mixiユーザー(id:6486105)

2017年06月11日18:39

112 view

宇井さんのアイヌ写真展とかおんめさまのあじさいとか

 私には珍しく木曜日から連日、上京して何件もの打ち合わせをしたり現代音楽の演奏会を聴いたり、終電ぎりぎりまで知人と話し込んだりで、隠遁者とは言えない日常になってしまった。昨日は鎌倉で開催された小規模のブックフェスティバルに出かけただけだが、ちょっと心に引っかかることがあって、いったん自宅に戻ったものの再度出向いて、若い(30歳代)女性2人組に声を掛けるというナンパまがいの出版お誘いまで仕掛けた。この動機というか心境に至った遠因は、私から見れば異様な世相と言いたい時代の暗さからだ。一連の学校建設問題や共謀罪を巡る議論は耐え難いほどに品性を欠く悪事であるし、それを諦観でもって受容するような国民性というのも私には理解できない。悪代官と金貸しの時代劇をテレビで見て楽しむ分には罪もなかろうが、21世紀になってなおこれが現実であるというのは、悪夢としか言い様がない。こんな現実から逃げ出したい。
 先週の金曜日、銀座のキヤノンギャラリーにいた40分の時間は、汚れた現実ではない別の現実という時空間にいられる幸せだった。宇井眞紀子写真展「アイヌ、100人のいま」(http://cweb.canon.jp/gallery/archive/uimakiko-ainu/index.html)。アイヌ民族100数十人・100枚のポートレイトが展示されていた。入口脇のテーブルに、100数十人の名前とひと言が掲載された簡易の展覧案内があったので、写真に映ったお一人お一人のポートレイトを見ては、そのかたのコメントを読んだ。
「アイヌのことをもっと知ってほしい」
「一日でも長く生きて孫と過ごせる時間をつくりたい」
「この先もアイヌ文化を大事にして過ごしていきたい」
「自分らしく生きる!!」
 ポートレイトというのは写真の中で、最も難しい。写真家は被写体と真正面から向きあってコミュニケートしなければいけないからだ。宇井さんの長いキャリアと誠実な撮影態度を間近に見ることができて、勉強になった。それ以上に、勇気を得た。人間にとって大切なのは、自分自身であり、他人との関わり方のあり様だ。
 人間の笑顔というのはいいものだ。素朴な表情もいいものだ。少し気取ってみせることもいいものだ。
 
 今日の夕刻、ラズリと散歩に出かけ、駅近くの小さな名刹大巧寺(通称おんめさま)の遊歩道を歩いていると、朝夕花の世話をしている「手ぬぐいで頬被りのおばさん」が目に入ったので、声を掛けてみた。以前からずっと頼もう頼もうと思っていた。「山あじさいの枝を数本、ちょうだい」と。
 頼んでみると、そろそろ枯れ始めの「クロヒメ」ならいいと言う。他に数種類の山あじさいがあるのだが、まだ剪定には早いので、今月末あたりになったら分けてもらえるとも。で、おばさんはいったん寺に戻って剪定鋏を持ってきて、クロヒメの明らかに枯れた花の枝を5本ほど切って渡してくれた。
 家に戻ってすぐ、私も剪定鋏で枝を斜めに切って、蒸散作用を抑えるために葉もカットした。一晩切り口を水に浸して水揚げをし、明日、鹿沼土を入れたポットに挿せば終わり。たったこれだけで挿し木はできる(成功率は6割)。
 ありがたいな、由緒ある「花のお寺」でいただいた山あじさい。
 2枝取れる剪定枝があったので、このまま全部根が出ると10ポット苗が生まれる。
 他の山あじさいが完全に枯れる数週間先に、またもらってこよう。
 望みは何と訊かれたら、今日のところは、あじさいの挿し木が成功すること、と答えよう。なお、『望みは何と訊かれたら』は小池真理子さんの恋愛小説のタイトルです。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930