昨日、決めた。明日6日、「小さな旅」をしよう。
手許に朝日新聞夕刊10月20日(〜24日)のスクラップがある。この連載記事5回分は読み応えがあった。多摩川河川敷に建つ教会がある、その教会は今年いっぱいで取り壊しが決まっている。40年近く、牧師は周辺に住む在日韓国人を救ってきた。
たったこれだけの話だ。
胸を打たれたわけではない。ただただ河川敷にある粗末な教会を壊される前に見ておきたかった。
(以下、朝日の記事の一部)
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東京と神奈川を分かつ多摩川の河川敷に古びた建物がある。ツタがかぶる看板には「川崎戸手(とで)教会」と記されている。
多摩川の河川敷にある川崎戸手(とで)教会は時折、浸水に見舞われる。
昨年10月に全国で大きな被害を出した台風19号でも1階が水没。聖書やオルガンが使えなくなった。天井もはがして洗うなどの作業を経て今年8月に復旧するまで、礼拝は町内会館を借りた。
(中略)
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1983年、親密になった韓国人の李有彩(イユチェ)一家からこの家屋を買い取り、もとは土手の外にあった教会を、在日コリアンが多く暮らしていたこの河川敷に移したのは、当時の主任牧師だった関田寛雄(ひろお)(92)だ。一帯の住民に教会の存在が知られるようになったきっかけも洪水だった。
関田は、2階に住み込んでいた神学生たちと一緒に、腰まで水につかりながら近隣のお年寄りたちを背負い、2階に避難させた。
「一緒に泥をかぶることで、心がつながりました」
この場所が法制上は河川扱いで本来は家屋が建てられず、信者からの反対もありながらも堤防の内側に教会を移したのは、「在日コリアンへの寄り添い」を関田が自らに課していたからだ。
(中略)
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原点には、戦争体験があった。
関田の父も牧師だった。「戦時中、キリスト教は敵性宗教だ、おやじはアメリカのスパイだ、といじめられましてね。その分、自分はより日本人らしく振る舞い、軍国少年になりきりました」
戦後、自分が信じた大本営発表の「欺瞞(ぎまん)」を知る。「日本は『アジア民族の解放』と言いながら、朝鮮半島や台湾を植民地化した。強制連行や南京大虐殺の事実を知って幻滅し、生きる意味を失いかけた。そんな時キリスト教の信仰に出会い、その道に入った。父が牧師だったからではないんです」
青山学院大の神学科を卒業。牧師の資格を得て57年、川崎市川崎区の桜本教会に住み込んだ。
*
(中略)
河川敷は今、数世帯が残るのみだ。教会も10月24日には除去記念礼拝が行われ、年内に解体される。かつて教会があった土手の外の場所に新会堂が建築中だ。
(以下略)
よしっ、川崎に行こう!
同じ県内でありながら川崎はまったく土地鑑のないエリアで、そう言えばいくつか歩きたい場所があった。
その一つは、川崎の浜近くで関東大震災の翌日、朝鮮人虐殺があったとされる地域だ。
次に、戰後、韓国人が多く移り住んで今も小規模ながら「コーリアン・タウン」と呼ばれている一郭。40年前、(少年隊の)東山さんが極貧の下、チョーセンの人たちから親切を受けて育った、というところである。今はならず者によるヘイトデモで、たまに新聞の地方欄で小さな記事が出る。
そして、新たに訪ねたくなった河川敷の教会。
昨夜、神奈川県の分厚い地図帳とGoogleマップで両エリアを調べ、Googleマップの詳細地図をプリントアウト。で、いくつかの情報を書き込んだ。
欄外に、電車の乗り方もメモした。
浜川崎駅からコーリアン・タウンの桜本町まで1300メートルほどということを知り、往きは市バスじゃなく浜川崎から歩くと決めたのだが、南武線なのに海へ向かう支線はJR川崎駅から出ていないということを初めて知る。ネットの乗り換え案内で示された時刻表をメモしたのだった。
JR浜川崎駅に降りたら、目の先に首都高の高架が見え、その近くまで行ってみたら、首都高の下に轟音を発するトラックとダンプカーが次々と走る産業道路があった。
あちらこちらに資源ゴミの解体工場が目に付く。そして10分ほど歩いたところに「日本鋼管」があった。
ここか。
(
http://www.halmoni-haraboji.net/exhibit/main/main004.html)
まさか日本鋼管の敷地に侵入するわけにもいかないので、あたりをうろついただけで桜本町を目指して歩を進める。大きなお弁当工場のちょっと先で「池上町」の標識を見つけた。
産業道路を外れて、この一帯を歩くことにした。
区画整理がなされていないため、迷路のような一角があった。廃屋も目に付いた。
おおっぴらに写真を撮るのはよろしくないものの、誰一人歩いていないのをいいことに、シャッターを切る。その音で振り返った野良猫が寄ってきた。
なんだか昭和でも私が生まれる前の時代を思い起こさせる空気感があって、時間軸の旅をしている気になる。もし日本が簡単に銃を持てる国だったら、私は恐くて歩けないと思う。
15分くらい縦横無尽に歩いたあと、桜本町に向かった。
プリントした地図に、「ふれあい館」「桜川公園」「「朝鮮初級学校」「ほっとカフェ(青丘社)」……と手書きでメモっている。地図と片手に回ってみた。20分くらいか。
歩き疲れたので社会福祉法人が経営する「ほっとカフェ」へ行って、ランチを食べることにした。
入口に本日のランチは「ハヤシライス」という黒板があって、しょぼんとする。もう少しヘビーなランチにしたかった。が、自分の主義と信条からどうしてもここでお金を落とさなければいけない。
入店してメニューを改めて見たら、昨日のランチは「トンカツ」だった(苦笑)。ああ、来た日が悪かった。
食べてお会計をした際、責任者とおぼしき男性に2つ、質問をした。
「キムチを買いたいのですが、どこがオススメですか」
「川崎駅までバスに乗りたいのですが、バス停までの道を教えてください」
で、店を出て、指定された韓国食材店に行って標準的な白菜キムチと、季節限定のニラキムチを買い、バス停に行った。ちなみに、ここから川崎駅まで徒歩で歩くと約3キロで35分くらいとのことだった。
5分ほどで川崎駅行きのバスが来た。なんとか座ることが出来てラッキーだった。
マイボトルに淹れてきた珈琲を飲む。iPhoneを開いてヤフーニュースを見た。
川崎駅に着いて、河川敷の教会に向かって歩き出すと、まだ出来て年月がそう経っていないアップルストアを見っけ。iPhoneを取り出して写真を撮った。いや、今日の私は何が何でも教会の写真だろ。
多摩川まで出て地図を見ながら教会に向かう。20分くらいで教会近くに到着。教会の手前に何台ものトラックや車が駐車していたので、一瞬、「もう取り壊されてしまったのか」とパニックった。車の先に、新聞で見た教会があるのがわかった時、ほっとしたのと歩き疲れたのとで、腰を下ろしたくなってしまった。
まず多摩川のほうからツタの絡まる教会裏の写真を撮った。何枚も撮った。
正面に回って、また写真を撮った。
引き戸が3センチほど開いている。
まだ誰かいるのだろうか?
しばし思案した。
壁に「チャイム」ボタンがある。これを押したらいい。
しかし、私はただの冷やかしに過ぎない。こうして勝手に写真を撮るのだってあまりよくないことは自覚している。
だが、せっかくここまで来たのだ。そして私は名にし負うサヨクでもある。さらに、小学校時代、近所にあった島倉千代子と阪神タイガースの藤本選手が住む邸宅でピンポンダッシュをしたことがある悪ガキでもある。ここで押さないでどうする?
やっちゃった
ピンポーン
しばらく玄関前で佇むものの、人の出てくる気配なし。
仕方ないので、今度は「おじゃまします」を3回大きな声で繰り返したのだが、やはり無人だった。
もし牧師さんがいらっしゃったら、中に入れてもらおうと思っていた。
が、キリスト者でもない私が結果的に入れなくてよかったのかもしれない。
しばらく教会の周辺を歩き回っていたら、太陽が西に傾いていて、川べりには誰一人いない。セイタカアワダチソウとすすきの奇妙な共棲(共生)がなんとも美しい。たぶん光の関係だろう。
デジ一で写真を撮った。これが旅のクライマックスであり、終わりでもあった。
駅に急ぐ。まだ4時前なので、通勤客はそんなに多くないだろう。
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