今しがた、夕方のテレビニュースでコイケ都知事の緊急会見をしばらくの間、見ていた。
メモ書きは台に用意しているものの、プロンプターはなかった。よく淀みなくぺらぺらと喋られるもんだ。アベより2歳年上なのに頭は耄碌していない。さすが数々の歴戦を経た強者。しかし、自粛解除の直前からたびたび口にしていた「東京アラート」は一体全体何だったのか、ニュースを中途半端に見ていた私にはさっぱり分からない。
そんなことよりアベはどうした?
東日本大震災が起きた時、翌日から福島第一原発が炉心溶解の可能性が高まったこともあって、連日、菅と枝野がテレビカメラの前で出ずっぱりだった。毎日毎日、国民とマスコミが寄ってたかって批判をしていたことが今となるとなつかしい。アベが自粛要請解除以降、番記者のぶら下がり質問以外、語る場をいっさい設けないというのは実に賢明なやり方で、恋人をふった女性が復縁を迫る男と会わないのと同じ対処法だ。
今日は午後3時まで実質2時間くらい資料と向きあっただけで、ダレている。でもこのまったりとした時間をなんとか有効利用したいと少しは奮い立ち、詩人のご子息に手紙を書くことにした。
初めてお会いしたのはちょうど10年前で、その際に「東京から山梨へ疎開する際、私も一家のお手伝いで、父の原稿が入ったカバンを持ちました。中には空襲で焼け焦げた原稿もありましてね」ということをうかがった。
焼け焦げた原稿の一部も文学館に収められている。撮影した4千点の画像から焼け焦げ資料を探し出し、その一部を解読・書き起こしする。
……にある天のさせるわざであらう。
如何ともしがたいこの源動力は私のある限り
童子の身体すら発掘する——
それは去就の如何ではない——
それは傾向——志——の有無ではない。
もつと深くその秋日麗果。
あのざくろのさながらなる開きの中にある——、
全く天は内にある——
私の心も又、ざくろの自然と云ふこと以上には出で得ないのである。
陸軍が敗戦直後、文書を片っ端から焼却したのは有名なエピソードだが、こうした文書を丹念に集めて歴史研究した学者って大したもんだな。私も少しあやかりたい。
手紙にこのような書き起こし原稿を入れたり、色鉛筆で封筒に大きな一本の樹を描いたりして、励ましのお手紙とした。
時計を見ると午後4時半で、5時までなら明日着になるかもと焦りつつ、ラズリを連れて郵便局へ。散歩も兼ねるので一石二鳥だ。
ついでに銀行にも行って、お金を少し下ろした。街の商店街をちょっと歩いてみると、観光客はまあまあいた。といっても、例年比3割くらいか。40年前の鎌倉の夕方はもっともっと通行人が少なかったし、生しらす丼なんて影も形もなかった。これくらい人がいれば十分だ。オバマ前大統領御用達の抹茶アイスはあったかもしれないが、貧乏を装って粋がっている学生の目には入らなかった。いまは本当に貧乏になってしまった(笑)。
夜の部はいったん資料起こしから離れて電子書籍の校正をしよう。
もう少し頑張れるかもしれない。
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