今日は五・一五事件があった日。1932年だから88年前か。
朝、新聞を開いて一面から順々にめくっていくと、真ん中の手前で高橋源一郎さんが一面の3分の2くらいの大きなスペースに文と写真を寄稿していた。
自宅近くの「仕事場」で自撮りしたという顔写真が載っている、1週間ほど前、午後3時くらいだったと思う。高橋さんが「仕事場」の玄関前で部屋の写真を撮っているところを偶然、目撃した。ラズリと散歩に出て、そんな光景に出遭ったのだった。じろじろと見る気持ちも習慣もないので、さっとその場を立ち去ったのだが、(なんでわざわざ仕事場の写真なんて撮っているのだろう? これまで多くの編集者やカメラマンらがここに来て写真を撮っているのだから、分けてもらえばいいのに)と思ったのだが、こういうことだったのね。外出自粛枠を活かしたオピニオン欄企画。
学生運動で逮捕され、7カ月間拘置所の独房に入っていたときも、それから60有余年経った現在も旺盛な読書生活、というのはかっこいい。私が冴えない人生を送っているのは、逮捕&拘留歴がないからではないか?
「3密」という言葉は今年の流行語大賞になるのかな、と昨夜テレビニュースを見ていてふと思った。MacbookProのそばに置いている『新字源』で「密」という漢字を引いてみる。
山の木々のはえしげった奥深い所、ひいて混み合うというのが漢字の成り立ちで、「密」には結構たくさんの熟語があった。漢和辞典は面白い。
右から順に一つひとつ見て行って、小池都知事とは違う自分なりの3密を選ってみた。
密告 自分の名を明らかにしないで犯罪者をお上などに訴えること
密謀 影で悪いことをはかろうとすること
密談 こっそりと話し合うこと
日本で当たり前のような「密」はこれだと思う、もちろん皮肉と諦観を込めている。
他に密漁とか密造とか密輸といった言葉も秤に掛けてみたが、やっぱ問題の3密はこれで決まり,
日記を3日間休んだ裏には、『旅のつばくろ』を味読してみたり、ある作家の日記を半年分読み進めながら整理したり、隣町まで「パクチー」と「細ネギ」の種を買いに行ってプランターに植えてみたり、三谷幸喜のオンライン朗読劇を見たりと、とにかく時間が途切れぬことなくいろいろやっていた。もし時間が途切れたらそれは死んでいるワケでもあるのだが。
東日本大震災から9年が経って記憶は薄れ、ほとんどのひとはなかったかのように生きている。新型コロナでもたぶん収束から9年も経てば、同じように「過去の苦い歴史」くらいになっていて、生活スタイルや人生観に大きな変化はないだろう。せいぜいが国家の国民管理が強化されることと、国民の一部が自警団気取りになって少しでも「反日」な人間はびしばし叩くのが完全定着するくらいか。どちらも生きづらさに繋がって、自立性や自発性が萎縮するようにならないといいな、と思うだけだ。
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