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2026年01月07日21:25

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1/4 人々を援(たす)け寄り添う神と仏ー道釈人物画の世界ー@大倉集古館

4日日曜日。帰省ラッシュが予想される東京駅や上野駅には近づきたくない、では、どんな美術館が開館しているのか…そうそう!大倉集古館はなんと元旦から開館しているのだ。企画展は「神と仏」、神仏におすがりしたい今の私は飛びついた(笑)



入り口も正面もお正月に相応しい華やかな生花。観覧者はいつにもまして少ない。この美術館にしては珍しく、3点を除いて写真撮影可。展示は前後期一部入れ替えがあり、前期は12月21日で終了、見に行った時は後期展示だった。
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アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121399418&owner_id=2083345
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https://www.shukokan.org/exhibition/
お正月や端午の節句などに登場する、七福神や鍾馗などの神や仏がいます。お寺や神社の奥深くにいるのではなく、人々の暮らしに溶け込みながら存在していました。現代ではあまり出会わなくなりつつありますが、江戸時代から昭和の初め頃には、掛軸や節句人形、瓦人形などに表現され、人々の願いに応えてきました。
本展では、七福神や鍾馗などの民間信仰の神とともに、仏教の仏である普賢菩薩や文殊菩薩、禅宗で祀られた親しみのある姿の布袋、異国情緒を醸し出す奇怪な風貌の羅漢など、道教や仏教の神仏や人物を描いた「道釈人物画」を取り上げ、私達人間のそばに寄り添い、災厄を払い、願いを叶え、ある時には生きる姿勢を示してくれた神や仏の姿を紹介します。


第1章 七福神 
七福神は室町時代・15世紀に京都の町衆文化の中で生まれた。すでに人気のあった恵比寿、大黒の二福神を軸に、七という聖数に触発されて成立したらしい。
恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、寿老人、福禄寿、布袋で7人、お多福、吉祥天、達磨、宇賀神、猩々などを含める地域もあるという。

島野春彰《七福神図》昭和・20世紀
作家は金沢最後の浮世絵師と言われた人。そんなに上手とは思えなかったが、七福神が寄り集まって掛け軸を鑑賞している図は微笑ましい。
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小泉斐《七福神図》江戸時代(1848、1849)
海の青い色は当時最新流行の合成絵具「ベロ藍」を使ったもの。北斎も好んで使っていたアレね。
弁財天が童女を従えた3人組で描かれているのは、弁財天を宗像大社の宗像三女神と考えていたため。
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狩野常信《寿老人・鶴図》江戸時代・17〜18世紀
寿老人はりゅうこつ座α星のカノープスを擬人化したもの。皇帝の寿命をも支配する星とされ、鹿や鶴を従える。鹿は角が漢方薬で再生復活の象徴だし、鶴は仙人が乗る瑞鳥。長寿を祝う絵。
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《福禄寿三星図》中華民国時代・20世紀
大倉喜八郎が中国要人からお祝いに送られたもの。糸の線も見えないほどみっちり刺された刺繍だから驚き。大倉集古館には「中国要人から送られた…」というのが時々出てくるので面白い。
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尾形乾山・尾形光琳《錆絵寿老図六角皿》江戸時代・18世紀
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渡辺崋山《福禄寿図》江戸時代(1817)
福をコウモリ(蝙蝠=変福)、禄を鹿(ろく)、寿を樹木(じゅ)で表し、福禄寿とした作品
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中村芳中《寿老人図扇面》江戸時代
うちわで顔を隠した恥ずかしがり屋の寿老人。表装は、乾隆帝が好んだ「蝋箋(ろうせん)」ですって。妄想お持ち帰りしたい!
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北川喜内《毘沙門天立像》江戸時代
四天王の一尊としては「多聞天」、独尊の場合は「毘沙門天」と呼ぶ。
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その源はインド神話の神クベーラ
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《サラスヴァティ像》インド・20世紀初
弁財天の源は、ヒンドゥー教の女神で、サラスヴァティ川の化身として、流れるもの全て(言葉、弁舌、知識、音楽など)の女神。日本では、音楽→芸事の神様となったのか。
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《蛭子(えびす)図》室町時代・15世紀
唯一の日本由来の神。蛭子命(エビスノミコト)はイザナギ、イザナミの最初の子供だったが、不具の子として生まれたことから、葦の葉に乗せられて流されてしまう(可哀相!)。流れ着いた場所で、のちに海を領する神となった。
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木村斯光《大黒天図》大正時代(1924)
サンタクロースのイメージを投影したと思われる作品。日本にクリスマスが伝わったのは明治初、明治33年に絵本「さんたくろう」が発行、大正天皇崩御により12月25日が休日となって以来、日本にクリスマスが広がったんだって!(思わぬ蘊蓄を知る)
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第2章 江戸のヒーロー
5月5日の端午の節句に飾られた強きヒーロー、鍾馗と関羽を特集。

張月樵《関羽と周倉(しゅうそう)図》江戸時代(1830)
周倉は関羽の部下。関羽は、火の属性(赤色)を持つ南方を守ったことから赤ら顔で表現されることが多い。
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張月樵《張飛》江戸時代
関羽と同僚の武将。関羽の顔が赤なら、張飛の顔は黒だ。道教の神としての張飛は「桓侯大帝(かんこうたいてい)」と呼ばれ、門神として祀られた。
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円山応挙《関羽図》江戸時代
端午の節句の幟旗として使われたが、あまりに巨大で所有者の手にあまり、大倉集古館に寄贈されたとのこと。
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この大きさ…
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二代葛飾戴斗《鍾馗図》(1830)
中国唐時代の架空の人物で、日本では鍾馗=勝機とされ、武家の男子が武人として成長するのを祈念する端午の節句に飾られる。
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それぞれ個性が出る鍾馗さま
白隠慧鶴《鍾馗図》江戸時代・18世紀
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仙�儺想陝埔瘻朕沺婢掌融�代・18−19世紀
「酒こふてこい よかさかなかとれた」鬼は酒の肴になってしまうのね。
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呉春《朱描鍾馗図》江戸時代(1786)
疱瘡避けとして朱墨で鍾馗を描く
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第3章 仏教の神と仏
美しい遊女や美少年に姿を変えた普賢菩薩や文殊菩薩、江戸時代の絵画ではおなじみの寒山と拾得や達磨など人々とともに生活に溶け込んだ神や仏、僧侶の姿を紹介。

《普賢十羅刹女像》鎌倉時代・14世紀
羅刹女は元人を喰らう鬼女だったのが、法華経の信仰者を守る神となった存在で、貴族女性の救済の仏教神。でも9人しか見当たらない。断簡なのかしら?
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岩井江雲《達磨図》江戸時代・安永8年(1779)
あかんべえをしている達磨にのけぞった〜
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《達磨大師像》江戸時代17世紀
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髪の毛の一部が渦を巻いて、螺髪になってきている。古い達磨図は朱の衣ではない。
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旭峯《高僧図》江戸時代・18〜19世紀
達磨図ではないが、脇息に頬杖ついてニヤけているような顔つき。あかんべえの達磨さん同様人間臭くて親しみやすい。
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英一蝶《布袋図(雑画帖のうち)》江戸時代・17世紀
禅宗で眠る姿は心が静まった悟りの境地、袋の丸い形は「円相」(完全な悟り)を表す。右手をそっと出しているところがなんとも可愛い。妄想お持ち帰りはこちらにしようか。
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松花堂昭乗《布袋各様図巻》江戸時代・17世紀
10人の布袋と2人の禅僧の図。
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布袋さんの袋がだんだん大きくなり、最後には仰向けにもたれて月を指している。布袋さんの絵は誰が描いてもほのぼの。
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人々を救済してくれる観音さまは美しい女性のようだ
狩野探幽《観音菩薩図》江戸時代・17世紀
白衣観音
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白隠慧鶴《蓮池観音図》江戸時代(1751)
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紀広成《魚籃観音図》江戸時代・19世紀
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月僊《雲中十六羅漢図》江戸時代・18〜19世紀
煙の中にもいて、合わせて16人。
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虎が愛くるしい
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鸞山(らんざん)《寒山拾得図》
背中合わせの珍しい寒山拾得。表裏一体?意味がありそう。
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第4章 洛中洛外の瓦鍾馗
ミュージアムショップのある地階。おまけの様なところだけれど、まさかこんなところにこんな面白い展示があるとは!


京都、奈良、滋賀、三重、大阪には鍾馗を象った瓦人形があり、写真家・服部正美氏が長年撮り溜めたものだという。
瓦鍾馗には、お寺の鬼瓦や墓地、神社の霊気を睨み返す、道の突き当たりに鍾馗を立てて魔物を防ぐ、向かいの家の瓦鍾馗が弾き飛ばした邪気を弾き返す、などの役割があるという。その姿は、鬼瓦同様、勇猛果敢なものもあれば、ユニークなものもあり、さまざま!人気投票もできるので、自然と盛り上がる。それにしても関東では見ないよね?よくぞ撮ったりと感心します。
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この展覧会、面白かったです。


アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121399418&owner_id=2083345

1月18日まで



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