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2020年05月05日00:25

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原稿書きが終わった

 昨日の11時前、依頼された原稿をメール添付で友人に送った。彼に「週末までには仕上げて送るよ」と事前に伝え、理想は土曜の夕方締めだと思っていたのだが、この2週間で2日ほどスランプに陥る日があって思いはかなわなかった。
 原稿書きから解放され、昨夜は嬉しくて朝まで起きていたいくらい明るい気分だった。
 今朝10時、パソコンを起ち上げてメールチェックをしたら、彼から返信があった。早起きの彼は私の原稿を全部チェックしたらしい。で、「原稿の一部に欠けがあった」とあった。
 えええっ? そんな馬鹿なと思ったのだが、ひょっとしてコピペのし忘れかと考えた。
 原稿を誤って消去したり、Macがフリーズして原稿自体が飛んでしまうことを恐れ、2種類のエディタを併用している。いまは「iTextExpress」とアップル純正の「テキストエディット」。iTextで字数をチェックしながら書いて、それをテキストエディットにコピペして清書というか誤字脱字をチェックしたり文章を正すというやり方だ。ちゃんとコピペできてないこともあろう。
 で、チェックしたら、原稿書き落としだった。やむなく彼に電話を入れ、「その部分、これから書いて、出来次第送る」と伝えた。俺、頭、悪い。
 簡単な昼食を挟んで午後2時に終了。すぐにメール添付で原稿を送り、パソコンの電源を落とした。もうディスプレイに向きあいたくない。MacのみならずiPhoneを手にする気さえなくなった。
 さあ、外出だ(笑)。
 2カ月ほど前のある晩、ラズリが正確な日本語で「最近、家計が逼迫してるんですか?」と真顔になって私に訊いたことがあった。
「なんで?」と問い返すと、「以前は一日2本だったササミジャーキーが1本になったからです」と答えた。
 私は「よく逼迫なんて難しい言葉を知ってたな」とラズリに言うのが精いっぱいで、「そのうち、買いに行くさ」とラズリにつぶやいて、この会話を終えた。
 わずかであろうが原稿料も入ることだし、丸ごと一本のササミジャーキーを買いに「コーナン」(ホームセンター)へ行って、大袋を買おう。
 午後2時半、家を出た。
 コーナンに着いた途端、びっくりな光景があった。コーナンに併設しているスーパー「ライフ」の入口で長い行列ができていた。何十人単位の行列、いやもっとか。遠めから見てもわかった。店内の混雑規制だった。
 連休のど真ん中で総合ホームセンターなんかに自分が行っちゃダメだったのか? 
 なんだか見てはいけないものを見た心境になった。
 肝心のコーナンはと言うと、入場規制もなく、各レジを見たら3人程度が待っているくらいの繁盛ぶり。これなら普段の土日と同じだ。
 さっさと買物をした。バスマジックリンと同じく風呂場用のカビ防止洗剤、ササミジャーキー2つ……。とにかくこのモールから早く出よう。
 ラズリ、ゲットしたぞ。これからしばらくの間、一日2本、食べてもいいよ。
 コーナンから3キロ弱にブックオフがある。昨日の深夜、HPを調べてみたら、5月から営業再開と告知されていた。
 既に午後3時半に近いし、混雑はしていないだろう、と自分の願望に引き寄せたシミュレーションをして、行くことにする。
 少し恐々と店内に入った。ざっと見回すと、週末の午後と似たり寄ったりで、少なくとも近所のスーパーに較べたらむしろ空いているくらいだ。これくらいの密度なら自分がなにか悪いことをしている、というような犯罪者気分に陥らない。
 しかし、そうでもないか。背表紙を見ていても集中力があまりない。
 文庫棚で久世光彦さんの『聖なる春』(新潮文庫)が目に入る。週刊誌の記者時代、久世さんにインタビューができたことは私の誇り、というくらい、彼の制作したドラマと文章が好きだった。大して長い記事ではなかったのだが、編集部で原稿を書いているときに聞き漏らしたことに気がついて電話をした。無愛想な受け答えだった印象がある。ただ一回だけは別だった。
「キミはどうしてわざわざそんな小さなことでぼくに電話をしたの?」と、不快感を見せつけるような問いを私にしたとき、口が滑った。
「記事のためというより、久世さんが好きだからでしょうね」
 久世さんは「そうなのか」と言って笑ったような気がしたのだった。表情は電話だからわからない。その号が出た頃にお礼とガキの感想文のようなものをしたためた手紙を出した。すぐに返信の手紙かはがきをちょうだいした。東京から鎌倉に越した際、手紙類の大半は捨てたので、もうないだろうな。どんな字と文章だったのだろう。
 ……亡くなられて長い時が過ぎた。
 久世さんのことを思い出したりしているうちに、もう本はいいやという気になって、この1冊だけをレジに持って今日は帰ろうとしたとき、また一冊の文庫が目に入った。エミール・ゾラの『ナナ』。
 学生時代の一時期、ゾラに嵌まった。岩波文庫と新潮文庫はすべて読んだ。もちろん『ナナ』も含めて。自然主義文学の嚆矢として私が生まれる頃まで日本でも人気を博した作家だったが、70年代後半はゾラの名を出しても読んだことがある人は稀だった。対面を保つために好きな作家にトルストイやドストエフスキーの名を挙げてはいたが、風呂なし電話なしテレビなしの質素な学生生活を送っていると、娯楽であって娯楽ではない小説というのがもっとも好ましい。ゾラが描くのは、遠い国の貧しい時代の蓮っ葉で強欲な下町人間の栄華盛衰の物語。欲望だけで生きているような人種が織りなす世界というのは、大都市圏の衛星都市に生まれ、住んだところは中流層が大半を占める、というと聞こえがいいが平凡を絵に描いたような環境だから、猥雑としか言いようがない街と人間が破天荒に生きる様は、アフリカの最貧国で栄養失調に苦しむ親子よりもよくわからないくらい、自分的には遠かった。
 ゾラの名を見て、またも懐かしい気持ちが湧いたのだった。
『ナナ』は見るからに分厚い。最後のページを開くと716という数字があった。
 が、びっくりしたのは、この文庫を読んだ人がほとんど余白だった716ページに鉛筆でびっしりと感想を書き込んでいるのだった。最初のページを試しに見てみると、2ページ目3ページ目にも同じくびっしりと鉛筆書きがある。ざっと文章を拾い読みしたが、その稚拙さからして高校生かせいぜい20歳くらいだろう、とまずは思えた。奥付は平成23年6月、四刷とあった。今から10年前に20歳だった人。内容と字体の癖から、女性ないしは中性的な男の子だと判断できる。画家の名を挙げて考察する姿勢から、芸大生か?
 この書き込みがなければ、私は買わなかった。『居酒屋』と『ナナ』が溶け合ってもはやストーリーがごっちゃになっているのだが、強突く張りの男どもと上昇志向が強い淫売女の奇想天外なドラマであることは覚えている。
 この2冊で今日は打ち止め。パチンコ屋とちゃうけど。
 家に帰るなり、まずは裏口に回って外に備え付けの流しで手を洗い、口をすすいだ。薄手のジャンパーはそこで脱いだ。すぐ洗濯物に回そう。表玄関に行って、消毒用アルコールを含んだウエットティッシュで手をぬぐってから家に上がった。効果があるのかないのか?
 今日はこんな一日でした。
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