、猫は虎猫で下半身だけがみえ、去っていく。
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《魚籃観音》1928年
一目瞭然、《モナ・リザ》を元に観音像を描く。一瞬ギョッとしたが、やはり上手い。犬でさえ正確な骨格筋肉表現。
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《意馬心猿図》1930年
仏教由来の熟語で、欲望・妄念に振り回され、心が乱れて落ち着かないことをいうが、なんだか楽しそう。
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第二部 制作を紐解くー時代と社会

第1章 何をどう描くかー不易流行

《日蓮上人辻説法》1894年
学校卒業後の作品。人物を生き生き描く手法は古い絵巻物の研究が生かされている。
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笠を被った人の着物の柄はミミズク?

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塀の落書き、子連れの母親、喧嘩?人々が生き生き描かれる。
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《稚児文殊》1923年
獅子の巻き毛も細かい。
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《四眠》1917年
四睡図なら、豊干禅師と寒山拾得、虎なのだが、こちらは、羅漢、童子、龍、小鳥が眠る。
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羅漢の膝の上でだらんと力を抜いて眠りこける龍なんて初めて見た。
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第2章 なぜこれを描いたかー日本近代と文化的アイデンティティ
《蒙古襲来図》1895年
「蒙古襲来絵詞」などを参考に現代的に戦闘シーンを描く。
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血走った目、細部まで緊迫した様子を描く
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第3章 作品の生きる場所、作品がつなぐもの
原三溪や細川護立、「観山会」を作った渋沢栄一など、観山は政財界からも人気の画家だった。エピソードがいくつももあるようだが、そんな人たちに絶大な支持を受けたがために、我々一般庶民にそれほど人気がなかったのかもしれない。


最後に展示された《竹の子》1930年
観山の絶筆である。体調が良くない中、1週間で描き上げたという。日本の絵画目標の源である中国宋元代の手法で描いている。
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近代日本、本当にすごい画家がいたもんだ。

5月10日まで(4月14日より後期展示)



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