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2018年11月26日14:37

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石川町の夜(続編)

 ドヤ街も高層化の波に乗って、木造2階建ての小規模な宿はほとんど姿を消した。なかには外国人観光客をあてこんだ、こざっぱりとしたロビーを備える高層ホテル風もある。が、道行く人は老人ばかりで、それも手押し車や杖の力を借りてゆるゆると歩く人が目立った。古い喫茶店でもあれば腰を下ろして珈琲を飲みたいと思うのだが、あるのは飲み屋と大衆食堂ばかりだ。
 あと30分もすれば日が暮れる。20メートルほど先を歩いている老婆の背を見ながら、等距離を保つようにゆっくりと歩く。7階か8階建てのドヤの入口に宿泊料1700円という掲示があった。月5万円か。「福祉」が12万7千円だとすれば可処分所得は7万円余りになる。案外、私よりも小遣いがあるかもしれない、と計算してみた。そのドヤの数軒先に、工事現場に設置された公衆トイレが1階に10ボックスくらい並んでいる建物があって、中を覗くと、コインシャワーだった。たぶんドヤの宿泊者向けに置かれたシャワー・ボックスだ。シャワーを浴びる気はないので素通りした。入口の脇に大きな灰皿が備えられいたので一服する。5分間、そこにいたのだが、シャワー・ボックスを使いに来たひとはいなかった。
 また歩き出す。わずか5分の間に日がさらに沈み、道行く人の顔が判別しかねるような暗さになった。寺島珠雄の著書『釜ヶ崎 旅の宿りの長いまち』を不意に思い出す。といっても内容は100パーセント忘れてしまった。タイトルが秀逸なので、そこだけを覚えているだけなのだが、人生という長旅の果てにドヤ街に流れ着いた人を端的に表したタイトルだと思う。自分もしばしば落魄の気分を覚えることがある。ただのセンチメンタリズムでしかないことは分かっている。
 この街は晩秋のあでやかな3連休とは縁もゆかりもない。目に入るのはしょぼくれた老人たちと、建築現場で作業を終えた労働者と、飲食店の開店準備をしている店員さんだけ。やくざの事務所があるとか、メインストリートを薬チューがうろうろしているといった噂があるようだが、歩き回った1時間ではそんな存在は見かけなかった。
 ライブの前に軽く食事をしておこう。
 寿町エリアでは大衆食堂と中華食堂が何軒も目に付いたが、前もって調べておいた家系のラーメン屋に向かった。落魄気分の私にとって、ラーメン好きの一般市民御用達のラーメン店は「ハレとケ」のハレのようなもので、文字通り心が晴れるようなもんだ。寿町の東端から歩いて3分ほど。そこは明々と照明が灯ったファミレスやガソリンスタンドなどが並んでいて、街灯も一気に明るくなった。
 ラーメンは「食べログ」の投稿どおりで、横浜・家系の正統派だった。麺硬め、脂多め、味薄めで注文した。
 食べ終わって腕時計を見たら、午後5時5分。ライブは開場17時半、開演18時。ライブ開場は目と鼻の先なので、あと20分、夜のとばりが下りたドヤ街をあらためて散歩するのが腹ごなしにちょうどいい。
 お腹がいっぱいになって気分はいくらか持ち直したが、今度は『マルテの手記』を思い出した。お金持ちのぼんぼんがパリの安アパートメントに住んで、孤独を抱えながら街をほっつき歩く、というだけの話で、ディテールは忘れたが、わびしいガス灯の明かりを眺めながら感傷に耐えきれない風の若きリルケの姿がなんとも文学的で、横浜時代、私はリルケと自分を同一視しながら桜木町あたりをよく歩いていたものだった。当時は実にありがちな青年像で、同時期、世界中でマルテと自分を重ね併せていた若者は1千万人を超えていた(であろう)。しかし、どうして人間は孤独を抱えて街に放り出されると、こんなにも暗い気持ちになるのだろう? 老若男女を問わず、だ。
 まるで廃屋のように見える建物の壁際にベンチとカウンターを置いて、周りを透明ビニールで覆った屋台があった。明るい電灯と湯気で、曇りガラスのようになっていて、中はよく見えない。が、ベンチの端から端まで酔客が並んで飲んでいた。下戸なので外から眺めるだけだが、もし酒好きであれば一杯引っかけたくなるだろう。いや、私はiPhoneやMacbookなしの生活はいやなので、その分お金が必要になるゆえ、飲み代に回す余裕はないかもしれない、などとすっかり「福祉」受給者気分になっていた。
 17時20分、ライブハウスのある建物に着いた。地下1階に下りる階段はまだ閉鎖されていて、客らしい人が5人ほど既に待っていた。「音小屋」と書いて「ネコヤ」と読む。どれくらいの規模か、初めてなので知らない。先輩の名を冠したロックグループは42年ぶりの再結成、他にも出演者は3組いるので、店は息苦しくなるくらいの超満員かもしれない。
 この勘は当たった。私はいちばんいい長テーブルの席を確保出来たのだが、午後6時の開演直前になると、立ち見はおろか入りきれないのかドアが開きっぱなしになっていた。ワンドリンク付きで2600円。しかし立錐の余地もないほどの「満員電車」なので、もう一杯を注文に行くことは無理な状況だ。チケットを受け取ってすぐにジンジャエールを注文しておいてよかった。
 オープニングで一人の男がステージに立った。あとで彼と話す機会があったのでわかったのだが、65歳のギター弾きだ。NOBUというらしい。白髪交じりの長髪で、ポップなギターと高音の伸びがいいボーカル、実にかっこいい。
 短いMCで、彼が横浜の中心部、山下埠頭のすぐ近くで育ったことを知った。山下埠頭というインするメンタルのギター曲を演奏している。聞いていると、横浜で生まれ育ったかっこよさがギターのピッキングに合わせて漂ってきて、嫉妬に似た憧れのような気持ちが涌いた。
 演奏者も客も、私より年長の人が大半だ。老人会と言ってもおかしくないのだが、ロックな人というのは昭和の時代と違って年齢を超越して生きられるのか、若い。乗りもよければ、老人臭もない。ここにいるのは横浜育ち、横浜在住、もしくは横浜国大出身者が大半だろう。
 NOBUさんの計5曲が終わった。年齢を考えるとギターを弾き続けて50年以上だ。技術も上手なら、本物の不良が醸し出す雰囲気も最高。
 自己のアイデンティティが確立した頃から、私は「不良」でありたいと思った。カツアゲで生きるような半グレの不良とか、学校で落ちこぼれになって成績が悪い者同士でつるんでしまうような不良ではなく、社会の常識ではなく自分の良識優先で生きたいという気概だ。自分が好きなことをやる、というのは本来、自己の尊厳を通すのが生きる面白さなので悪いどころかいいことのはずなのに、どうしてか社会通念は真逆なことが多い。
 高校2年の夏、私は修学旅行に行かなかった。担任に「高校生にもなって引率されての旅行をするなんて馬鹿らしい。自分はその費用で一人旅をする」と告げて先生から了承され、親も黙ってお金をくれて、10日あまり旅行をした。なるたけ自分の考えに従って生きていきたい、と思ったものだが、せいぜいがこの程度で、その後全身全霊で何かに打ち込んだということはない。(10日あまりの旅は勉強道具一式を持って出た)
 30歳くらいになった頃から不安がなくなると共に世の中が少しずつ見え始めて、棘のような劣等感が芽生え出した。この社会にはとんでもなく自由な心の持ち主がいて、好きなことをやり続けている連中がいる。社会的に成功している人もいれば、くすぶっている人もいる。だから幸不幸は一概に言えないけれど、自由を大切にしている人はそれだけで私のような侏儒から見れば才能のある人あろう、と。
 次々とステージに出て来る演奏者を目の前で見ていて、みんな自由でいいな、と感じた。隣の芝生が青く見えるのと同じ理屈なのかも知れない。だから、自分だってその末端にいる、と考えればいいじゃないか。
 ライブハウスは先輩のバンドが登場するともに、熱気が最高潮に達した。俺、なんかすごい場にいる。
 横浜は京都や大阪と違って、東京に対抗する意識が低い都会であり田舎でもあって、一種独特の文化が長らく根付いている街だ。中央集権的な思考(志向)がやや乏しく、その分、不良率が高い。だから私のような人間にはなおさら心地いい。
 私が先輩を知ったのは1976年で、ある意味偶然だが、横浜野音でのライブも見ていたし、その後ライブハウス「グッピー」にも時々足を運んでいた。
 こうして今、ライブを聴いていても懐かしさはない。逆に、今を生きている感というリア充を覚えただけだ。
 ライブが終了したのは午後9時過ぎ。
 終わると同時にライブハウスを出た。
 石川町に向かって歩いた。駅近くまで来たら、当然のことながらラブホテル街だったのだが、昼間はしょぼくれて見えた光景が夜になってスポットライトが当てられたお城風の外観を目にすると、「おおっ」と溜息が出そうなほどけばけばしくてよろしい。ラブホによる照明なのか、街灯が多いせいなのか分からないが、その一帯は真っ昼間のように明るくて、これからしけこもうとするカップルが実に気の毒だ。20メートルも先のカップルの顔が、表情まで見える。悪いので正視しなかったが、女性のほうは結構恥ずかしいかもしれない。
 明日、上京して大イベントを見て回る予定なのだが、今日一日歩きすぎたので体力が明日、残っているのか心配になりながら家路に着いた。
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