「優しくてめっちゃ可愛い」にしおかすみこ 大ブレイクから16年目の“キャラ変”にネット驚き
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=7554581
30歳代の頃まで「ドッキリテレビ」的な悪ノリ系エンタメ番組が好きだった。が今、この紹介記事を読んでいて、いつの間にやら心の深甚を傷をつけてしまう可能性が高いイタズラに対して強い違和感を覚えるになっている自分を知る。
なぜわざわざ日記に取り上げるほど(こういう日記スタイルは初めてだ)、イヤだ嫌いだと非難めいたことを訴えたいのか……。すっきりとした回答は出来ないものの、善意を試したり場合によっては踏みにじったりすることは自分にあって間違いなくルール違反だ、人の倫に悖る行為だ、と思うからである。繰り返すが、前はそうじゃなかった。悪ふざけを仕掛けてひとの困った顔や怒った顔を見るのが痛快だった。こういう性癖は小学校の卒業と同時に一般のひとは文字どおり卒業するわけだが、私は40近くまで幼稚なクソガキだったようで、どこかでそんな自分のキャラを売りにしていた。幼稚としか言いようがない。
もう一つ、ひとの善意をもてあそぶおふざけが嫌いな理由がある。21世紀以降顕著になってきたのだが、いい人でありたいと願うタイプの人間は競争で負けがこむようになってきた。これは人間に限らず、社会全般に言えることで、清濁併せ呑みながらがむしゃらな競争を仕掛けないと、生き残ることが難しくなってきた。
いい例がビッグモーター社だ。コンプライアンスやモラルや人権意識の欠片もない企業だが、あそこまで下品な活動はないものの、アタマのいい勝ち組企業の多くはソフィスティケイトされたビッグモーターで、外面はいいものの内実は案外と似たようなものである。
こんなふうに考察していると、にしおかすみこが気の毒に映ったワケが見えてきた。
俺は「虐待」が嫌いなんだ、と。
時給千円ちょっとで働かされている非正規労働者、1日12時間も走り回っている宅配業者なんて社会から虐待を受けているようなもんだ。誰が編み出したのかわからないが、ひとのいいところにつけこんで、ぎりぎりの非道な扱いをしている現代社会なんて、虐待社会と言われたって反論できまい。
例を挙げ始めるとキリがないので、この辺にしときたいけど、優しい人が生き残っていくのがつらい社会。前向きという精神的スキルが乏しい人がちやほやされることが少ない社会。ああ、原発の汚染水よりおぞましい。
今日は散歩がてら図書館に行った以外はずっとパソコンの前で入稿原稿を整えていた。この作業にこれから復帰しよう。
ログインしてコメントを確認・投稿する