7月31日木曜日。
昼ごはんは、なぜかマイミクさんから届いた半田素麺をいただく。
徳島県は江戸期から続く手延べ素麺がこんにちまで受け継がれていて、四国の伝統食とも言える。製造元は”たきはら手延べ製麺”で、住所を見ると美馬郡つるぎ町とあった。高校1年時、冬の剣山系を縦走したこともあってなつかしい町だ。
麺は腰がしっかりしている。素麺というより冷や麦に近い。讃岐うどんなんかを食べていても毎回感じることだが、高松に6年もいたことから四国愛を覚える。
前々回の山中湖滞在中(今年の春から鎌倉・山中湖の2拠点生活をしている)、宇佐美まことの『恋狂ひ』という長編を読んだ。四国と東京を舞台とした奇妙な小説で、戦前戦後のお遍路が重要なモチーフになっている。ブックオフで買ったのだが、カバーの説明書きに、「亡父から相続した元遍路やろの古民家を訪れ、そこで古い日記を見つける。四国遍路で果てる覚悟の女が戦前に書いたと思われる旅の記録を読み、自身も女の生と性に揺れる鞠子はこの遍路日記に飲み込まれるようになり……」というくだりで、読みたくなった。
読み終わるまでの5時間、しばしばもうちょっと四国を旅しておくんだった、という淡い後悔を感じた。私は高松市の東端で源平の合戦があった屋島に住んでいたので、校区に屋島寺がある。しかし、第84番札所にもかかわらずお遍路さんの影は薄く、むしろ観光名所としてのイメージが強かったし、巷間語られてきたような”へんど”(ハンセン病患者や犯罪などの訳あり人が生涯札所巡りをすることを指す差別用語)なんて100回訪ねたところで見たこともなかった。まあ今の私はある意味、へんどみたいなもので、詩人全集の編集以外は、毎日が流浪の旅人である。
『恋狂ひ』はストーリー性が高い上、著者は松山育ち&在住ゆえ、遍路道の描写力が抜群に優れている。
昭和15年頃に最愛の男を殺した女が死に場所を求めてお遍路さんになったのだが、彼女に日記には「起こったことはもう元には戻らぬ。たゞ流るゝ様に漂泊の旅を続けるのみ。四国はよい。幾らでも廻はれる閉じた環だから」などとあって、それならば遅まきながら私も歩き遍路をしてみようか、とさえ思った。車谷長吉さんが奥様と歩き遍路の旅に出られたのはいくつの時だっけ?
私がもし小説をものすとすれば、舞台は四国山地にある限界集落かもしれない。私が屋島に越した昭和40年代でも、まだ伝奇小説に出てきそうな部落があったし、仄聞するに戸籍のない人もいたという。高知まで行けば、絶滅してしまったカワウソがいたんだよなあ。あちらこちらに落人伝説があったり、鮒や泥鰌を食べていたり、何百年にもわたって受け継がれてきた歌舞伎があったり。感受性が豊かだった中高生時代、これら四国でしか体験できぬ歴史や文化をつゆ学ぶことがなかったのは、自分の近視眼的な志向ゆえだ。
たかが素麺、されど素麺。
たかがうどん、されどうどん。
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