今日は誕生日。ため息をつきながら「めでたくもあり、めでたくもなし」と感じつつ、この言い回しってどういう意味だ、とネットで検索をしてみた。
正月を迎えることについて、一休禅師がつぶやいた言葉らしい。
正月になると、数えで一つ歳をとることになる。それだけ死が近づくことでもあるという無常を述べている、と。
3日前、メルカリで落としたハニカム構造のジェル・クッションが本日、届いた。期せずして自らの誕生日プレゼントになった。
テレビのCMでクッションの上に生卵を置いてその上に座り、「割れません」「座り心地がいい」と感嘆する実にくだらない流行り物なのだが、テレビショッピングと違ってメルカリでは値段が1500円弱だった。このくらいのプライスだったら試してみよう。子どもの無駄使い程度だ。
午前中、スーパーに行って、「もうケーキはいらない、しかしアップルパイくらいはあっていいかな」と買ってみた。クッションの上にアップルパイを置いて写真を撮る。しかしパイの上に座ったら、どう考えてもパイはぐしゃっと潰れるだろうよ(笑)。
20分ほどクッションの上に座りつつ、この日記を書いている。
座り心地は……まあまあよくなった。腰痛で苦しんでいる人にオススメするような健康グッズではないけれど、適度な分厚さ&弾力性はいいかもしれない。
昨日の朝、NHKの連ドラ『エール』を偶然、見た。舞台は昭和18年だった。
わずか15分の視聴だけで連ドラ総体を語るのはおこがましいので、批判は抑えておく。
それにつけても昨日は昭和18年が3つも重なった。今、詩人の遺稿解読で昭和18年の「日錄」を苦心惨憺しながらやっている。山本五十六の戦死が日記にあった。
夕方と午後9時台は日本軍がフィリピンで犯した残虐きわまりない虐殺をテーマにした小説『マンゴーの花咲く戦場』を読んでいた。
1984年の夏期休暇を使って、フィリピンへ行き、マニラに2泊したあと、ミンドロ島の(当時はしょぼい)リゾート地に行った。その際、バスでマニラの南・バタンガスまで行って、フェリーで島に渡った。小説の舞台がこのバタンガスにほど近いところということに驚いた。
昭和18年、日本軍はアメリカ軍に追いつめられて、マニラから逃げる。行軍の先で、日本軍は次々とフィリピン人集落を襲い、ほぼ全員の村人を集団虐殺する。殺されなかったのは若い女と、トンネル掘りで使役する若い男。女は全員、日本軍の慰み者となり、事が終わったら銃剣で一突きして、井戸に投げ込んだ。
ミンドロ島を訪ねた翌年、今度はマニラから北へ北へと旅をして、最終地点のリゾート地のホテルで、この一帯はかつて日本軍が侵攻して、フロントマンの祖父たち世代全員が虐殺されたということを彼から聞いて驚いた。
バタンガス郊外にも日本軍は逃げ込んで、同じように「黒んぼ」「土人」を虫けらのように惨殺したのか。知らなかった、というか絶望的な気分だ。
国家の意向を疑いもせずに受け容れ、人間の尊厳という最低限の人権を尊重せず、ただ時代の流れに乗って生きてるだけの国民が過半を占めると、こんなふうになるという悪例がここにある。
青春時代を過ごした1970年代は、今振り返ってみればもう少し知性とか基本的人権の大切さが尊ばれていた。こういう過去を美化するような懐古も反知性的ではないか、という懐疑がないわけではないが。
ともあれ、昭和18年ねえ。アップルパイとかサワラの西京漬けとか、柔らかいクッションとか潤沢な照明器具とかが自由にならない時代に生きたくはないというのが、今日のホンネ。
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