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2021年09月07日10:49

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侘び 寂び 軽み

侘び、寂び、軽み、
 侘び 寂び 軽み は、日本独特のものだと言われている。侘び寂びは有名で、何となく、言わんとすることも理解できると思う。侘しい様、寂れた様に美を見出し愛でる、というような意味だろう。茶道の世界では、茶室も小さく質素に作られる。どんなに地位の高い人でも、頭を下げながら茶室に入るように入り口は狭く小さく作られているのだとか。茶道具も、華美なものではなく、質素、素朴、日常雑器を茶道具として使う場合もある。一方で、日本には、絢爛豪華な価値観もある。狩野派の襖絵などもそうだろう。豪華で絢爛だ。建物でも、色彩豊かな派手な装飾が施されていたり、金ピカピンに作られていたりと、派手好みの価値観も存在する。花魁の艶やかさ、などもそうだろう。傾奇者なども、この派手好みの流れだろうか。派手、というよりは、奇異と言った方が合っているか。金びょうぶなども、派手好みだろう。侘び、寂び、は、理解しやすく、好む人も多いだろうと思う。派手好みも、侘び寂びも、美意識であって、そこに優劣がある訳ではない。ただ、分かりにくいのが軽みだ。かるみ、かろみ、とも言う、軽やかさ、軽妙さ、と言った、どちらかというと芸事に絡む美意識のようにも思う。俳人の芭蕉が目指した境地とも言われるのが軽みだが、この美意識は、誤解している人が多い。分かりやすくて、軽妙、表面的には、非常に軽く見える。どちらかというと庶民的な価値観になるだろうか。笑いにも通じる美意識だ。江戸時代には、侘び、寂び、軽み、が存在した。その後、明治期以降、侘び、寂び、だけが取り上げられ、軽みは、軽視されるようになるが、ここに、時代の問題点が隠されている。軽みを美意識として理解できなかったのだ。現代ようやく、軽みの意味が再び見出されつつある。侘び、寂び、だけでは、十分ではなく、そこに、軽みがプラスされることで、日常が生きてくる。それは、塩むすびのような存在かも知れない。人は、美味しいご馳走ばかり食べていると病気になる。質素な食事は、健康的なのだ。それは、もう分かっている。何でもない日常の情景や、日常使いの雑器、そこに美を見出す。たまには、贅沢をしたり、ご馳走を食べたりもしたい。それも楽しいだろう。だが、決して何でもない日常が、つまらないものではない、という発想。今は、時代的に軽みの時代に入っているのではないかとも思う。勘違いしてはいけないのは、この軽みは、あの芭蕉が追い求めた境地でもあるということだ。芸人が名人になって、軽妙な話芸をものにする、この境地は、簡単に真似の出来るようなものではない。簡単に出来る、と思ってしまうために、とんでもないことになってしまうのではないだろうか。軽みの分からない人も多いと思うが、もう、そういう時代ではないので、軽みが抜けた美意識は、厳しい状況になっていきそうだ。ユーチューブの何でもないような動画が人気なのも、この軽みと関係しているのではないだろうか。
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