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2017年10月19日21:33

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人生の短さについて

 風呂上がりに下ろし立てのバスタオルで顔を包むと、木綿の匂いがした。人工的なミシン油の臭いが残っているタオルはしばしばあるが、ここまで無垢な木綿素材の匂いは久しぶりな気がする。バスタオルを顔に当ててしばらくの間、香りを肺に吸い込むように嗅いでいると、少年時代のプールを思い出す。夏休みのプール解禁中、毎日飽きもせず泳ぎに行って、脱衣場でこの匂いを無意識に味わっていた。その当時のタオルは今の時代と違って木綿は日なた臭い匂いが強かったように思う。脱臭工程の技術が未熟だったのか、そもそも素材を消臭することに不熱心だったのだろうか。
 バスタオルに顔を付けて昔の匂いを嗅いでいると、50年という歳月が長いとも短いとも思えてくる。毎日プールで惚けたように泳いでいたガキの時代から50年が過ぎた。いたずらに時間を食い散らかし、こんな自分じゃダメだダメだと叱責しつつも相変わらずダメのまんまで、他人の役に立つどころか自分一人さえまともに満足させられない。そんな思いを抱きながら、久しぶりにセネカの『人生の短さについて』を手に取ってみた。初めて読んだのは高校の倫社の授業で知った直後だった。人生を歩み始めたという意識さえ希薄な高校生が、ギリシアのストア学派の賢人が老境に差し掛かって人生という時間を帰納法的に考察したエッセイなど理解出来るはずもない。が、以来、これまでに3回4回と、思い出したように『人生の短さについて』を読んでいる。
 本棚から取り出してみたのは『人生の短さについて』は1991年刊行のワイド版岩波文庫で、四六判よりほんの少し小さな判型だ。栞が2箇所、挾まれていた。本に書き込みをいれるのが好きではないのだけれど、ときどきちぎった紙とか栞を入れたり、付箋を付けたりする。
 一つめの栞がある見開きを読んでみる。
<人生は三つの時に分けられる。過去の時と、現在の時と、将来の時である、このうち、われわれが現在過ごしつつある時は短く、将来過すであろう時は不確かであるが、過去に過した時は確かである。なぜならば、過去は運命がすでにその特権を失っている時であり、またなにびとの力でも呼び戻せない時だからである。この過去を放棄するのが、多忙の者たちである。彼らには過去のことを振り返る余裕がなく、またたとえあったとしても、悔やんでいることを思い出すのは不愉快だからである。それゆえ彼らは、悪く過した過去に心を向けることを嫌がる、また敢えて過去を再現しようともしない。過去の悪事は、たとえ一時の逸楽という一種の誘惑に浸って忘れられてはいても、思い起こせば明らかになるからである。過去の全行為が、自分自身の検閲という決して誤りを犯さない良心の監視下になかったかぎり、喜んで自分を過去に向けようとする者はない>
 セネカがこのようなことを書いていたっけ? と思いながら、2枚目に栞がはさみこまれた20ページ先まで読んでみた。
 栞がある見開きのどこに、私は惹かれたのだろう。次の見開きまで読んでみたのだが、分からなかった。
<私の最も親しいパウリヌス君よ、君は自分を衆人から切り離すがよい。年齢不相応に今まであちこちへと追い回されていた君は、結局のところ、静かな港に帰るがよい>
 この箇所なのかもしれない。会社を辞める少し前に読んで合点がいったのかもしれない。私は元々、社会から自身を切り離したいという願望が強かった。
 
 夕刊(朝日)の一面に国産松茸が不作で異常な高値がついている、という記事が載っていた。10年くらい前まで、北朝鮮の松茸が安売りのスーパーに並んでいたが、拉致問題を発端とする経済制裁以降、店頭から消えた。他に北朝鮮から輸入が禁止されたのは、アサリだ。
 まだ「報道ステーション」というニュース番組名の頃に、北朝鮮のアサリ養殖が紹介されたことがある。取材者が養殖業者にインタビューをし、「アサリをよく食べてるの?」と訊いたら、中年のアサリ漁師は「高いので食べたことがないんです」と答えた。そのやり取りを見て心が痛み、金正日体制に苛立ち、北朝鮮国民を気の毒に思った。
 これに限らず北朝鮮は食糧事情が悪くて、干ばつや長雨による農作物の不作だとか、外貨不足による輸入制限などで、国民は苦しんでいる。
 まったくいやな時代だ、と思うのは、北朝鮮国家と北朝鮮人をひとまとめにして、批判したり嘲笑したり憤ったりする世論がほぼ100パーセントを支配し、たとえばこのように北朝鮮人民に少しでも同情でもしようものなら非国民扱い、ないしは左翼と断定されるのが当たり前になったことだ。が、困窮者に同情を寄せるのは、政治志向ではなくヒューマニズムの次元である。左翼でもなんでもない。
 そもそも日本の政党で真に左翼的なスローガンを掲げた党は、私が生きて来た60年余りでひとつとしてない。
 私有財産制の否定(もしくは強い制限)、天皇制の廃止、同一労働同一賃金、資本家の搾取撤廃というような労働者主権の国家像が左翼である。北欧型の社会主義、たとえば同一企業内の賃金格差を3倍以内にするとか、児童と老人に対する高福祉対応といった政策実現を謳う政党さえ、日本にはない。
 それでも一定、20世紀まではライトとレフトの真ん中はニュートラルだったと思う。いまはセンター軸が極右になっている。
 私はTwitterなどのSNSをしていないが、北朝鮮の困窮する国民に対して真っ当な人間感情を顕すとしたら、「自分は生粋の日本人ですが」とか「北朝鮮の核開発には日々憤りを覚えていますが」みたいな文言を入れない限り発言出来ないのは全く間尺に合わない話だと思う。ちなみに、私は国家としてのアメリカと北朝鮮が同じくらいに嫌いだ。しかし、アメリカ人にも好きな人はいるし、北朝鮮人に対しても同様だ。
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