午前10時半、雨は降っていない。本の返却がてら図書館へ行くことにした。どうせならついでに、と欲をかいて、昨日皮むきまでした銀杏を小袋に詰め、一筆手紙も書いて、フレンチレストランのシェフにお届けすることに。ささっとペンを走らせ、イラストなんかも添えたりして、11時前に家を出た。いかにも編集者っぽいものになって自己満足。
フレンチに寄って銀杏を渡してから、図書館へ。一日最低6千歩を課しているので、このくらい大回りのコースを歩けば、5千歩くらいは稼げるという計算。
図書館で片岡義男の『珈琲が呼ぶ』を返却。洋楽やジャズと珈琲を結びつけるエッセイが多く、10中8曲がが知らないものだから少々退屈だったのだが、他方、一杯の珈琲を求めてわざわざ京都へ行くという片岡の自由自在な行動力に敬意を覚えて、さすが一流の男だ見習いたい、とも思った。私、口ばっかりなんだよな。
正午を30分ほど回ったところで帰宅。と、昨日ドタキャンした友人から電話が入った。しきりに彼は謝る。上京、入鎌できなかったことが悔しかったのだろう。しかし、抗がん劑の副作用なのだから、これからもそんな自分の現状と上手く付き合え、と私は笑う。
高校や大学の友人というのは気楽だ、というか貴重になってきた。私は基本的にどんな人に対しても「さん」付けで呼ぶのだが、学生時代はずっと不良(というか不良品)で、粗暴だったので、教師は別としても名前を呼び捨てにしていた。男女限らずに、だ。そういう過去を知っている奴にはいまだ呼び捨てで通している。なので、男の友人なら私を呼び捨てにする。これが心地いい。呼び捨てが出来るのはいったい何人だろう?
昼飯時だったこともあって長電話をしたくなかったのだが、彼がもう少し話してもいいか、などと言うので、付き合う。今回の副作用は強いらしく、悩みをせつせつと打ち明ける。
よくわかるぞ、そんな友人をたくさん見てきた。そして、亡くなっちゃった。だからこそ言うのだが、おまえやすやすと死ぬなよ。
こういうタブーに触れる禁句も、呼び捨て対象者にはなんとか言える。電話口で彼は「そう言ってくれると助かる」と応え、笑ってくれた。「ぼくも何人かの人を見送ってきたから、余計頑張って生きようと思える」と彼が言う。チクリと心が痛んだ。
サヨクな言い回しだが、友人みんなと真に連帯していきたい。20歳の頃とは違う同時代性を感じた。
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