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2021年08月12日17:00

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体力80歳の私が行く旅(その4 雨の中の徘徊)

 四尾連湖の朝、日本の夏。
 朝8時ちょっと前、湖に面した本館のテラスで朝食をいただく。スマートウォッチのアプリで睡眠時間をチェックしてみたら、4時間足らずだった。虚弱体質の上に睡眠不足か。今日一日が思いやられる。
 午前9時半を過ぎたところで、湖から最も近い集落へ歩いて行くことにする。詩人はしばしば集落を訪ねてメシを食わせてもらったり、村人と酒を酌み交わして夜12時に小屋へ帰ってきたりしていた。
 クルマならほんの数分であろう。が、歩くと下り坂の往きで20〜30分、帰り道は30〜40分ほどだと宿の人は言う。
 ミニリュックにデジイチ、iPhone、ノートなど最小限のものを入れ、若旦那から「絶対雨が降るので」と渡された傘も持って小屋を出た。ピーカンなんですけど。
 下る一方なので、歩きやすい。昔と違って道路も完全舗装されている。
 何分かかったかわからないが、集落に着いた。
 昭和58年に描かれた手書きの集落地図を広げる。大雑把な地図には何軒か詩人と親交があった家が載っている。さらに、若旦那にヒヤリングして、2軒の翁を訪ねるとよいと聞いていた。若旦那は消防団の活動をしているので、四尾連湖区域の家々について詳しい。
 既に3軒しか永住している家はない。ザ・限界集落である。
 いちばんの長老、昭和10年生まれのKさんはご在宅だった。私がなぜKさんを訪ねたのかをざっくり話すと、理解してくださった。
 かつては60軒の家があった集落だと言う。それは終戦前後の話だ(推定)。詩人についての話の他、村の一般的な生活について結構具体的なお話を聞くことができた。
 途中、いきなり大雨が降ってくる。傘をさしてKさんに差しかけていたら、ずぶ濡れになってしまった。
 もう一軒の家を訪ねた。繋がれた犬に激しく吠えられつつ玄関ベルを押したのだが、出て来ない。仕方なく玄関の引き戸を開け、わめくようにお名前を呼ぶと、ご老人が出て来たので、訪ねた主旨を話す。
「あまり知らねえだよ」と言われたが、強引に「昔の話ならなんでもいいんです。私はただただ四尾連湖に興味があって、Yさんにお話をしてもらえたら嬉しいんです」と主張する。
 昭和13年生まれ、83歳。
 シビレ(湖)は凍っただよ。雪は12月になったらだな。というような話から始まり、詩人が棲んだ小屋をのちに借りた画家には会ったことがある、という話題に移る。
 時間にして15分くらいだった。耳が少し遠いこともあって、申し訳ない気持ちになった。
 雨は降り続く。傘を借りていてよかった。
 集落内を縦横無尽に歩いた。一軒、川崎ナンバーのクルマが駐まっていたので、呼び鈴を押したり、玄関から大声で「すみませーん」などと叫んだものの反応はなかった。
 もう一軒、在宅されているお宅はあるのだが、50歳くらいのかただと事前に聞いているので、わざわざインタビューをすることもないか、と匙を投げ、相変わらず無意味に歩いていると、人家からだんだんと外れて山の中に入り込んでしまった。方角がわからない。この道はどこへ続いているのだろう? いやそれを知ったところで、詩人の手がかりになるような人はいない。
 そのうち熊が出てきそうなほど山深くなってきたので、引き返す。15分くらいで集落の真ん中まで辿り着いた。
 今度は別の道を歩いた。5分くらいのところに「浄泉院」というお寺があった。軒先を借りてしばらくの間、雨宿りをしよう。
 集落は一度、大火災が発生し、6軒の家が焼失したそうだ。なので一服するのが躊躇われ、ただ歩き疲れた身体を休めるに留めた。
 何分くらいその場にいたのだろう。
 雨が小やみになったので、お寺を撮ろうとカメラを構えたら、ガラスに自分の全身が映っていておかしかった。光の関係によるものなのか、左右8メートル縦2メートルの巨大鏡になっていた。お墓に行ってみると、小林姓、赤行姓、山本姓が目立ち、墓碑を見ると元禄時代に亡くなられたかたのお名前が彫られていたりする。お盆に近いということもあって、頭を深々と下げた。
 そろそろ引き上げる頃合いか。
 湖に向かって歩き出す。が、歩いても歩いてもなぜだか見覚えがない道で、いったいいつになったら着くのかと不安になり始めたところで、ようやく遠くに駐車場らしき景色が見えた。実際は30分くらいなのかな。
 いったん小屋に戻ってリュックを置き、洗面所に行って顔を洗った。で、昨日スーパーで買った菓子パンを持って、湖にせり出したようなテラスのテーブルに腰掛けた。
 昨日もいらっしゃったのだが、旅館経営者とは違うご夫婦が臨時コーヒー屋さんを開いている。私は昨日からこの夫妻をぼんやり見ていて、目が合うと微笑んだりしていた。先方からすれば気色悪いおっさんかもしれないな。
 メニューを見てアイスカフェオレにするかホットコーヒーにするか、1分くらい迷いに迷った末、ホットを注文。
 一応断った上で、菓子パンを取り出し、コーヒーとともに食べ始めた。
 というところでいきなり、突風が吹いて、あたり一帯、いろんなものが舞い飛んだ。レンタル救命胴衣とか木の枝とか、誰かが干したであろう服とか、プラスチック容器だとか……。
 私の菓子パンも飛んで地面に落ちていた。慌てて拾いに行くと、パンは袋から出て土まみれ。ちょうど半分食べていた。落葉クズに土に埃にまみれて哀れな姿と化していた。
 詩人は本当か嘘かわからぬが、「春の土を食う。やや苦し」などとノートに記している。それを思い出し、おそるおそる汚くなったパンを食べてみたら、じゃりじゃりとしていて美味しいものじゃなかった。無理やり嚥下する。これ以上食べるのは中止し残りは捨てることに。
 コーヒー屋さんご夫妻としばらく話し込む。
 彼らは旅館の若旦那若女将から私のことを聞いたらしく、四尾連湖にそんな詩人がいたということを知ることが出来てよかったと思います、などと言われる。私は大雑把に詩人のことをあらためて説明したり、ご夫妻のゆっくりとした動作を眺めていると「いとしい」感情が湧いたりしたことを伝えた。
 私が見ている限り、誰ひとり夫妻からドリンクを注文した客はいなかった。
 かくいう私だって今日が初めてで、しかもコーヒー一杯である。
 しばらく話を続けてから、小屋に戻った。
 文机のような木製テーブルにA4用紙を広げ、質問状を書きだした。
 翁2人の話のなかにいくつかの矛盾点があったり、再質問をしたい点があった。で、おふたりが共通して言われたことは、宿の若女将のお父さんならもっと詳しい話を聞けるはずだ、と。
 いきなり手土産も持たず訪ねて、詰問調で尋ねるのはいかがなものか、と思ったので、突っ込んだ話をするわけにはいかない。なので、ただうなずいて彼らの言うことを取材ノートに記すに留めた。
 若女将の父には以前、お会いしてインタビューをしていた。今回も会えたら嬉しいと思いつつ、既に旅館業は若夫婦に譲って引退され、市川大門駅近くの住宅地に住まわれている。
 疑問や質問を書き連ねたらA4用紙いっぱいに字を書いてしまった。
 出来上がったところで用紙を携えて本館に行き、「これ、お父さんと会った時に訊いてもらえないか」と頼んだ。急ぎはしないので、9月になってもかまいません。
 なんだか申し訳ない気持ちにもなった。
 自分が週刊誌の記者になったような恥ずかしさもある。
 しかし快く引き受けていただいた。
 ふたたび小屋に戻り、詩集を広げた。そろそろ飽きたなあと思ったところで、若旦那がやって来て、「お風呂どうぞ」と言われたので、従うことにした。時計を見ると午後5時ちょっと前だった。一日が早い。
 風呂を借りて小屋に戻り、タブレット端末に保存していたデジタル雑誌を30分ほど読んでいたら、若旦那が来て、「風が強いため、夕食はテラスじゃなくてロビーでご用意しますね」と言う。台風がこの一帯をかすめたのだろうか。昨日来、天気予報はまったく見ていなかったのだった。
 夕食。そのあと、備え付けの宿ノートを読んだりしてから小屋に戻る。
 今日はまた別のグループがロッジ泊で、上半身裸・入れ墨ありのおっちゃんがいたりしてた。どうやら2組の家族で、クルマのナンバーを見ると、川崎と横浜だった。
 昨日みたいにうるさいのかな?
 と思いきや、意外に静かな口調で話していた。
 私は小川糸の文庫をずっと読んでいたのだが、外で子どもたちが花火を始める気配がしたのでテラスに出て、両手をメガホンのようにして「ぼく、花火見学させてもらいますね−」などと断りを入れる。「おお、どうぞどうぞ」と答えが返ってきた。
 20分ばかり花火大会を見学。時々、チャチャを入れたりして、乗ってきた。
 9時過ぎに花火もフィナーレを迎え、そのあとはバーベキュー一式などを片付けておとなしく彼らはロッジに戻っていった。
 静寂。
 湖に出た。
 小降りの雨が降っていた。5分くらい佇んで湖を見ていた。今夜は道がぬかるんでいるだろうから、湖一周はやめておいたほうがいいかな。
 おとなしく眠ることにした。明日は一気に自宅まで帰るので、十分な睡眠を摂っておかなければ。
 しかし、相変わらず入眠剤はあまり効かなかったのだった。

この項つづく
 
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