3日ぶりに自室のMacbookProを起ち上げた。MacbookProを遠ざけた直接的なきっかけは、ミニコンポのBluetoothペアリングをMacからfireHD(Amazonのタブレット端末)に切り替えたことだった。
先週末、マイミクさんの日記の中にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番について書かれていたくだりを読んで、日曜日、アバド指揮、ピアノ=エレーヌ・グリモーの演奏を聴いてみたくなった(「ロシアン・ナイト」)。この演奏動画は入院に備えてfireHDにインストールしていて、病室のベッドで聴いた(というか観た)。
自室のコンポはBluetoothの接続先を複数登録できるはずなのだが、どうもうまくいかなくて、いったん繋がったMacbookProに固定状態だった。それでfireHDに再ペアリングさせてコンポに認識させ、10インチのタブレット画面で演奏動画を観つつコンポから流れる音を真正面に座って聴いたのだった。
日曜の夜、タブレット&コンポでYouTube三昧をしていると快適で、日記を書きそびれてしまった。fireHDに保存していた映画も観てしまい、深夜25時あたりでようやく薬に助けてもらって寝たのだった。
60歳を過ぎたあたりから手書きが面倒になってきて、この面倒さと正比例するかのように漢字が書けなくなってきた。私にもし取り柄があるとしたならば、それは漢字の書き取りくらいか。年齢による衰えに加え、キーボード依存の生活がボケに拍車をかけている。
Macで検索ばっかやっているような生活も我ながら嫌気が差している。ちょっと疑問に思うとGoogle検索、本について調べたくなったらAmazon検索。家から近いところで家系ラーメンを食べたくなったらとりあえず検索、新聞のインタビュー記事で惹かれた人物がいたら検索、1980年に流行った洋楽をなにげに検索……。いったい一日に何回、検索しているのだろう。デジタルの集積を簡単に活用できるのは便利であるが、しょせんはただの情報でしかなくて、1日も経てば記憶は薄れ、3日前に得た知識は8割方消えてしまう。自分の「脳」力不足を突き付けられ、嫌気が差す。
1週間ほど前に見た進学校卒→落ちこぼれユーチューバーの動画で、「SNSもTwitterもなにもかもくそばっか」という自嘲を聞いたときに、激しく同意した瞬間があった。そういう側面は日々感じていて、しかしそうとばかりも言えないという自分もいる。
とりあえずお気に入りのMacbookProから離れてみようか。
でもデジタルデトックスというほどの気分でもないので、iPhoneとfireHDでニュースサイトを見たりお気に入りに登録しているTwitterやブログを読んでいた。
コンポで耳障りがいいようなCD(たとえばウインダムヒル・レーベルとかキース・ジャレットとか)を小さな音で流して読書に深入りする、という時間を増やしてみた。
新型コロナのパンデミック以来、テレビニュースを毎日食い入るように長時間(と言っても1時間半くらい)見ていたのだが、これも日曜日から自己規制するようになった。不安や怒りや正義感や公共心が一定の範囲を超えると、自分らしさという活力が失われるように思ったから。私は心の容積が狭いので、「身の丈」にあった情報量がいい。
で、以上のことと繋がるような繋がらないようなことを、本日から始めた。
まだ米びつにおいしい白米は十分あるのに、わざわざスーパーに行って玄米5キロを買った。少なくとも今日から1週間、白いごはんはやめて玄米を食べることにした。マクロビオティックの爪の垢でも煎じて飲むか、という程度のお遊び感覚で、健康不安をこの程度の習慣で1割でも解消できれば御の字だ。お試しなら2キロ袋を買えばよかったか。
で、晩ご飯は早速、玄米。
うちの炊飯器はごく標準的な製品だが、水加減を示すラインには玄米炊き用も引かれていた。白米と違って3時間浸けてるようにと、取説に書かれているので、その指示に従う。
1合の場合、早炊き15分、普通だと35分ほどだが、玄米炊きだと丸1時間掛かった。
玄米食は久しぶりだ、15年ぶりくらいか。味はあまりよろしくない、という記憶(というか社会通念)がある。
が、実際、食べてみたら、普通に美味しかった。独特の臭いもないし、まるで芯があるような食感もなかった。食レポの8割が口を開くと「あまーい」などとおいしさを形容するが、あきたこまちの玄米は適度な柔らかさとモチモチ感があって、飲み込む直前に「おお、あまーい」と思えた。噛む回数が2割くらい増えたからに過ぎないのだが。
玄米から白米に切り替わったのはいつの時代からか?
検索なんてしないぞ(笑)。モリタケンサク嫌いだから。
ログインしてコメントを確認・投稿する