8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の日。
私が何を食べただの、何をしただのと書くことが憚られる。今日はそんな日。
会社を辞めたら、平日の午前10時45分にテレビを見ることができる。
毎年、NHKのライブで平和祈念式典の中継を見ている。2022年まで、平和宣言は田上富久長崎市長がなされていて、彼の政治的な立場や能力は知らないものの、田上市長の誠実そうな人柄と核に対する静かな怒りに共感以上の感情を覚えていた。昨年からは鈴木史朗市長になったが、田上さんの重しが効いているのか、宣言は時代に即した内容で、列席している各国大使やキシダ総理には耳の痛い核拡散防止条約批准などもに触れている。今年は当事者のキシダまで、この条約に言及していた。おそらく長崎をあとにしたらリス同様、すぽんとその記憶を無くしているだろうけど。
鈴木市長が宣言のなかで読み上げた被爆詩人・福田須磨子さんの詩。
「原爆を作る人々よ!/しばし手を休め眼をとじ給え/昭和二十年八月九日!/あなた方が作った原爆で/幾万の尊い生命が奪われ/……」
式の最後は、純心女子高生による合唱「千羽鶴」。
涙が止まらない。
昨日は自宅から半径100メートル内で暮らしていた。今日はちょっと歩かないと。
返却期限が一日過ぎてしまった本があるので図書館へ行かなきゃいけない。半分まで読んで10日以上放置状態だった。
残りは図書館で読むことにした。そのほうが自室より100倍涼しい。
1時間半で読了。
高校3年の8月は、勉強するんだと(親と自分に)言い訳をしながら毎日、芦屋図書館に通っていた。受験勉強は2時間もすると飽きてしまう。あとの時間は図書館の文芸棚から太宰に代表される私小説作家の本をテキトーに引き抜いてだらだらと読んでいた。この図書館、あの村上春樹と関係があるとかないとか。
とにかく図書館で本をじっくりと読むというのは、美術館で絵を見るのと同じような贅沢さがある(ように思う)。
午後6時前、自宅への帰り道を歩きながら、なんだか歩くのがしんどくなってしまい、つい先日亡くなった友人を思いだしてしまう。
健脚だった彼が電話で「もう歩けなくなったんだ」と私に言う、
ウソだろ。
見舞いに行ってわかった。
ホントだった。
明日からニッポンはお盆ウィークになる。
まだ彼はぼくの頭上にいて、ぼくを見ているかもしれない。
地震があった。鎌倉は震度4だったらしいが、もっと大きな揺れだった。
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