本日は織姫と彦星が年にたった1度だけ会える七夕の日。
昨日ゲラをデザイナー宅に送ったこともあって、朝起きたときから解放感がある。
午後1時半になって、ラズリのドッグフードを買う目的でクルマでコーナンへ。フロントの両窓を全開にして走っていると、車内に適度な風が吹き込んで来て、ちょうどいいくらいの暑さだった。
ペットフード売り場で順々にドッグフードを見ていると、ラズリ様御用達のアイムスが割と高いことに気づき、財布の現金も乏しいことだからこの際ペディグリーチャムくらいの等級に落とすかとしばし迷ったが、ラズリファースト党の党首としてこれまで通りのアイムスを選択。ラズリあっての俺だ。
コーナンでは他にいくつか欲しい物もあってしばらくの間物色したが、これ以上物を増やしたくない気持ちが強くて控えた。安物買いの銭失いというのもいやだし。
帰り道は遠回りしてブックオフへ寄った。金曜日の午後3時という日時ゆえか客の姿より店員のほうが多いくらい。
30分ほど背表紙を真剣に眺めて回していると、肩が凝ってきた。喉も渇いた。今日はもういいや、と諦めかけたところで、『恋しくて』という背のタイトル文字と「粒選りのレ内小説集」「村上春樹編訳」という字が目に入って、その本をなにげに取り出してみた。村上春樹の翻訳小説を読むのも悪くないかな、くらいの気分だ。
カバーはまるで竹久夢二の絵に出て来るような女性が黒い猫を抱いた絵に、標題が印刷されている。村上春樹が選んで訳した世界のラブストーリー+書き下ろし恋愛小説、と帯にある。
訳者あとがきを立ち読み始めたら、書き出しから一気に村上ワールドに取り込まれたような気持ちになった。
<僕は「ニューヨーカー」誌を定期購読しており、それほど忙しくない時期にはそこに掲載されているフィクションに、毎週ざっと目を通すようにしている>
この一文が書き出しだ。
<あるときたて続けに三遍、強く興味を惹かれる作品に巡り合った>
<三つの小説に共通するのは……、そう、それらがかなりストレートなラブ・ストーリーであったことだ>
<この世知辛いポスト・ポスト・ポスト・モダニズムの文学世界に、突如ラブ・ストーリーの時代が花開いたのかもしれない>
あとがきは6ページにわたっていた。本屋では新刊書店も含めて長い立ち読みをしないのだが、最後まで読んだ。途中でやめられなくなったのだった。村上春樹は『海辺のカフカ』以降、彼の小説を読まなくなっていて、エッセイだけときどきつまみ食いするくらいになった。が、あとがきはエッセイよりも面白く、本編に収められたのはニューヨーカー誌に掲載された作品が主だし、翻訳家の柴田元幸が推薦の短編も入っているそうだし、村上春樹の短編も最後にある。
これは買いなんだろうか、と思いつつ、棚に戻そうとしたら、カバーが少しずれて表紙が3ミリくらい目に入った。黄金色か黄土色に見えたのだが、そんなはずはない。九分九厘の単行本は、コストを抑える目的もあって表紙は2色以内だ。
カバーをめくると、カバーと同じ絵がタイトル抜きでカラー印刷されていた。
さらに絵の画家が竹久夢二であることもわかった。大正八年に描かれた「黒船屋」とのことだ。
これは買わないと。
竹久夢二ということがわかると、現金なもので家に帰ったら本棚ではなくてリビングの棚に面陳したいような気になる。
急いでうちに戻ってラズリの散歩を30分ばかりやっつけ仕事のような気分で済ませ、まず第�杵談椶痢�村上春樹がいまどき珍しいほどに直線的な恋愛小説と褒めた「愛し合う二人に代わって」を読んだ。確かにあのトランプを生んだアメリカでこのような小説が書かれること、読まれることが信じられないような純粋さ!
ブックオフなのに(ブックオフゆえか)、本文にまったく読まれた形跡がない。カバーにもしみひとつなくて、だからなお、美術品を手に入れた気になったのだった。
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